第17話 下水道攻略戦①
嗾ける重力が引き起こす垂直落下。
全身に下水道特有の悪臭を纏う空気を盛大に浴びて落ちていく。
まるで命綱と安全装置無しのフリーフォールタイプアトラクションだ。
カズキの頭上3メートル上からは共に落下しているロザレーヌが迫る。体重の違いがあれど自由落下運動のルールに従い、ロザレーヌがカズキの位置を追い越す事はない。
それでも同時に落ちればカズキとレイシアが着陸した数秒後にはロザレーヌも着陸してしまう。その数秒で逃げれば良い話だが、ロザレーヌにとってその数秒は些末な物のはず。カズキ達を余裕で殺せるだろう。
上部からロザレーヌが下方に向けて照らすライトを利用して眼科を見ると微かに、灰色に濁る底面が肉眼で確認できた。
しかし、まだ数十メートル下の話。
この速度のまま底に着地すれば足の骨は粉々に砕け散る。また着地に失敗すれば全身を底に叩きつけられて死に至る可能性もある。要は無策で着地すれば血相性は免れない。
(このままじゃ……でも!)
なんとかしなければいけない事は理解している。
しかし自分の力でなんとか出来ない。
現時点では誰かに頼らなければシブヤカズキは生きていけない。
だからこそ頼るしかないのだ。
道中迷惑かけてばかりだけれど、また迷惑をかけてしまうのを承知の上でカズキは助けを乞うように、男として情けなく頼り無い視線を送る。
共に落下している目の前のレイシアに。
レイシアの紺色瞳と、自身の覇気の無い薄弱なカズキの瞳が交差する。
「悪い、、助けて欲しい。磁力も思い通りに使えない今の俺は無力だ」
この弱さ、まさに害悪だ。
昨晩ロザレーヌに襲撃を受けたレイシアの方が言いたい言葉のはずだ。騎士団長とかいう肩書きからして明らかな強敵に狙われているレイシアの方が最も死に怯えているはずだ。
涙を流したレイシアの姿は目に焼きついている。
その名残で瞳は充血し、涙目が滲んでいた。
これは泣いて苦しんでいる人に、追い討ちを掛けるかの如く助けてと強請るのは下劣な行為だ。
騎士団長の肩書きがあるからこそ持っている信頼を悪用して、この状況を作り出したロザレーヌに負けず劣らずの悪のはずだ。
だがレイシアは目尻から溢れかけた涙を拭うと、「大丈夫」と言って笑みを作った。
それは無理矢理にと涙と苦痛を誤魔化すために作られた笑みではなかった。
マンホールに落とされる前、恐怖と不安で震わせていた時とは真逆で、殺意にも近い闘志が瞳にメラメラと滾っていた。
「サポートするって言ったでしょ。最後までアイツの思い通りにさせるもんですか!やってやるわ」
血に飢えた獣のような猛る眼光で抵抗を公言するレイシアは着地点となる下方に向けて掌を突き出す。
出現するは白の五芒星が描かれた円形の魔法陣。掌から少し食み出る程度のサイズ感の魔法陣に描かれた五芒星の中央に刻まれるは数字の2。
「風魔法レベル2!弾力風」
詠唱とも取れる呟きと同時に魔法陣の中央から放たれるのは風の丸い弾丸が三発。無色透明でありながら微かに見える弾丸の縁。計三発の風の弾丸は急降下し、灰色の底面に無音で優しく着弾した丸い弾は、徐々に形を崩すとアメーバ状に広がって底面を覆う。
「丁度私達の落下ポイントに着弾させたのは弾力性のある風の塊。そこに着地すればトランポリンに乗ったみたく跳ねて、落下衝撃を抑えてくれる」
「何から何まで申し訳ない……」
この世界では当然の事とは言え、改めて自身の非力さを痛感したカズキは目を伏せた。
「大丈夫。このまま落ちるだけで良い。後は……」
と言ってレイシアが視線を下方に向け、近づく底面に目配せする。着地してから移る次の行動を画策しようとした時だ。
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レイシア視点。
「あ…マズイ」
反射的に顔を歪め声を出したレイシアの目下、約10メートル下。
カズキの背後にある壁から、壁と同じ赤褐色の色を持つ煉瓦のような直方体の物体が隆起しているのだ。厚みは15センチメートル、隆起の高さも同様に15センチメートル。
壁の一部が何らかの理由で破損して隆起してしまったのだろうか?
