第8話 2日目の朝=9/3金曜日
仕事が忙しく帰宅したらすぐ寝てしまう
そんなこんなで更新が遅れました((((;゜Д゜)))))))
異世界サイドにて――。
横幅1メートル、縦3メートルの鉄格子の扉が蝶番ごと外れた。落下した蝶番だけ地面に置き去りにした鉄格子の扉は、まるで意志を持ったかの如くカズキ目掛けて吹っ飛んでいく。
余りにも不意な出来事だったため、魔法を使ってなんとかするという思考を追いつかせる余裕もなく――レイシアは呆然と瞠る行為に留まった。
何者にも邪魔される事のない鉄格子の扉は我が物顔で、姿勢を屈めていたレイシアの頭上を通過してカズキの頭部に激突する。
ドガァァァァン!
重く鳴る鈍音。それは特に残響を轟かせず、ブレーキを踏んだかのように即座に鳴り止む。
その音が鳴りやんだ時に漸く思考が働き、レイシアは血相を変えて首を曲げる。そうして視界に納めたのは椅子に縛り付けられて死んだように眠るカズキの姿だ。
そんなカズキの頭部に、鉄格子の扉は密着していた。鉄格子の扉は地べたに倒れる事を拒否し、微動だにしない。まるで磁石のように引っ付いている状態。
レイシアの精神を折り、完膚なきまでの敗北を味合わせてくれた男とは到底思えない程に、カズキは極めて不格好な有様だった。
「なに、ねぇ。カズキ! ねぇカズキってば!」
反応が無い。
両肩を鷲掴みにして必死に幾ら揺さぶって目を覚ませようと試みる。
しかし返答は無い。
代わりに齎されたのは何処か息が詰まりそうな嫌悪を覚える感覚。何かが起こる前に現状を的確に把握しろと本能が訴えているのだろうか。
ごくりと唾を呑んで、せりあがる不安を誤魔化そうとする。こういう時こそ冷静にならなければと思っても、やはり心は素直で動揺が前に出る。
吐き出る言葉が震えた。
「ふ、吹き飛んだ鉄格子の扉がカズキの頭に直撃した。な、何もしてないのに! 私は魔法を何一つ使っていないのに。こ、この場には誰もいないのに!」
扉が吹き飛ぶ理由はないはずだ。
動揺を前にしても現状把握のために紺色の瞳を、道に迷った子供のように彷徨わせて周囲を見渡す。あるのは左足枷だけが外れた状態で椅子に縛られたまま気絶した状態のカズキ。カズキの頭部に密着している横幅1メートル、縦は3メートルの鉄格子の扉。
現場の情報はそれだけだ。そこから扉が吹き飛んだ理由は語られる事はない。犯行現場は何も語らず黙秘を通している。
その奇妙な光景に恐れて寒気が走ったレイシアは、くらっと姿勢を崩しそうになる。転ぶまいと鉄格子に手をかけたレイシアは一度、鉄格子に背を預けて瞼を閉じる。
「ふぅ……落ち着けぇ、私。焦らない、焦らない。急で驚いただけよ。ちゃんとしろ、私。私はまだ16歳、初めての経験なんてこれから幾らでもある。未経験の実感こそ人生なのよ」
手を胸に当てて、ゆっくり深呼吸する。経験の無い事が起きるからこそ人生だ。これから先の人生、まだ魔法の知識も未熟であるが故に、まだ若いから故に、何が起こるか分からない。今回の件は人生のうちの、クソ程小さい切れ端レベルの未経験に過ぎないのだ。
動揺気味の自分に自己暗示を聞かせてからレイシアは十数秒黙す。口を閉ざす間、脳裏に動揺を誘う考えなどは訪れない。
まずはこの経験のない状況をどう考えて解決するか。レイシアは自分の知識を活かし、何がどうしてこうなったかというのを考える事にしたのだ。
