イフシェ
マンティコアのライブラリ分館、その館長は第8ドーム湖畔での襲撃の結果を静かに待っていました。ライブラリによるマンティコアの主権侵害ですが、まったく悪びれた様子もありません。
ファーゴン属は、その主星、アルア、遺伝系統ファーゴニア・アラースをルーツとする、植物知生体であり、厳密には寿命というものが無かった。逆に、彼ら種属は知性を得ることで、自らその死を定めることとなった。銀河帝国黎明期から存在し、生体には相変わらず寿命がなかったため、そのゴーストについても後天的獲得形質であったが、同様にその寿命は永遠といってよかった。火を異常に恐れる性質があるが、その知性は常に安定しており、生体としても、サプリメントと水、二酸化炭素さえあれば、他のオルガノイドのアトモスフィアに干渉せずに順応することができた。そのため、彼らの主星は銀河中心寄りにあったが、その適応能力の高さから、ここ、枝状星域のような辺境でも、様々な植民星で裁定者AIに準ずる官僚的地位を得ているものが多い。同種属間の連携には乏しく、イフシェ自身、ここ数百周期程、同属の生体に出会ったことはない。一方で、ファーゴン製の植物素体は非常に多く流通しており、この認知世界で流通する素体の半分、陸上運用に限れば8割以上のシェアを誇っていた。
ここ、マンティコアのシティドームにあるライブラリ分館は、この星の植民が始まると同時に開館され、イフシェは当時から今までおよそ8億周期に渡り館長を務めていた。彼の最古の記憶枝はおよそ12億周期前のものであり、別の星系での司書としての記録でもあった。膨大な記憶の中で、その記憶枝はここ数百周期ほど頻繁にあたるため朽ちることなく頭頂部に茂っている。館長としての主務はこの星の史書編纂であったが、このマンティコアという若い種属、明らかにこの衝突銀河系においては、その性質から特異なプレイヤーとして認識していたが、ここにきての部下であるヘレニアの、あるマンティフィロスへの執着についてはその動機について、ライブラリアンとしてのものか、かの姓属としてのものか、判断がつきかねていた。
イフシェ自身、その個体には、何度かかなり深いライブラリの情報層で出会っていた。そこには”灼熱の井戸”のライブラリアン、核力生命達との邂逅層であり、彼の転写人格は時間の壁を難なく超えてその情報層を泳いでいた。どのようにして、あの能動性攻勢フィルタにインプラントを焼かれずに各層を行き来できているのか、イフシェには解らなかったのだが、おそらくどこかの、世界ライブラリを統べるタニユン属以外の、ニュークのストロボAI(時間感覚の隔絶したオルガノイドとの外交用に調整されたAI)と取引しているのではないかと思われた。
ヘレニアから、彼の度重なるライブラリの禁足レイヤーへの侵入に対し、ライブラリで拘束し、彼のロゴスを調整にかける事について進言された時、イフシェは単純な好奇心から、おそらく彼と繋がっているニュークの干渉があることを期待して許可を出していた。実際に、ライブラリに実害があったわけではなく、せいぜいのリスクは、知りたがりの若いマンティフィロスが、調整過程で運悪く知性死したとしても、いくばくかの賠償金でもって彼の姓属に賠償すればよいだけのことに思われたからだ。
ヘレニアは許可がすんなり出たことに明らかに驚いていたが、彼女もマンティコアに対するライブラリの不自然な干渉については気が付いている。おそらく、あのニュートロンという若者も。とはいえ、イフシェ自身は、あくまでも傍観者に過ぎない。そして、今の世界ライブラリにこの世界の、知生体への忠誠があるとすれば、その過去にではなく、未来に対するものであるはずなのだ。
(歴史のない、いや、歴史に無関心なこの認知世界において、過去に何を探そうというのか…。)
10数周期程の若い知生体、何千億という夜を経てきたイフシェにとっては忘却の彼方の幼生時代をその記憶を手繰るも、そのあまりにも若い個体であるその彼が自らの種属の倍以上の過去に何を求めているのか、全くもって想像ができなかった。どちらにしても、この分館の権限では、マンティコアの属齢より過去の記録にはアクセスできない。