いや、そんな隆起している原因はどうでもいい。
カズキが今の位置に止まれば間違いなく、真下に待ち構える隆起した物体に激突する。それも後頭部だ。
この勢いで激突すればカズキの意識は消失し、再び心停止。意識はライトサイドの身体へ移行する。
だがしかし、レイシアが顔を歪め声を出した時点で遅かった。
その言動をする暇があれば、とっとと風魔法で隆起した物体を破壊しておけば良かったのだ。
落下のスピードは変わらない。
思考を回している間に底へと落ちている。
だからこそ間違えた。
「カズキ!」
魔法の詠唱で障害を砕く時間も無いと判断したレイシアは、焦った顔で必死に叫んでカズキに向けて手を伸べる。
少しでも背後の壁から遠ざけるためにカズキを手繰り寄せれば物体との激突を避けられる可能性があるからだ。
しかし、手を伸ばした行動に移るのが遅かった。
「今宵は9月3日の20時45分、アッシの手により、終わりの時はここに刻まれる……アハハハハハハ」
命日を宣言するかの如く凶悪に嗤うロザレーヌの言葉が反響して耳朶に轟いた直後だった。
ゴツッッッッ!!
着地するまで落下に身を委ねるしかないカズキの後頭部に隆起した物体が鈍い音を立てて激突する。
激突の反動で頭をグラリと揺らつかせたカズキの後頭部から流血は無いが、カズキの両手は糸が切れたように垂れ下がる。力が抜けたように瞼もスッと閉じていく。足掻きもがき、身じろぎ一つしない。
その容態を見て手遅れなのは分かっていてもマズイ!と条件反射でカズキの手を無理矢理掴んで、手繰り寄せる。
カズキの脇の下から手を潜らせて、背中に手を回して思い切り抱きしめる。
「大丈夫?」と声を掛けようと口を開きかけたところで、レイシアは気づく。
衣服越しに密着する体から伝わる体温はまだ暖かいが、生命活動の証明ともされる心臓鼓動は届かない事態。
(このタイミングで……)
レイシアは嘆いた。
心臓は動いていない。
シブヤカズキの意識は途絶え、生命活動はライトサイドからレフトサイドの身体は転移した事を示す。
いつ戻ってくるか分からないカズキの身体を抱え、底に着弾させた弾力風の上に着地する。
着地の衝撃を吸収した弾力風はトランポリンのように、レイシアとカズキを跳ね返す。
跳ね返された二人は放物線を描くように弾力風の外側へと押し出される。そして本来の地面に着地したのと同時に、アメーバ状に広がった弾力風は跡形もなく音を立てずに消失した。使用者がもう不要だと判断すれば跡形もなく消える仕様だ。2人が着地できた以上、もうそれに必要とする役割は無い。
そしてレイシアは、昨晩ぶりにカズキ再び背中に背負う。
(流血無いとはいえ、脳に直撃したのよ。脳内出血だって考えられる。いやでも一度は鉄格子にぶつかったし、でも今回ばかりは本当に死んでます……ってオチだけは勘弁してよね)
単純な睡眠で心停止というのなら安心はできる。
しかし今回は脳への衝撃が由来で気絶しているため、レイシアの脳裏に過ぎるのは圧倒的な不安だ。
鉄格子の扉にぶつかって気絶した前例があるとはいえ、払拭しきれない懸念点。
だが、その不安で苦い顔をしている暇は無い。
目の前には平然と着地したロザレーヌ=クライが笑みを浮かべて立っているぞ。
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《レフトサイド》
レイシアが必死に手を伸ばして掴もうとしてきたのは覚えている。
手を伸ばして掴もうとした事も覚えている。
けれどその行動に移る前に、幕が降りた。
舞台の上演中に何の前触れもなく唐突に幕が降りたような感じで目の前が真っ暗になった。
考える事はただ一つ意識の消失だ。
カズキは意識が朦朧とする感覚も無ければ、痛みの余韻に浸れなければ、痛い!という感覚の一部ですら味わうことも無く、まるでブレーカーが切れたかのようにスンッと、視界も意識も全てが闇に呑まれた。
誰もいない世界。
臭いもない、声もない、鼓動も何も聞こえない。
