第1話 新しい朝
二〇二一年 九月二日木曜日 午前六時丁度
場所は××県笠宮市。
晴れ渡る青空。気温二十五℃、天気は快晴で朝から太陽が控えめに顔を出している
チェック柄の洒落っ気があるパジャマを捲って腹を出して寝つつ、青と白の縞模様である布団や花柄の毛布をぶちまけていた。
寝癖でボサボサになった黒髪を無意識に掻き毟りながらベッドで寝ているのは渋谷和輝だ。
近くの阿賀波高校に通う高校1年生。得意な科目や苦手科目も特技も無い。長所は無遅刻無欠席。小中高と今まで一度も学校を欠席した事がなく、健康面にだけは人一倍の自信を持っている。
誕生日は八月二十三日で十六歳。
身長は170センチメートル。実は169.3センチメートルだけどサバを読んでいる。本人曰く、
170と言っていた方が格好いい気がするらしい。
渋谷和輝に関する自己紹介はこれくらいでいいだろう。
突如鳴りだすのはジリリリリリリリと、朝の機嫌を悪くするために産まれたような金切り音。鳴りやまないその音の正体は目覚まし時計だ。対抗するように、うがぁぁぁぁぁッ!と怪獣のような声を出した和輝は時計の頭を引っ叩いて黙らせる。
「始業式……うぁぁぁ面倒だぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
そう、今日は阿賀波高校の第二学期始業式当日。つまり夏休みが終了してしまったという絶望的世界。
部屋の一角にある机の上には、普通科目の教科書が積み重なっている。占領された机の一部の空きスペースにはノートパソコン。寝床の反対側にある部屋の壁には固定された大きい本棚。床には小説が転がっているぶっ散らかし状態。新学期を迎えるとは到底思えない部屋の姿だ。
和輝はその部屋を少しくらい整理する事も無く、寝癖でボサボサな髪を掻きながら重い足取りで階段を下りることにした。
ちなみに二階には他に二部屋あるが、一つは蛻の殻、一つは両親の寝室という扱いだ。
一階に下りた和輝はドアを開けて、リビングに入った。
リビングはLDK=リビングダイニングキッチン仕様。
本でも並べるかのように水切り籠に食器が陳列されている。また流し台やその周りにも水滴や汚れ一つも付着しておらず、まるで未使用品のような状態だ。隅々まで入念に掃除されている。
キッチン横の食事の際に使用している焦げ茶色いテーブルには、弁当と一通の手紙が添えてあった。
弁当に触れてみると、まだほんのり暖かい。出来上がってから、まだ長い時間が経った訳ではない様子だった。
その流れで「なになに」と、眠気眼を擦って手紙を黙読する。
『TO: 和輝 今日からまた、父さんと母さんは仕事で東京に戻ります。今月1回くらい帰れたらいいなって思ってるんだけど帰れなかったらごめんね。後、いつもの日課は全部、片づけておいたから。今日は始業式だもんね。それじゃあ学校に元気で言ってらっしゃーい⁉ 』
所々で文面の漢字を間違えたり、ビックリマークの付ける部分が不適切だったりと内容に粗が目立つ。
この特徴的な文章を書く人物は和輝の頭の中には一人しか浮かばない。
「母さん……そっかぁ。もう東京に戻ったのか。また今日から俺一人の逆単身赴任ね」
和輝の両親二人は東京にある同じ職場で働いている。この家にはGW,夏休みや年末年始などの長期休暇の時だけ両親が家へと帰って来る。そして休み終了と同時に両親は東京の方へ戻ってしまうのだ。
それが基本的な両親の行動だ。両親が行う仕事の都合上、和輝はこういった環境で生活を送っている。
即ち手紙は、夏休み期間で昨日まで家にいた両親が、仕事場である東京に帰宅した事を示す証明書という訳だ。
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午前6時起床→定期的にゴミ捨て→弁当作り(学校で食べるやつ)→朝食作り(弁当作りで余ったやつの摘まみ食い)→学校→帰宅→夕食作り→食器洗い。
これが和輝の行う一日のルーティーンだ。
独り暮らしで家事をやる中で、専業主婦の日々の過酷さを和輝は理解していた。
目覚まし時計と戦い、休む間もなく身支度をして、帰宅後は必要あれば買い出し、掃除やら食器洗い。
専業主婦とは給料を貰うべき職業だった。
母さんのお陰でルーティーンカットした和輝は自分の部屋のクローゼットを開けて制服に着替えた。
制服(上下)は緑色の生地に薄緑色のストライプが縦線に入っており左胸、心臓と重なる位置には黄色い翼が丁寧に編み込まれた校章が付いている。触り心地はツルッと滑らかな素材で縫合されている。
着用開始から一年も経っていないのにチョークの粉末に似た身に覚えの無い白い汚れが制服(下)に数か所に付着している。
(この汚れに気づかんとは……夏休み中にクリーニングに出すべきだったか)
今更悔いたところで時すでに遅し。構わず常時携帯しているスマホと通学用リュックを準備する。ベッド上に青と白の縞模様である布団や花柄の毛布が乱雑に散らばっていて、寝相の猛烈さを物語っている。
その中にスマホは埋もれていた。
手に取って丸いホームボタンを押すとバッテリーゲージ3%を示すアイコンが待ち受け画面に表示されていた❘❘
夜中に充電する任務を忘れたらしい。
ふと視線を巡らせれば、ベッドの後方にはコンセントに挿しっぱなしであるUSBケーブルの充電器。
充電器の末端には見事、スマホは接続されていなかった。
(スマホの充電さえも忘れた……これは痛い)
バッテリーが一桁台となると持参した所でロクに使えず、電池切れの末路を辿るだけ。
最後の数パーセントが意外と長持ちしてくれるが、期待を裏切って呆気なく電源が落ちた時の絶望感は途轍もない。
そんな嫌な思いを回避するため和輝は、スマホを持たない決断を下した。
充電器のケーブルをスマホに接続し、後は放置――時は進む。
時刻は午前七時四十五分。
新しい朝が来た。希望の朝だ、喜びに胸を抱きとは言わない。
朝日と共に登ってくるのは、夏休みを求める我儘な感情。
長期休暇明け一発目の登校は、鉛を担いでいるかのように身体が重い。
和輝は休み明けの気怠さとの闘いながら玄関の扉に手を掛けた。
いつも利用する通学路は何処か、ぬかるんでいるように見えた。