「もし魔法の行使があれば必ず魔法陣が展開されるはず。不可視の魔法陣……いや、そんな類の魔法は聞いた事が無いわ」
カズキと違ってレイシアは産まれも育ちも魔法が存在する世界――この第七魔法都市ノアで育った。
これまで生きて丸十六年。幼少期から一般教育として魔法に関する勉強に勤しんできた。他の優れた魔法使と比べれば浅い知識だろう。魔法で悪党と一発遣り合えるような技能も無い。
しかし知識の浅薄さがどうあれ魔法の使用には絶対的に必要とされるものは知っている。
魔法を使用する上での前提としては魔法陣の展開だ。魔法は魔法陣を媒介にして初めて放たれる。
魔法陣があるからこそ魔法がその中から生まれ、顕現する。
魔法陣を展開せずとも発動できる魔法は、魔法ではない。魔法陣が必要とされない魔法は、魔法の定義を逸脱しており――それが起きれば未曽有な未知の脅威とされている。
レイシアはまだ魔法を使う身として技術は未熟だが、魔法陣のない魔法は有り得ないという理解だけは持っている。
「もし第三者の攻撃だとしたら明らかにカズキを狙った攻撃。でもカズキを狙う理由が無いし、意味が無い。カズキは異世界人よ」
狙おうとする人はいないはずだ。この世界でカズキが会った人間は未だにレイシア唯一人。加えてレイシアの部屋と廃屋に用意されたこの牢屋以外の景色をカズキは何も見れていない。何も知らない。
そんな無知な人間に対して誰かが攻撃を振るう動機など存在するはずがない。
レイシアが狙われる方がまだ現実味のある話だ。自覚が無いだけで、誰かから恨まれているなんて可能性も有りうる。
「なら、これは何なのよ。これは……普通じゃない」
普通じゃない事ばかりだ。
カズキの頭部に密着する鉄格子の扉に触れるレイシア。鉄格子の扉は重力に抗い落ちる事無く、カズキの頭部に密着している。
幾らどかそうとしてもカズキの頭部から引き剥がせない。鉄格子の扉を何度か蹴りを入れるが微動だにしない。鉄格子の扉は文字通りぴったりとカズキの頭部にくっついてる。
「まるで接着剤で固定されているみたいよ! 剥がれない。やはり誰かの魔法のせいと考えるべきなの?
それとも……誰かの。うん、もしそれなら魔法陣が展開されなくても出来る行為だ」
一つの可能性を脳裏に浮かべる。レイシアの中で魔法よりも、そのもう一つの可能性の方が大きいのではないかと考えをまとめる。
ただもう一つのそれを可能性として挙げるのであれば、やはり第三者の介入が必須事項だ。
「念のため、早急にこの場所から離脱する必要がありそうね」
第三者の行動の予感に焦燥感を走らせるレイシアは慌てながら和輝の右足枷に掛かる。
その時だった――。
ドガァァァァン!
鉄格子の扉が何の前触れもなくカズキの頭部から急に剥がれ落ちたのだ。鉄格子の扉はカズキの横にバタリとお辞儀するように倒れる。
咄嗟の事に、心臓が跳ねあがるレベルで驚いたレイシアは枷を外す動きを止めた。
「な……!!」
鉄格子の扉は落ちたが、カズキに怪我はない。
鉄格子の扉が剥がれ落ちたカズキの頭部に損傷はなく、皮膚が剥がれて怪我を被っている様子もない。
鉄格子の扉は、カズキに気絶という外傷以外特に何も与えず、役目を終えて落ちたわけだ。
しかし、鉄格子の扉が剥がれ落ちたきっかけを掴めない。
仮に誰かがこういった攻撃を仕掛けてきたのだとしても、何故このタイミングで落としたのか?