(彼に直接問いただせばわかることだが、果たしてヘレニアの目的は彼の知性には無いのだろう。)
”灼熱の井戸”のライブラリアン、少なくともその一派が少なくとも数百世代にわたって、クアザール姓属の遺伝形質に干渉してきたのは明らかだった。そしてそのことが軍の一部にとって明らかに好ましくない事態を引き起こしているのも明白で、いまだにマンティコアは軍にとっては傭兵扱いであり、その軍政に関わる機会がこの若い種属に与えられることは、この先もないだろう。そして特に、クアザール姓属に対してはその損耗率の高さが際立っていた。多くは、マンティコアの4世予定植民星系がマシナリーの好むG2Vクラスであり、マシナリーとの衝突の最前線にあることに原因を求めていたが、イフシェ自身は、軍はマシナリーや他の非有機生命知生体よりも、同じオルガノイドのマンティコアを恐れていると考えていた。
「イフシェ、ミーアから守秘回線でのコールが入っています。」
深い思索から、分館の管理AIの声に一瞬遅れて反応する。寝起きのように発声管のピッチが微妙にあっていない。
「つないでくれ。そして回線を閉じると同時に記録は削除すること。」
ファーゴンの発声管は、複数の長さの異なる、サイン波の共鳴管であり、これを自在に接続することで、周波数変調により様々な音を奏でることができる。そのフォルマウントは一種独特な金属音のようで荘厳な音楽のような発声は一種の権威を象徴していた。一方で同属間での会話は、記憶枝をこすり合わせるカサカサという音で成り立つため、非常に静かであり、多種属からすれば自然の中で植物の葉折れにしか聞こえないだろう。
「イフシェ、衛士素体のトレースが失われたの。それとほぼ同時に、湖のほとりでの時空振を観測ポッドがとらえている。軍が槍を使用した可能性があるわ。」
珍しく、ミーアはその母船からの直接通信であり、目まぐるしいスタッカート音が背後に聞こえるところを見ると、かなり狼狽している様子であったが、届けられた音声はAIによって合成された銀河標準語であった。
「第8ドームの中でかね?そりゃあずいぶんと思い切ったことだ。」
「他人事みたいに言わないで頂戴。あの素体は私たちの領事館から回したものなのよ?」
「ふむ。シティー管理AIには、既にグラヴィトーネ名義での照会問い合わせが入っているようだな。」
さっきから、シティー管理AIからのコールを無視し続けているが、ようやく分館管理AIに調停の指示を出す。時間稼ぎにもならないだろうが。
「で?どうなの?ニュートロンの確保は失敗のようだけど、ギフトの方は?」
「クアザールかペンネキュライトか、不発に終わったか、まったく分からないね。軍も沈黙しているが、なによりもヘレニアと連絡が取れない。」
「とにかく、私たち、アントロノウスはマンティコアとは友好的でありたいの。少なくともこの、彼女らの主星系においては。こちらに類が及ばないことを約束して頂戴。」
「もちろんだとも。この地上の司書の名誉にかけて誓おう。ふむ。」
イフシェは少々驚いたのか、最後にその発声管は壮大な不協和音を奏でた。
「どうしたの?」
背景音のスタッカート音が鳴り響く。
「いや、驚いたな。明日朝、彼らがこちらに来るそうだ。同席するかね?」
「?」
「グラヴィトーネとニュートロンだよ。」
不安のスタッカート音が擦過音に変わる。ひどい恐れを象徴するヒスノイズとともに、ミーアの交信は途絶えた。
(ミーアコイニンニン、領事としてまだ3周期目とは言え、やれやれ、ひどい恐れようだな。)
(そしてそれは、世界ライブラリも同様だ。)
彼の頭頂の多くの記憶枝がざわつき始める。
(しかし、)
イフシェの発声管がなんとも言えない低周波のFM合成音を吐き出す。
(我々が恐れるのはマンティファロス、その本来の雄体の発現ではあるが。)
拉致しようと主権侵害も厭わず行動を起こしたライブラリ分館にニュートロンはあえて飛び込む様子。館長のイフシェはニュートの目的に興味を持ちます。ヘレニアはニュートのロゴスには興味がない様子ですので、彼女の手下に飛ぶこむのはかなり危険な気がしますが果たして。グラヴィトーネは彼女なりの目的があってニュートを支援しているようにも見えます。