只管に暗闇に身を沈め、彷徨う。行く宛も無く、目印の無い世界を泳ぎ続け訪れるのは衝撃。
パシィパシィパシィパシィパシィパシィパシィ。
何かを引っ叩く音が甲高く聞こえた。
その音に誘発されるかの如く響くのは右側に集中して染みる痛みだ。音が鳴る度に痛みの度合いは比例して増していく。
同時に下されたはずの幕が急に上がった。
「い、いってぇ」
悲鳴をあげた和輝は反射的に右頬を手で抑えていた。抑えた手の上に重なるように振り下ろされる誰かの暖かい掌は、そのまま動くことは無いどころか、カズキの掌を包み込む。
生きた人の暖かさが伝わる。
その手をどかして瞼をそっと開ければ視界に映るのは見知った天井。天井にある電気が部屋を明るく照らしている。
仰向けになった状態である事を理解したカズキの
背中を支えるのはフワフワとした肌に馴染みのある布団の感触。
悪臭もなく、澄んだ空気が空間を満たしている。臭みのない本来の酸素が体の中に流れていく。
視界の端からはボロボロと涙を流して泣きじゃくっている空色髪の優しくて可愛い顔がピョンと出てくる。
「良かった……カズ君が目覚めたよ!!」
涙を拭って安心したように笑みを浮かべるのは、阿賀波高校の制服に身を包んだ友樹だ。こんな表情を、こんな情景に見覚えのある和輝は眉を上げる。
「友樹……待って、この状況ってつい最近もあったような…….」
フラッシュバックするのはライトサイドで鉄格子で気絶した後に目覚めた時ーー。
(確か学校に来なかった俺を心配した友樹が部屋にいて、その時と全く瓜二つの状況だ)
では何故、友樹が部屋にいるのだろうか。
緩慢な動作でベットから上体を起こして周囲を見渡す。机やら本棚やら部屋の間取りやら、間違いなくこれは渋谷和輝が一人暮らしをしている自宅に他ならない。
開いたカーテンから覗く窓の向こうは星空浮かぶ閑静な夜の住宅街。
なぜ、俺はここにいるのだろうか。
目覚めたばかりの鈍い頭を使って、レフトサイドで起きた最後の出来事を振り返る。
和輝の持つ磁力によって引き寄せられた車や冷蔵庫やら何やらとやり合った死んでも忘れられない強烈な地獄の鬼ごっこ。
その記憶のピースを皮切りにして思い出すのは盗んだ原付バイクで走りながら友樹と通話した最後だ。
「まず初めに、これから俺はわざと気絶する。そして気絶したのと同時にこのイカレタ家電製品とか自動車による怪異は止まると思う。同時に気絶した俺の心臓は再び心停止する」
「池田宮公園の周辺に気絶した俺が寝転がってるはすだ。だから今すぐ家を出て俺を回収しにきてくれ。そして回収したら約束して欲しいことがある」
友樹に語った心停止宣言。土壇場だったため理解、納得を得る事を無視して戸惑う友樹を退け、心停止後に施して欲しい約束を一方的に押し付けた。
「だから今から言う約束を守ってくれ。俺を回収したら病院にも学校にも警察にも連絡せずに、俺を自宅のベッドに戻して欲しい」
こんな荒唐無稽で和輝がいる本来の世界、レフトサイドの人間には尚更理解を求めるのは難しいのに、言いたいことを言うだけ言って和輝は自ら気絶を選んだのだ。この得体の知れない磁力を止めるために。
そして現在——。
ライトサイドでレイシアが使った嘘発見器、チューズデイを使って真偽を証明できるような道具がレフトサイドにある訳でもない。そんな真偽の確かめようもないこの世界で一方的な約束を、何の信用性もない約束を友樹が守ってくれたからこそ、自宅のベッドで寝ていられる。
前回と同様にまた泣きじゃくっている友樹が自宅に運んでくれたのだろう。
(よかった。病院にいたら大騒ぎになってたろうな)
病床にいないという事は意識を失う度に気絶する事実は不特定多数に拡散されていないという事だ。「あぁ良かった…」と胸を撫で下ろすカズキだが、こうものんびりしてはいられない。
(こんな事してる場合じゃない。また意識を失った俺を抱えたままレイシアは戦おうとしてるんだ。最初から最後までお荷物になるのはごめんなんだよ!)