事態が解決しているように見えて解決していないこの惨状に疲れきった顔でレイシアは唸る。
「ちょっと、頭おかしくなりそう」
それからレイシアは少しでも早くこの廃屋から発つ為にカズキを暫く全ての枷を――。
カズキを縛る全てを解く。
そして解く過程においてレイシアがカズキの手首に触れた時――。
「そんな、嘘でしょ」
落ち着きを、冷静を、落ち着きが、冷静が、絶句の波に攫われる。
攫われてそこに残るのは喜怒哀楽の感情でもない。
「脈が無い……」
脈とは、身体を巡る動脈が伝える心臓の鼓動――。
つまり、シブヤカズキの心停止を知らせる一報だった。
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現実世界サイド
二〇二一年 九月三日金曜日
謎③ 死んだはずなのに少女に殴られて再び現実世界で目を覚ましたのは何故?
そもそも現実世界で目を覚ました事は夢だった?
謎⑤自宅のベッドで寝ていたのに、目が覚めたら目の前に謎の少女がいるのは何故だ?
未だ残されている謎がこの二つだ。
刺殺されて異世界転移というのはチューズデイのお陰で完璧に証明できたが、未だそれだけは――。
果たしてこの謎を解決するにはどうすればいいだろうか。
それを考えた結果、浮かんだ答えはチューズデイの使用だ。チューズデイは和輝が異世界転移者である事、殺されて異世界転移した事。その全てを証明してくれたのだ。
ならば、それを利用すれば現実世界で目覚めたアレはなんだったのかを突き止めることが出来るのではないだろうか。
例えば、レイシアが『貴方は現実世界にも行くことが出来る』と聞く。その答えに対して和輝が『行ける』と答えた場合、どうなるかだ。もしも針がTに振れた場合は刺殺された後に目覚めた現実世界も本物だという事だ。それを理屈でどうこう説明するのは正直無理難題な話だが、残された謎を解くための足掛かりにはなるだろう。
そういう魂胆もあってレイシアに罰として与えた一つがチューズデイを和輝が利用する事だった。
だがそれも鉄格子の扉が飛来する異常な事態により一旦阻まれた。
ならば次意識を戻した時にすればいいだろ――。
何もない暗い世界で和輝は楽観的に考えて、覚醒という名の水面に手を伸ばして、それを突き破る。
「ん?」
フワフワとした感覚が背中を走るのと同時に、ぼやけた視界に映るのは誰かの顔だ。正座で和輝の顔を覗き込んでいるが、視界はぼやけていて表情は掴めない。荒い鼻息が顔をスッと撫でる。だいぶピッチの短い息を切らすような音が聞こえて――悲壮に満ちていた。
拳一個分の差ほどしかない距離にある顔。雪のように白く美麗な睫毛の先端から滴る涙。それは次々に落ちて和輝の顔をこれでもかと濡らしていく。
顔に落ちた涙は皮膚を伝って四方八方に流れ落ちる。数滴目元に入ったので、和輝は気になって目元を拭うと視界が徐々に明瞭と化していく。視界がぼやけていたのは涙の影響だったらしい。
「生きてる、カズ君。よ、よがっだぁぁぁぁ」
わんわんと声を出して、嗚咽混じりに泣き喚く声が轟く。事故に遭って死の淵を彷徨っていた人が生存率1%の壁を乗り越えて奇跡的に復活した瞬間に同席した人の如き喚きようだ。無粋な例え話だが、そのレベルで相手の顔は涙でぐちゃぐちゃだった。
まだ当人の顔はモザイクが掛かったようにぼやけてはっきり見えないが、レイシアだろう。
(そっか俺はさっき鉄格子の扉にしばかれて……気絶でもしたか)
脳裏にフラッシュバックする直前の記憶。レイシアが枷を外そうとしたタイミングで、鉄格子の扉が吹き飛んできた奇妙なイベント。椅子に縛り付けられた状態で何も抵抗できぬまま至ったのが現在だ。
そんな和輝を哀れみ、レイシアは泣いてくれているのだろう。会ったばかりで且つ特にお互い深い事情も知らない、罰を下す下されるの関係でしかないという男のために泣いてくれるとは極めて優しい奴だ。
縛り付けた和輝を暴力で傷ぶる行為に走らなかったのは、そんな性格のせいなのだろうか。
