タイタニア
タイタニアのホログラムでの邂逅の直後、彼女の足止めされたゲートに、シカエのホログラムアヴァターが現れます。彼は、ニュートの生前指示で動いているようですが、ハドリアンと対立しているセタセアンのシカエはタイタニアに対して、お互いにですが、悪い印象を持ってないようです。
そのゲートのメインドック内は古の鯨類の歌声に溢れていた。
どの星系由来かは明らかではないが、この詠み人知らずの古典的な声明音楽はオルガノイドだけではなく、プラズマ知生体から、今現在ハドリアンと対立しているセタセアンにおいても多くの愛好家が居て、タイタニアもそのうちの一人であった。このチューンは、ギルドを経由してプラズモ内で流通していたアルフヴェン波の音源をメタン大水のハドリアンの可聴信号に変換したものであったが、その滅びと再生のテーマは種属を超えた共感を得ており、この認知世界において、ある普遍的な価値観を共有できる事実を示していた。とはいえ、このゲートに足止めされてもう48時間。相手は、そのセタセアンであり、種属間の摩擦はこの辺境のゲート通関にも影響を及ぼしていた。基本的にナビゲータギルドは種属間の政治的問題には不干渉、中立の立場であったが、そのナビゲータとは言えハイドリアン属であるということらしい。
(職責への忠誠と種属への帰属意識は矛盾せずに並立するものだが、アースリングにとってはそうではないらしい。)
タイタニアの巨体はオルガノイド軍の駆逐艦クラスとほぼ同等の船積といってよく、その磁気光学迷彩の遺伝的起源は、そもそもハドリアンの生体外皮であり、彼女がその気になれば、このセタセアン籍のゲートのメタン充填区画はおろか、メインドック全体を破壊し逃走することも可能であった。
(ここの大水はエタン濃度割合が少なすい上に熱すぎる)
その専用ドック内に満たされた、メタンの大水の表面温度は-100K程度であろうか。ドックの加圧した大気は二酸化炭素と窒素、アンモニアからなり、それなりの費用で設置されたもののようだが、タイタニアからすれば、及第点ギリギリの環境である。ここに、ゲート籍主、ガンマオーラ・セタセアンの外交上の配慮が見え、ギルドに対して、最低限の配慮、この星系においては害意がない事を暗に示したものであった。
そもそも、セタセアンとハドリアンとではハビタブルゾーンが異なる。しかし、星系間ではトラブルにならなかった問題が、ここ、過疎的な枝状星群にある辺境では、星系を分割領有している区域があり、その場合には様々な利害衝突が発生していた。
そして、このG0122が属するガンマオーラ星系もその一つであり、今回は、ハドリアンの領有惑星の衛星の一つに新たに発見された氷下大水が原因であった。水はこの時代も重要な資源であり、何よりも、そこに生物が居れば、その遺伝子がもたらす情報価値は莫大である。惑星委員会も、そのサンプル採集権の裁定についてはかなり慎重に動いていた。発見された生命の遺伝系列としては、アースリングのような酸素呼吸生命ではあったが、その惑星系の領有権はハドリアンにあり、当然その衛星についても、彼らもはいそうですかと権利放棄はしないだろう。おそらく、近くサンプル採集のパーティが組まれ、一定のセタセアン、おそらくは、こことは別星系で比較的穏健派である、ユリイカ・セタセアンが参加することをガンマオーラ・ハドリアン側が了承することで、一旦はこの緊張は緩和され、自分の旅程は再開するだろうとタイタニアは考えていた。
そして、彼女の目論見は、外れなかったにしろ、新たな、少々の面倒の種を抱え込む事になった。
彼女の気鬱が進んだ内省とは裏腹に、ドック内の声明はそのクライマックスに達していた。古代の鯨達の父神なる大海が悉く沸騰し消えていく。残酷な母神である太陽、その命の最後に際して膨張し、その星系のオルガノイドのハビタブルゾーンにあった惑星達を飲み込み焼き尽くす。ついに赤色矮星と化した母神である太陽は、その星系においての最後の知生体としての寿命を迎え...