こうしている今もレイシアは1人で戦ってるはずだ。
しかも昨晩のように心停止状態となった和輝を抱えてという足枷付きだ。
レイシアと出会のきっかけは不遇だったが、それ以外は散々世話になりっぱなしだ。
ライトサイドでの生活をサポートしてくれるという約束を交わしたのだから、心停止で動かない人間を抱えながら1人で戦うのも当然だろというようなドス黒い傲慢な考えは和輝に無い。
制御できない磁力、即ちカップルが発動すればロザレーヌと少しは戦えるはずだ。
(もう1回……すぐにでも気絶する必要がある。もし今の俺の磁力が無意識に発動すれば、それを利用すればあるいは…!)
レイシアの元は早く戻らねばという焦燥感に突き動かされ、気絶を求める和輝はベッドから勢い良く飛び降りる。
脇目も降らず、一目散に自室の扉に向かって歩こうとした時だ。
ガチャリと扉が開き、そこから現れたのは物凄い剣幕のサッパリとしたスポーツ刈りの男、阿賀波高校の制服を着た轟剣一だ。
ここにどうしているの分からず理解できない和輝は目を剥き、困惑した表情で足の動きが止まる。
目が合うと、剣一は黙って何の躊躇もなく胸倉を掴み上げてきた。その状態で和輝を反対側にある窓ガラスへ押し付ける。これ以上押し付けようとも背後に窓があるから動きはしないのに、窓ガラスを突き破るのではないかというくらいに押し付け続けていた。
次第に胸倉を掴む力を強くする剣一は怒気に満ちた声で吠える。
「ふざけんなよ、お前!友樹がどれだけ心配したと思ってんだ! 友樹が学校に戻ってこないと思って、オレサマが早退して来たらこの有様だ!ふざけんなよ!」
「剣一…お前、」
唾を飛ばして吐き散らされる怒りの言霊。そこに和輝が割って言葉を入れようとするが、剣一は涙目の友樹を一瞥してから絶えず言葉を吐き続ける。
「友樹はな、お前の訳の分からねえ約束を飲んで頑なに守り続けたんだ。オレサマは病院に連れてった方が良い、学校や和輝の両親にも電話した方が良いって伝えたんだ。なのにコイツは友達が死んだかも知れないっていう不安な胸中の中、ずっとこの部屋で待ってたんだ」
「待て、剣一。お前、どこまで知ってる!?」
「全部に決まってんだろうが。オレサマは友樹から全部知らされてる。それよりも、だ。お前は友樹の気持ちを無視して、何か違う目的に走ろうとしている。不安と心配を掛けた以上、お前はオレサマ達への説明責任を果たすべきだ。不祥事を起こしたどっかの芸能人が便所に雲隠れするような真似なんてさせないぞ」
剣一の発言は珍しくも全てが正鵠を射ていた。いつもの訳の分からない表現を使っているが、今回の発言が全て和輝の胸にグサリと刺さる。
友樹が約束を守ってくれた事は分かっている、前回レフトサイドで意識を落とす直前に通話で友樹と約束した言葉は一つ違わず覚えている。土壇場で一方的に投げた約束を受けた友樹はどれほど複雑だっただろうか。
心停止状態で眠っている友人が目の前にいるのに、病院に連れてくどころか周囲に連絡する事も出来ない。その中で掻き立てられるのは背筋なんて簡単に凍る程の未曽有うの不安だ。普通なら心臓に電気ショックを流す等の対応をするはずなのに、それをせず約束を守るために待っていたのだ。
レイシアの元に早く戻らなければ…という目的に囚われて友樹が抱えてる気持ちを慮る事を忘れていた。 一方的に約束を伝えておきながら、説明もせずに自分勝手な振る舞いをしていた愚行を自覚した和輝は、罪の重さに目を伏せる。
「悪、かった。今回の例え話は的を得てる。二人共、ごめん。俺は俺を心配してた二人の気持ちを蔑ろにした」
謝ると、剣一は胸倉を掴んでいた手を放して肩を竦めると、呆れたように溜め息を吐く。
「んまあ理解してくれたなら良い。じゃ、説明してもらおうか。心停止からの何事もなく復活した事、そして昼間に起きた全国ニュースにもなってる世間を賑わす大事件の真相について」