人に優しすぎるレイシアの振る舞いに思わず笑みがこぼれた。
「レイシア、別に泣く必要もねぇだろ。いや、会ってまもない俺の状態にそこまで同情してくれるってのは感謝した方が良いよな……って感じだけれど、そこまでお人好しだったの? あんまりお人好し過ぎると不審者に目を付けられるからマジで気を付けた方が良い……んあ?」
ただ言葉を発している途中で視界のぼやけが完全に回復。相手の顔のモザイクが完全に取れた時――和輝の思考回路が短絡しかけた。言葉が詰まり、瞳に映る景色に度肝を抜かれていた。
いるのはレイシアだという前提で話していたからこそ、なのかもしれない。
正確に言うなれば異世界転移した事実があるからこそ目覚めて尚、そこにいるのはレイシアだと個人で勝手に断定しきっていただけだ。
和輝は異世界転移した事実は把握しても、全ては把握しきれていない。自身の立場がどのような状態なのか、それを詳らかにするための材料は未だ不揃いだ。
不揃いだからこそ目の前にいる人物の存在に目を剥いた。
「ユウキ!?」
「と・も・きだよ!」
驚きの声を上げた和輝に反応して、何処か嬉しそうに口元を綻ばせて返ってきたリアクション。間違いなく目の前に存在するのは阿賀波高校1年5組蓮田友樹、その人だ。
上下が緑色の生地の服装で、胸元には黄色い翼の校章を付けた制服姿の友樹。空色の髪は整っておらずボサボサで、布団の上には空色の髪が数本散らばっている。わしゃわしゃと髪を掻き毟った形跡だろう。
布団の上――上体を起こした和輝は目を白黒させながら周囲に意識を配る。身に覚えのある家具や机、物のレイアウトにしても反論の余地なく、この場所は現実世界の渋谷和輝宅の自室だ。
現実世界へ帰還した証明――だ。
(んな、バカな!? ついさっきまでレイシアと話してたんだぞ……って事はまた戻ったのか? 現実世界に? )
初っ端レイシアに殴られて、今回は鉄格子の扉に頭を殴られて――このように意識を失って目が覚めたら現実世界という現象は2度目だ。
(異世界転移をしたのは確実だ。けれど次意識を失えば、もしくは眠ればまたこうなるのではないかと、そんな可能性を心の片隅に宿してなかったと言えば嘘になる。)
短期間で何度も経験したからこそ、そして現在進行形で体験しているからこそ浮かぶ答え。
それは異世界で目覚める、もしくは現実世界で目覚める現象の共通項が意識を失うか眠るかという事。
眠った状態の人は意図的に思考を働かせる事は出来ない、いわば眠った状態は無意識状態と同義。
目覚め先の世界が変わるトリガーは、意識を失う事にあると和輝は考えている。
一度目は池田宮公園での刺殺直後、異世界とされるレイシアの部屋で目を覚ました時。二度目はレイシアに対面初っ端で殴られて、目を覚ました場所は刺殺されたはずの現実世界――池田宮公園で目を覚ました時。三度目は自宅のベッドで寝た結果、レイシアの手で椅子に縛り付けられ状態で目を覚ました時。
そして四度目は椅子に縛り付けられた状態で、突然吹き飛んできた鉄格子の扉に殴られて目を覚ました今。
こうして広がる光景を夢と片づける事は出来ない――。
(けどその場合、チューズデイの判断はどうなる? 異世界転移した発言はTに振り切ったはずだ。俺が漏らした事を見透かすチューズデイが嘘を吐いたとは思えない。だが俺は今、何故かこうして現実世界に戻ってる)
異世界転移をしたら現実世界に戻れないはずだ。戻れるのだとしてもそう簡単に出来る行為じゃない。こうしていとも容易く現実世界にいる現状に何処か疑問を感じる和輝。だが、目の前にある友人の蓮田友樹の存在も然り全て夢じゃないのだと、それだけは断言できた。
もはやチューズデイを頼るまでもなく感覚が、そうだと告げている。
(これは夢じゃない、現実だ。意識を失うことで二つの世界の転移を繰り返すわけなのか。けど……)