タイタニアは、観念してすべての映像と音をドック内から消すと、半日程前からの執拗な会見の催促によって、彼女のエージェントAI達を悩ませていた準セタセアンの知生体の足下での健在を許した。
そのホログラムによるアヴァターは白と黒のみの体色からオルカノス姓族であることが明白であった。およそ5m程の体躯ではあったが、タイタニアの排水量の1/1000も無いだろう。
タイタニア、もとよりハドリアンの性質から言って、予定外の行動程忌むべき行為はなかった。そうでなくても、このガンマオーラゲートでの予定外の足止めは相当なストレスだったと思われる。基本的に、ハドリアンの世界認識としてセタセアンのようなオルガノイドの多くの種属との違いは、知生体の自由意志の否定であった。これは彼らの世界認識からくる事実であって、ある個体の選択の結果によってその後の世界がいかにも変わりえるという概念自体が受け入れる余地がなかった。この、突然の訪問に対して、自らの愉悦の時間を繰り上げてまで対応するとは、当の本人にとっても、それが何故だかわからなかった。
「ナビゲータ・タイタニア。先ほどは不在にて挨拶が出来ず失礼しました。」
シカエは、言葉とは裏腹にまったく悪びれた様子はない。タイタニアの頭足類の様な巨体には、鯨類知生体として本能的な敵意を感じていたが、その表情には、いつもの涼しげな微笑を湛えていた。
タイタニアは、先ずは儀礼的な挨拶を返そうと、言葉を発しようとしたその時、彼女のインプラントが介入した。
「キャプテン・シカエ、いかなる業を持って、我の健在座標を特定しえたのか。」
確かに、ナビゲーターは旧世界のライブラリインフラを使うことで、世界ライブラリからのアクセスは制限されている。シカエは何らかの追跡を行ったと考えたのだが目の前のホログラムアヴァターからは言葉と表情以外の情報が全くトレースできなかった。そのことに、彼女のインプラントに常駐しているギルドマスターの転写人格であるアスペクトAIは甚だ興味をそそられたようだ。
タイタニアはその突然の介入に一瞬驚き、その体表面の色相が動揺を現したが、紫外線域に鈍いセタセアンであるシカエにその動揺が捕らえられたかは疑問であった。
ナビゲータギルドの統治機構は、ヒトによる銀河帝国成立前から存在している。彼らの航行マップは旧世界のライブラリインフラ上に構築されており、現在の認知世界ライブラリからはナビゲータ以外からのアクセスが制限されていた。その最高指導者であるギルドマスターはすべてのナビゲータの世界ライブラリインプラントに転写人格を分散させており、ゲートの生成や航路設定については、事実上ギルドマスターの独占業務になっていた。このことは、ギルド構成員以外には知られていない事実であったが、ゲート航行の安全性を担保する重要な要素でもあり、この認知世界の住人にとっては航行の安全さえ確保されていればどうでもよいことであった。マシナリーとギルドとの確執にも、ある種のこのような統治機構の類似性からの、同族嫌悪のような側面もあったのかもしれない。
「我とおっしゃいましたが、その疑問を発したのは、ナビゲータ・タイタニアではありませんね?」
「…。面白い。それで?」
タイタニア自身はさらに驚き、その表皮は、シカエの可視光域に跨る動的警戒色を帯び始めてきたが、ギルドマスターの転写人格は、同じように警戒しつつも、シカエに余計な情報を渡さないようにきわめて冷静に振舞っていた。
シカエのホログラムアヴァターは、問題の機械船からであることは特定できていた。ギルドマスターは、その気になれば、その場所をゲートの臨界制御に介入する事によってこの世界から一瞬で滅することができる。
「あ、その船は中継点でして、今の私の活性インフラは、マシナリーのあるハイヴにあります。長命種属の戯れとは言え、無駄な殺戮装置の起動ボタンへ指を置くのは感心いたしかねますな。」
釘を刺すシカエの表情は依然としてにこやかなままだ。マシナリーネットワークには、ギルドはアクセスできない。ある意味、今のマシナリーの混乱状態については、ギルドは気が付いている可能性が高いが、内部で何が起こっているのかについては、把握できていないことだろう。