「世間を賑わす大事件……え、全国ニュースってまさか」
昼間に起きた世間を賑わす事件、そんなこと思い当たる節は一つしかない。磁力に襲われた白昼夢のような出来事は死んでも忘れない。
ただ、それが全国ニュースレベルになっている事に対して和輝は驚きを隠せない。
目を丸くする和輝のリアクションを鼻で笑った剣一は、スマホを操作し始める。
現在時刻9月3日 20:45分と書かれた待受のロック画面に添えた指を、画面の上側にスライドさせた。そして画面に映るのは動画の再生ボタンマークだ。
剣一は再生ボタンマークをポチりと押すと、スマホを横に持ち替えて和輝に見せてきた。
動画の中で流れるのは全国系列で放送されているニュース番組だ。白い衣服に身を包んだアナウンサーが話している。
『本日午前10時頃、笠宮市にて原因不明の倒壊事故が発生しました。死傷者数は0名ですが複数の家屋が一部破損、電柱の倒壊などが発生し、一部では停電の状況が続いています。只今、現場と中継がつながっています』
画面が映り変わると安全ヘルメットを被った男性リポーターがドンッと映る。ヘリコプターに乗車しているようで、その上空から撮影されてる笠宮上空。一部特定の道路周辺だけ大きな爪痕が残されている。和輝が走って、原付バイクを盗んで走った通りの被害は甚大だ。
和輝を追いかけていた、厳密に言えば磁力に引き寄せられた物達の残骸が所狭しに転がっている。
「現在午後14時笠宮市上空です。住宅街の中に池田宮公園に直通する一本道が走っていますが、その周辺にある家屋の窓ガラスは悉く割れています。辺りには大量の電化製品や自動車が散乱しており、一部電柱が斜めに倒れかかっている状況が確認できます」
『こちら、まるで竜巻が通った跡のような状態にも見受けられますが、原因の方は掴めているのでしょうか?』
「それが原因どころか、それを推測するための材料すら掴めていない状態です。このように自動車が横転などしている状況は、竜巻でもない限り発生しない現象なのですが当時の天候は特に異常もなく快晴だったという事で、警察による原因調査が難航する見通しです」
『分かりました。これはかなり異常な現象と思われますが、被害に遭われた地域の方々の様子はどうでしょうか?』
「はい、また同じような事が起きるのではないかという心配を地域の方々から揃えて口にしており、悪魔が地団駄したような景色だと」
と、男性リポーターが言ったところで動画の再生がプツリと途絶える。全国に報道された事実を受けた和輝は心臓の動悸を激しくさせて唾を飲む。
逃げる事に必死だった故に、気づかなかった想像以上な被害の大きさ。この事件解決まで警察はありとあらゆる手法で捜査を進めていくだろう。そう考えた場合最悪のケースが和耀の脳裏を過ぎり、不安のあまり立ち尽くす。
「これって俺が最終的に犯人だってなって捕まるんじゃ……」
「ハリーポッターそっくりの人が魔法の絨毯で空を飛んだって言っても、警察はそんな事信じないよ。つまり例えばカズ君由来の磁力が引き起こしたなんて誰も思わない」
今出せる精一杯の不器用な笑みで呟く友樹。この張り詰めた空気感を少し和ませようとしたのだろう。、
友樹は涙ぐんだ目尻を拭うと、スマホをいじる剣一に目を配る。
「剣一君も、不機嫌な態度はもう辞めよう?ね? 心停止から平然と目覚めたカズ君の事情を僕達は理解する必要があると思う」
「んな事、オレサマも十分に分かってる。だけど今回は気に食わねえ。和輝が心停止してる間に学校は全校生徒を帰らせて臨時休校にする始末、ましてや世間じゃ【悪魔の地団駄】と呼ばれ始めてるこの事件、今はもう22時を回った夜更けだというのに随分と騒がしい。そんな変わっちまった世界で友樹は公園で倒れているお前を担ぎ上げて家に運んだ。なぁ和輝、動揺と戸惑いに耽る前に一つ言うことあるだろ? その言葉を口にしない限りオレサマは睨み続ける」