心の中で独り言をブツブツ呟き終えた和輝は、周囲に再び意識を配る。和輝を置き去りにした現実世界は時間が進んでいる。進んだ時の中での大きな変化点、それを視界の中心に捉えた和輝は目を剥き、歯を剥き出して叫んだ。
「で……何で俺の部屋に上がってんの!? ふ、不法侵入だぁぁぁ!!!」
「その反応になるの、ちょっと遅いよ!」
今更ながら絶叫も絶叫も大絶叫。友人とは言え、自室に泣きじゃくった友樹の姿がある事に驚きを隠せない。
泣きじゃくる友人にぶつける言葉としては冷たく酷いワードだが、これは列記とした不法侵入だ。
美少女と錯覚しそうな程に可愛らしい容姿を前にしても、この現状を仕方ないなと納得できる自分を作れない。友樹の体内でかき氷が出来る程に肝を冷やした和輝は身を捩って怯える。
「いや流石に……えぇ!? いや、これはビビるって。あいつが俺を殴った気持ちも何となくわかってきた」
ふと脳裏に過ぎるのはレイシアに殴られた苦い一幕。人の話を聞かず一方的に殴られたが、それも止むを得なかったのかもしれない。
顔も名前も存ぜぬ奴が急に目の前に現れたら、こうなるわな――。
和輝の場合は幸運にも顔も名前も知ってる友人の不法侵入のため、手を出すつもりは無いが――。
まあそうなるわな――と、レイシアの動機に強く共感を持った。
「カズ君――元気で良かった」
名前を呼ぶ友樹の涙ぐんだ顔が、つい慰めたくなるような愛しい笑みを作ってる。不法侵入と、不意に魅せられるこの笑みの意味は一体何なのか。
(不法侵入するのには理由があるはず。でもどうして俺の所に……待て、もしかして)
ゾクッと背中に悪寒が走った。まさか日頃の恨みでも晴らしに来たのか、友樹をそんな行為に至らせてしまう何かを記憶から探り出すのに時間は殆ど必要なかった。
探れば探るほど思い当たる節が山のように出てくる。思い出した和輝は「しまった」と、顔色を青くして冷や汗を垂らす。思い当たる節については抗弁の余地もなく全て和輝に非があるものだった。
途轍もない裁きというか鉄槌を下される予感をした和輝は、自分を咎めるために超スピードで膝を畳んで布団に頭を擦りつけて土下座を繰り出した。
「ごめんなさい、ごめんなさい! ほんっとうに御免なさい! いつもユウキユウキユウキばかり言ってムカついて、とうとう俺を殺しに来たんだよね。はい、俺が全面的に悪いです、許してください。実は、と・も・き!の怒る姿を見るとつい可愛らしいなと目の保養にさせて頂きまして! 貴方は異性ではないため別に恋愛感情は冗談抜きで持ち合わせておりません。ただ仕草にウットリトリトリするためかと思われます。はい、恐らく野球部員は貴方をマネージャーに持ち、さぞ誇らしいでしょう! ですからどうか、どうか俺の命だけは助けてクレメンス!俺は今後お前にユウキって絶対呼ばない! 約束するだから!」
「違う違う、ちがぁぁぁう! ちょっとカズ君、勘違いするの辞めてよ! た、確かに不法侵入って形になったのは謝るけど違うから! ユウキって呼ばれるのは確かにムカつくというか、うん、ムカつくのは間違いないけど、カズ君を殺すレベルで怒らないからっ! 友達を嘗めないでよ! 友達が友達を殺すもんか! そこまで短気じゃないんだからぁぁ!」
長ったらしい和輝の謝罪を聞いた友樹は首を激しく横に振り、大声で否定した。涙を拭いながらも言うそれは、最後は少し怒気も混じるその声は――一番の本物だ。
言葉が詰まる事もなく友樹から溢れ出るそれは、本心だろう。もし偽りの言葉を発するのなら、何を喋ろうか迷ってつい口の動きが止まってしまうものだ。
友達を嘗めないでよ――友達が友達を殺すもんか。
当たり前のように思える、その言葉が和輝の胸に突き刺さる。
この言葉が台本で創ったものと思えるだろうか。
こうやって涙を流して滲ませて言うのは、和輝を心配しての事だ。
冷静に考えればわかる事だ。異世界で鉄格子の扉に殴られて意識を失って目覚めに聞いた最初の言葉。
生きてる、カズ君。よ、よがっだぁぁぁぁ
これを和輝の身を案じた以外にどうやって出る言葉なのだろうか?