「…。何が狙いか。」
タイタニアは、ギルドマスターに対して、空間的にも情報的にも圧倒的優位にある、この、小さい鯨類、シカエに対して、ある種の驚きと好意をも感じ始めていた。ようやく、彼女の警戒色も薄れ、元の銀色の表皮に戻っていく。
「一つ、ナビゲータ・タイタニアに贈り物がありまして。」
と、一つの蓮花状のメモリーキューブを何もない空間から取り出すと、タイタニアに捧げた。すると、ドックの環境音が変わり、鯨類の声明音楽が流れ始める。それは時に対する詩の独唱であった。
”時間。それでさえ、それ自身だけでは存在しえない。”
その一節が流れた瞬間、タイタニアは、ギルドマスターの尋常でない狼狽を感じていた。
”感覚が、はるか昔に何が起こったのか、今何が迫っているのか、そして未来に起こるであろうことを告げる。”
困惑と激しい羨望。
”我々は認めなければならない。”
「我々は認めなければならない。」
気が付くと、タイタニアは、自らの生体発声器官では発しえない、古の鯨類の声明を一緒に唱えていた。
「貴様、それを何処で手に入れた。」
もはやギルドマスターはタイタニアの発声に寄らず、ドックの環境音としてその言葉を発していた。
静寂の中、ギルドマスターである、クランクシャフトの主人格が発したと思われる第一銀河語は、きわめて冷静であったが、セタセアンの生体発声域のその重低音域まで再現した音声によってギルドマスターの確固たる追及の響きを持っていた。おそらく、マシナリーのハイヴに攻め込むことも厭わないだろう。
「次節を知っているな。」
シカエは、相変わらず微笑みを絶やしていなかったが、内心では此処までの反応があるとは思っていなかったらしく、口角に逡巡が見えた。
(まずいな、取引どころか、戦争がはじまりそうな勢いだが、ニュート、なんて事に巻き込んでくれたんだ。)
「マスター、このアースリングには我々への害意は認められませぬ。我への謁見を既に認めました故、機序を戻し、この場は我にお任せいただきたく。」
一瞬の逡巡がみられたものの、ドック内の環境は元にもどった。
このタイタニアの介入に、助けられたとの安堵が再びシカエの表情に微笑みを戻した。
「ナビゲータ・タイタニア。ありがとうございます。そして、次節についてですが、それは、私のお願いに関わってまいります。」
「取引、であるならば、契約が必要であるが、続けよ。」
「私の生体が知っていると思われます。つきましては、その帰還についてギルドの助力を得たく存じます。」
「座標を言え。我は、其方らを、この封鎖が解かれ次第マンティコア星系まで送らねばならない。が、ギルドが即刻、其方の生体の帰還を果たすだろう。」
よほどの大事らしく、機序を重んじるギルドにしては破格の対応ではあったが、それでは上手くなかったのだ。
(ニュート、頼むぞ)
シカエは、内心祈りながら、次の言葉を慎重に選んだつもりだった。
「”鍵”については、それで手に入るかもしれませんが、”/”に至る道はそれでは開きません。」
と発した瞬間、シカエの意識はレジュームし、気が付いたら元のハイブのマシナリーの情報空間に居た。
(くそ、強制的に分岐させられたのか)
バックアップではない事を確認し、自らのアップタイムを確認する。新たな帰還コードは設定されていないところからすると、フォーク転写人格がギルドの虜にされたようだ。
シカエはしばらく考えたが、機械船には戻らないことに決めて独り言ちた。
”何者も、万物の運動や静止なくして、時間そのものを感じることは出来ない。”
シカエはナビゲータギルドの最高指導者、マスター・クランクシャフトを引っ張り出す事に成功しますが、ギルドにとって、ニュートから託された詩は、シカエの思惑以上の重大な意味があったようです。ある種の予言詩ですが、シカエにはあまり深い意味をなさないものだったようです。この詩は、モンローの英語版を私が適当に訳したものです。