怒りを剥き出した態度を貫く剣一は只管に和輝を殺すような視線で睨みつけていた。
「大丈夫だよ、僕たち友達だから約束を守るのも….」
「いいや、当然じゃない」
友樹の発言を即答で否定した剣一は、激しく首を横に振って斬り伏せる。
「友達だからって何でもかんでも当然は違う。今回、悪魔の地団駄が止まった直後に友樹はすぐに和輝が倒れた公園に駆けつけた。その行為は他者から見れば不自然だ。わざわざ危険な場所に突っ込んでいく程人間は馬鹿じゃない。オレサマの考えすぎかもしれないが、第三者が見ていて誰かがその行為に不信感をもし抱いていたら、友樹は警察に事情聴取されるとか面倒ごとに巻き込まれていた可能性もある」
「剣一君、それは考え過ぎだよ。僕は1人で自動車を横転させる力もなければ大量の窓を破る力もない。僕を怪しむ人なんて誰も、僕に事情を聞いたところで車が1人でに動き出した……とかしか答えられないし」
「最悪なケースの話だ。ケツから歯が出てきてケツに歯ブラシを当てなきゃ歯磨きが出来なくなるくらい最悪の話だ。だから友達だから当然って考えは愚直だ。まぁここまでオレサマが言ってるんだ、和輝も言うべき言葉が何かは分かってるはずだろ」
ふぅ……と溜息を吐く剣一は目に宿る怒気を絶やす事ない瞳で和輝を見据える。剣一がここまで怒りを見せた事は一度もない。逆を取れば、怒りを見せた事のない人間が怒りたくなるほどの言動を和輝は犯したと言う事だ。
それが何か思い当たる節はないか?
あるに決まっている。
約束を守ってくれた人の前ですべき、子供でも分かる道徳を忘れていた。
自分の事で精一杯で周りを見る余裕が無かった己の責任だ。
胸に手を当て、言わなくちゃ言けない事、誰にでも言えるはずや簡単な言葉をようやく見つけ出して口にする。
「俺を助けてくれて、心配してくれてありがとう。それと、迷惑掛けて本当にゴメンナサイ」
頭を深々と下げて、感謝と謝罪を述べる和輝。
感謝には【悪魔の地団駄】の残骸を切り抜けて、和輝との約束を守ってくれた友樹に。
ありがとうもすぐ言えない和輝に対して強く戒めてくれた剣一に。
そして謝罪は自分勝手に一方的な約束を押し付け、精神的にも肉体的にも迷惑をかけてしまった事に対して。
この出遅れた感謝と謝罪がしっかり届いてくれたかどうかは、分からない………が。
「よし、じゃあ次は和輝がいっぱい喋る番だ。オレサマ達に話してみろ、和輝が抱えている状況ってやつを。ぶっちゃけ心停止から生き返ってる以上、何を話されても驚かない」
満足気に発言のカードをこっちに渡してきた。友樹と剣一の面持ちは校生活を思い出すいつもの雰囲気。
まるで数ヶ月ぶりに味わうかのような、この雰囲気に思わず頬が緩む。レフトサイドではレイシア以外には誰にも漏らしていない異世界転移の件を打ち明けても良いのかもしれない。
理解してくれない可能性の方が大きいが、それが当然だ。何言ってんだコイツは、と殴られるのを覚悟で和輝はライトサイドにおける禁句を口にする。
「意識を失うと意識だけが異世界転移するって話、信じます?」
言った直後に訪れるのは居心地が悪くなるほどの凍てつく沈黙だった。
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ライトサイド
時同じくして下水道。
下水道内はやはり酸素が薄い。呼吸は出来なくはないが、気分を害するやつ。呼吸する度に肺腑に嫌悪感を抱く空気が流れ込んでくる。
着地後、下水道の天井に等間隔に吊り下がるランタンが人の存在に反応したのか自動で続々と点灯していく。薄気味悪い薄あずき色の照明だ。ぼわーんと照らされる下水道は不気味なお化け屋敷みたいだ。
意識を失って心停止状態のカズキを背負うレイシアの紺色の瞳に映るのは、人を嘲るような笑みを浮かべる騎士団長ロザレーヌ=クライ。アンテナみたいなツンツン寝癖で荒ぶった金髪ポニーテールを、ロザレーヌは痒そうにガシガシと掻き毟る。