不法侵入だったのだとしても、その背景を理解せずに恨みだの決めつけは高校生でやる行動じゃない。
己の単細胞な言動に恥を知った和輝は顔を上げて、涙で滲んだ友樹の瞳を見詰めて謝罪した。
「ごめん、人の話もちゃんと聞かず一方的に! 友達って存在を軽く見ていた、本当にごめん」
「いいよ。分かってくれて……僕もごめんね。急にこう目の前にいちゃビックリするよね」
「お互い様だな。それで、お前がそんなに泣いてるって事は何かあったんだろ? 俺の家にいる理由も、それに絡んでるんじゃないのか?」
「うん、その……」
気持ちを切り替えて問いを投げた和輝だが、回答を拒否するように友樹は視線をすっと逸らしていた。
顎を上下に忙しなく動かし、口をパクパクさせている。言いたくないのではなく、言いづらいようだ。なかなか言葉を紡ぐ一歩を踏み出せずにいる。
辛抱強く待ち続けると、友樹は深呼吸してから言う。
「実はもう今、9月3日の午前九時半なんだつまり学校で一時限目の途中くらいになるかな?」
「九時半!? あれからそんなにも時間が!?」
想像以上の時間経過に声と両肩が跳ねる和輝。
昨日は池田宮公園で目を覚まして夕方に自宅に到着した。そして夕飯も食べずに寝落ちしたのを覚えている。寝落ちした時間を仮に午後六時頃だとしても、そこから十二時間も経過しているのだ。
異世界で活動していた時間を踏まえたとしても長すぎる。レイシアとの会話で過ごした時間は一時間に及ばない程度だ。
(意識を失う事がトリガーで俺は転移している事を前提に考えると、俺は転移後の世界で目覚めるまでに相当な時間が掛かったわけか?)
異常なまでの時間経過の理由に片を付けるには、その考えが1番の有効打だろう。
あくまでも前提のうえだ。
体をもじもじとさせた友樹は不安げな眼差しをぶつけてくる。
「カズ君は初めて無断欠席をしたんだよ。担任の先生は寝坊してるんだろって笑って言ってたけど、僕は何か不安になって、それで様子を見に行くって言ったんだよ、そしたら」
「そしたら?」
和輝はその先の紡がれる言葉に固唾を飲んで、耳を更に傾ける。
「インターホン押しても返事が無くて。そしたら戸締り忘れなのか玄関が開いていて、そのまま僕はこの部屋に来たんだ」
(昨日締め忘れたのか。殺されたはずの公園で目覚めたんだ。頭もボーっとしてたわな)
刺殺されたはずの公園で目が覚めて、訳が分からないと脳を震わせて辿った帰り道。精神が不安定だったのもあり、玄関の鍵の閉め忘れは十分あり得るだろう。
「締め忘れの扉を初めて開けたのが友樹で助かったよ」と胸撫でおろす。極悪非道の犯罪者であれば家の中を荒らして金目の物を見つけ、口封じで和輝の息の根を止めに来たところだろう。
不幸中の幸いとはまさに、この例だ。
そして――。
「カズ君が寝てたんだ。揺す振っても起きなくて――それで変だなと思って、それで、その、その――心臓が止まってたんだよ。カズ君の心臓が止まってたんだ!!!!!!」
「心臓が止まってた!?!? んな馬鹿な!?」
心臓の停止――血液が全身に送られなくなり、やがて意識は急速に墜ちる。心停止で倒れた場合は、誰かに即座に救命処置を取ってもらう必要がある。
それが叶わなければあるのは死。
つまり、今の元気溌剌で呼吸も体の感覚も至って正常な和輝にとっては無縁の話。心臓の動きが止まってしまうきっかけを作った覚えもない。
夜中に誰か不審者が侵入して、変な薬でも注射されたのか?
