第7話・それはまるで地獄へのはなむけのように
「ぜぇ、はあ…キツイ、きつすぎる」
魔力も使い切り、身体強化の魔法を発動することも出来ないし、体力もない。もし、帰り道がわからなくなってたり、また肉食の獣が現れたら死ぬのは間違いない。
あのヒグマが動かなくなるまで何時間経ったのだろうか、少なくとも体感的には3時間は経ったと思われるが、そこから完全に死んだと確認するまでまた数時間を要した。
ヒグマは知能が高いため死んだふりからのカウンターを食らえば元も子もないからだ。
なおかつ、ヒグマを倒した後、少しの間気絶して動けなくなってしまったらしく幸いにも命は会ったもののそれで相当時間を使いすぎたらしい。
その上、変なところで寝たからか魔力も体力もそれほど回復していないと来た。
「魔力を回復できるすべがあればいいんだけど、師匠からもよく食って寝るとしか言われないし、ないんだろうなあ」
異世界ではお約束のポーションも師匠から貸してもらった本を見て探してみたが、ポーションらしきものはなくあったのは抗生物質だった。
病気とかの対策は日本のそう変わらないようなので、病気にかかってもある程度は平気なのは救いだろう。
「帰ったようじゃの、おかえり阿歩炉」
「…ただいまです」
そこら辺で取って来た木の棒を杖代わりに頼りにしながらやっとこさ帰ってくると僕が帰ってくるタイミングをわかっていたように小屋の前で待ち構えていた。
だが、そんな光景に驚く気力もなく疲れ切った目でボソッと呟くことしかできなかった。
「どうやらヒグマは討伐したようじゃな」
「はい、かなり厳しい戦いでしたけど……本当にぎりぎりでした」
疲れてたまらない僕は師匠の肩を少し借りながら小屋に入り椅子に腰を下ろした。
時刻を見ればもう朝5時を回っていて、どうやらあのヒグマを討伐するのに相当時間を使っていたらしい。
「じゃが、お前はやり遂げた。つい、一か月前は泣いて蹲り助けを求めることしかできなかった少年が自分自身で壁を破れる様になって儂は嬉しいぞ」
「し、師匠!!」
「ほら、今日は豪勢に焼き肉にじゃぞ、じゃから昼まで寝ときなさい」
「やったー!!」
何故か、机の上にホットプレートが置いてあってもしやと思っていたが焼肉と聞いて疲れ切っていた体に生気が帯びていくのを感じる。
「おー!【身体強化の魔法!】」
「張り切っとるの、まあ寝ればいずれ魔力は回復するし使わせてもいいんじゃが」
少し回復した魔力を回転させて残った力を振り絞って二歩、三歩歩いて布団に到着するとそのまま重力に従って倒れ込み眠るように意識を失った。
「…さて、寝たようじゃの‥‥‥そろそろ、外の世界に連れてってやるべきじゃろうか」
そう、阿歩炉はこの異世界に来てから山を下りたことがない。一か月もここにいるのに物資の補給もネット注文で何とかなっているし、阿歩炉を鍛えるために山を下りる理由が特に見つからなかったというのもある。
ブブブ……
「うん?……孫からメールとは珍しいの」
アインツには息子がおり、既に山を下って都会で暮らしてはいるものの仲は悪くない。最近、娘が高校生になったので会う機会が少なくなっていたものの息子夫婦も儂のことを邪険にすることなく理解してくれている。
「…そういえば、阿歩炉は高校2年生じゃったの。ちょうどいい、娘に合わせるついでに山を下るとするかの」
メールを確認して、そう決めたアインツはすらすらと慣れた手つきでスマホを操作し、その旨を返信した。
(…阿歩炉のスキル【異世界転移】の発動には試練を乗り越える必要があるが。まだ不十分とはいえ、ある程度の自衛はできるまで鍛えた。後は、試練が来るのを待つだけじゃな)
儂は、結局親に何一つ親孝行せずに家を出て行って師匠の元でひたすらに魔法を極め、お国のために戦争を戦い抜いていた。
だが、戦争が終わり久しぶりに親の元を訪ねて知ったのは父親は兵士となり英霊となったこと、母親はその後に貧困にあえぎ体を売りながら凌いでいたが最後は餓死したこと――
残った儂は、魔法の研究で多大な成果を残し、莫大な富を手に入れた。軍の中でも、それなりの地位を築き、その気になれば父親を救うことも出来た。
もし、もっと早く母親の元に帰っていれば母親が貧困にあえぐことなく死ぬこともなかった。
いくら、もしもを考えたところで過去が変わるわけでもない。それでも、あの軍のパーティーでワインをすすっている間に両親が苦しんでいるかと思うと胸が張り裂けそうになる。
結局、その後は戦争で知り合った妻と結婚し、その妻は流行り病で息子を残し先立ち、その息子は娘をこさえ平和に暮らしている。
そして、儂は俗世を離れ両親を放っておいた時間で習得した魔法と猟銃で害獣を狩りながら暮らしていた。
このまま、ゆっくりと生涯を終えていくのかと思いきや100を超えたころ転機は訪れた。
影山阿歩炉と言う、異世界から来た少年。聞けば、完全に望まず無理やり連れこられたらしく、中々に不運な少年と言うのが第一印象だった。
