プロローグ:第0話「静かな日々の終わり」
【主な登場人物】
・瀬川凛(25):言語聴覚士。母の死の謎を追う。
・加藤陽子(8):特殊な能力を持つ少女。
・藤堂悠(45):脳神経外科医。凛の母の元同僚。
・AIアシスタント「エコー」:感情を持つAI。
誰かの声が聞こえる。
私は窓際に立ち、春の風に揺れるカーテンを見つめていた。ネオ・メディカルシティの朝は、いつも静かに始まる。
「凛先生、今朝も早いですね」
同僚の佐伯先生が、優しく微笑みかける。彼の白衣姿は、いつも清潔感に満ちている。
「ええ、今日は新しい患者さんが」
返事をする私の耳に、微かなノイズ。NAI(ニューラルリンク・オーディオインターフェース)が、何かを感知したように震える。
【システム起動:正常】
【バイタル:安定】
【音声認識:機能中】
15年前の事故で失った聴覚。
母が最期に遺してくれたこの装置のおかげで、私は音を取り戻すことができた。
そして今、言語聴覚士として、誰かの声を救う仕事をしている。
「そうだ、凛先生」
佐伯先生が、少し緊張した様子で声をかける。
「今度の休みに、よかったら──」
その時、廊下から走ってくる足音。
「凛先生!」
看護師の美咲さんが、息を切らせて飛び込んでくる。
「大変です!新しい患者さんが急に!」
私は佐伯先生に申し訳なさそうな表情を向け、すぐに診察室へと向かう。
彼の誘いは、また今度になりそうだ。
診察室では、小さな少女が母親と待っていた。
「おはよう。加藤陽子ちゃんね」
少女は黙ったまま、私のNAIをじっと見つめる。
その瞳に、見覚えがあった気がして──。
「凛先生」
エコー、私の専属AIアシスタントが声をかける。
「患者データの暗号化レベルが、通常より」
その時、陽子が描き始めた。
スケッチブックに描かれていく図形は、まるで音の波紋のよう。
そして私は、その波紋の意味が分かった気がした。
母が遺した最後の言葉。
研究所での爆発。
そして──。
「失礼します」
ドアが開き、藤堂教授が入ってくる。
彼の表情に、いつもと違う何かを感じた。
この日が、全ての始まりだった。
平穏な日々に、小さな亀裂が入る瞬間。
私は、まだ知らない。
これから自分が直面することになる、途方もない運命を。
でも、きっと大丈夫。
この仕事を選んだ時の気持ちを、私は忘れていない。
誰かの声を救いたい。
その想いだけは、どんな時も変わらないから。
窓から差し込む朝日が、優しく診察室を照らしていた。
まるで、これから始まる物語を祝福するように。