否。
異世界転移していた以上、その間はこちらの世界に自分の身体は無いはずだ。
否。
もしくは鉄格子の扉に殴り飛ばされて、こっちに戻ったタイミングが現実世界の夜中だった?
現実世界に戻るタイミングが悪くて、丁度自宅に侵入していた不審者に見つかり、その間に変な薬でも注射されたのか?
ゼッタイニ=アリエナイ。
どちらにせよ心停止していれば和輝は確実に死んでいるはずだ。
医学会を敵に回す矛盾が生じる。
幾ら友人とは言え医学的におかしい友樹の言葉に、強い疑いの目を向けるしかなかった。
「流石にそれは嘘だろ! 俺達は保健体育の授業で習ったはずだ。心停止からの救命率は時間が経つ事に減少していく。心停止から5分経過すると救命率は25%。もっと経てば命が助かるかは絶望的なんだ。俺が心停止していたら今頃死んでるだろ!」
「分かってる……分かってるよ! けれど……本当、なんだよ、僕だって嘘だって思うかもしれないけど、本当なんだ……」
「待てよ。訳わかんねぇよ。常識外れの出来事だろそりゃ……」
信用を求める必死な友樹の主張を受け入れられない。現実離れした現代の医学的情報を覆す話に頭を抱える。友樹はギュッと両拳に力を込める事で、信用されない苛立ちを隠しこんでいる。
友樹は遊び半分で嘘でも吐いてるのか――。
泣きながら自分の身を案じた者が嘘を吐くのだろうか――。
泣いてまで嘘を吐く理由が分からない――。
「カズ君がそうだったから、救急車に連絡だってしちゃったよ」
救急車まで巻き込んで嘘を吐けるか?
悪戯電話で心停止しているから来いと連絡できるか? 嘘だとバレれば両親に迷惑が掛かるどころか、この事が公になれば世間から冷たい目を浴びてしまうだろう。
人生の一部である学校生活を代償にして出来るだろうか?
数多の疑心が浮上する中、心の中で発生したのが問題提起。
さて問題。
常識外れの出来事は既に渋谷和輝という人間は既に経験している。
チューズデイが答えた異世界転移という奴だ。
異世界転移とはまずなんだ。
異世界転移は簡潔に説明すれば、自分の身体が現実の世界から消えて異世界に転移する現象だ。
そもそも『転移』という単語は場所が移る事、状態が変化する事。『転移』の単語を用いた例文を検索すれば様々な物が出てくるだろう。
『転移』の単語が何を意味するか、高校生にもなれば渋谷和輝は分かっている。
『転移』すれば元の場所にそれは残らない。
(心停止が本当なんだとしたら、異世界転移と何か関係してるのか? 訳わかんねぇ)
常識外れと常識外れが衝突して、渋谷和輝にまた一つの混乱が献上された。
住宅外で救急車のサイレンが鳴り響くのは、もうすぐの事だった―――。