よく、孫から聞く『異世界転生もの』と言うのを実際に体験した少年、てっきりこの世界に来てチートで散々やるのか、それともハーレムでも築こうとするのかと思いきや予想外に奴は帰りたいと言った。
『……もしや、儂は阿歩炉と昔の儂を重ねているのかもしれんの』
状況も違うし、何なら時代もかなりの差がある。戦争を知らず、戦いを知らず、平和な時代の少年だと思った。
だけど、幼少期に親元から離れ、もう一生会えないかもしれないその状況に儂は酷く同情をした。だから、アイツに魔法を教えたのだ。
もし、嫌がるようだったらすぐにやめてある程度自立の助けをして山を下すつもりだったが、ヒグマの時はうだうだ言うわりに魔法の特訓中で辞めたいとは一言も言わなかった。
その根性と素直な心を見て――ああ、儂もこうなりたかったのじゃと、思った。
「師匠―!ご飯にしましょう」
「わかったのじゃ、なら今日は祝いじゃからの大人しく席に座っとりなさい」
思い出している内に時刻は12時を回っていたらしい。阿歩炉も起きて来て約束通り今日は勝利祝いで昼は焼肉と言うことで阿歩炉はものすごく上機嫌だ。
魔力もあらかた回復したようで、顔色もよくなってきている。
「…あの師匠、これって何の肉なんですか?」
ホットプレートで焼かれた肉を一口運んでみると、思わず首を傾げた何というか野性的でどことなく癖のある味で、濃厚でワイルドな牛肉と形容すべき味だった。
脂が特に美味しいは美味しいのだが、僕の脳内データベースにはこの肉と同じ味の肉が検索してもヒットしなかった。
「熊肉じゃよ」
「熊!?た、確かに出発する前の冷蔵庫に焼肉に生かせそうな肉はなかったので不思議だと思ってましたけど……」
まあ、美味しいなら何でもいいかと口に運ぶも、あれ?と食べる手が止まる。
よく考えてみればこの熊肉の出どころはどこだろう、僕が初日に出会ったヒグマは既に消費されているし、僕が倒したヒグマは損壊が激しすぎて食えたもんじゃない。
「この熊っていつ狩ってきたんですか?」
「昨日じゃよ、お前が出た後にヒグマがもう一頭出たと連絡が来て早々に狩ってきたのじゃ」
「…えぇ、僕が何時間もかかったヒグマをそんな短時間で?」
「それはお前が罠なんて使うからじゃろ」
師匠ほどの腕があればヒグマと殴り合っても勝てるだろうという謎の信頼感が存在する。実際に、腕力は僕以上だし明らかに戦闘馴れしている。銃の腕も一流で魔法なんて月とスッポンの差である。
「そうじゃ明後日、街に下りるぞ」
「え?ま、街ですか?どうしてです?」
「孫娘が久しぶりに会いたいと言ってきての、お前もこの世界に来て森しか見取らんだろう?せっかくだから、街を案内してやろうと思ったのじゃ」
「そうですか…」
不安がないと言えば嘘になる。僕が、なんやかんやこの日まで生きていけたのも正気でいられたのも師匠のおかげだ。なおかつ、ほぼほぼ外界との接点を経っていたというのもある。
別に、元の世界でも話すのが苦手と言うわけじゃないが、久しぶりに師匠以外の人と話すのは妙に緊張する。
「ちなみに、街では魔法は絶対に使ってはならんぞ」
「そうですよね‥‥‥ちなみに使ったらどうなりますか?」
「ブタ箱行きじゃ、もしかしたらそこに試練があるかもの……ほっほっほ!」
「縁起でもないこと言わないでくださいよ…」
師匠は笑っているもののこっちからすれば堪ったものじゃない。
考えたくはないが、試練がある場所がそもそも外国だったり、本当に独房の中だったりしたらそこまで行かなくちゃ僕が帰れないということになる。
ちなみに、ヒグマを討伐したことによって試練をクリアしたことにならないかと思ってステータスを確認したが相変わらず【異世界転移】の文字は灰色のままである。
(異世界に来て一か月と少し、ある程度自衛の手段は手に入ったけど試練のしの字もやってこない。僕が帰れるのか…?)
「辛気臭い顔をするな阿歩炉。とにかく肉を食え肉を、肉さえ食えば人は強くなるのじゃ」
「師匠は野菜も食べましょうよ」
「嫌じゃ、阿歩炉が食っとくれ……」
頑なに、野菜を拒む師匠を見て肩ひじ張っていた僕が馬鹿らしく思えてきた。試練がどうのこうのと言うのは試練がやって来た時に考えればいい。
僕は一人じゃないし、師匠もその時が来たらきっと力になってくれる‥‥そう思って、ホットプレート上の熊肉をかっさらって行った。
「うん、美味しいですね。熊肉って!」
「儂の肉……」
「野菜も食べましょうよ」
「嫌じゃ!嫌じゃ!儂はこれまで野菜なんて全然取らなくても100歳は生きているんじゃぞ!」
「えぇ!!」
サラっと衝撃の事実が明かされたが、特に突っ込むこともしなかった。むしろ、100歳も生きて少し子供っぽい師匠に思わず笑みをこぼしていた。
ああ、こんな毎日が続けばいいのに――いつか帰る僕にはこの光景がどうにも眩しく見えた。
それと同時に、気づけなかったんだ。この世界は日本のようで日本じゃない――残酷な世界であること、師匠なあんなことになるなんて僕は到底“想像”することもできなかった。
それでも、僕は帰らなくちゃいけない。
本性が出始めてきた模様…