ロザレーヌは真上を見上げてライトを照らす。底深くまで落ちすぎて、ライトの照射距離はマンホールの蓋まで届かない。頭上にも真横にも、ただただ不気味な暗がりが海のように広がっている。
手持ちのライトだけしか灯のない世界を、ロザレーヌは見透かしたように鼻で笑う。
「アッシからは逃げられない。まさかレベル2までの弱小魔法しか使えない癖にアッシに立ち向かう気かぁ?」
「残念ね、私はレベル3までの魔法を一応は使えるのよ」
服の袖を捲ったレイシアは華奢な二の腕に刻まれたシルシを披露する。長方形の紋様が刻まれていて、5分の1が緑色に染まっている。見た目体力ゲージみたいもので、紋様の上には数字の3が表示されていた。
どんなもんだい!と自慢気に見せてやったが、相手は何も怯まない。
「希望を壊すようで悪いが、アッシはそれ以上だぞ」
「でしょうね、そんなの分かってるわよ」
ロザレーヌ騎士団長が自分より強い事は承知している。騎士団長がレイシアよりも強いのは当たり前であり、そうでなければ騎士団長は勤まらない。今目の前にいる敵が強者だとは自覚している。
(さあ、どう戦う…)
視界に余裕そうにしてるロザレーヌを視界の中央に置き、どうこの場で争おうかとレイシアが思考を全力でぶん回す。第七魔法都市ノアの騎士団長と対面するのはこれが初めてだ。相手の手の内は知らないし、相手がどんなカップルを所持しているかも分からない。
ロザレーヌは格上の相手とは分かっているが、戦闘力は未知数だ。まず大前提として言えるのは真正面からぶつかれば負ける顛末だ。
要は真面目に戦わずに勝つ必要があるが、考えが纏まる前にロザレーヌが先に動き出した。
「加速魔法レベル4」
唱えると、ロザレーヌの掌に現れた白い魔法陣が出現し、魔法陣の中央に4と刻まれている。ロザレーヌは鎧で包まれた両足に掌で触れると、両足は白く仄かに発光する。
直後、ロザレーヌは一歩だけ足を踏み出した。その動作を目視で間違いなくレイシアは確認して警戒するが直後--。
レイシアの右側を物凄いスピードで金色の線のようなものが通過すると同時に風を切る音が発生。それに伴ってレイシアの藍色の長髪がフワリと靡いた後、到来するのはやけに身軽くなった身体。背中から衣服越しで伝わる仄かに暖かい体温と、背負う感覚が消失した事で何かが失われた事を、目を剥いて自覚する。
「まさ……か!」
絶対避けねばならない嫌な予感と焦燥感の余り唇を噛んだレイシアは振り返る。
見たくはない光景、あってはならない光景。
決して相手を侮っていたわけではない。
格上の敵である以上、侮れる要素もない。
侮らない、警戒をする、そんな当たり前の行動でどうにか出来る相手ではなかった。
「残念だ」
レイシアの背中から易々と奪い取ったカズキを左肩に担ぐロザレーヌが退屈そうに欠伸をして立っていた。
レイシアはそのロザレーヌの姿を見た事で、抵抗も回避も出来ずにカズキを奪われた事を自覚した。
「動体視力が壊滅的だな。加速魔法レベル1は自身走れるトップスピードを維持する。レベル2はトップスピードの2倍の速度で走る事が可能。レベル3は時速100km、レベル4の加速魔法は時速300kmでの移動が可能だ。だが時速300kmは肉眼で捉える事が出来ない速度ではないはずだ」
「何を………」
「例えば放たれた弓矢の時速は最大で200〜280km程度だ。その放たれた弓矢を肉眼で目視出来るのは騎士として当然の所業だ。つまり、レイシア・ジュランゲルス。今のお前はアッシに勝つことはできない」
「なぜ、私の家名まで知っている!?」
ジュランゲルス、それは親類以外の誰も知らない家名だ。レイシア自身、とある理由でその家名を嫌い、ずっと名乗り続けずに生きてきた。だからこそカズキには勿論だが、他の誰にも教えていない内容を知るロザレーヌの言動に驚愕を隠せない。
「その家名は口にもしたくない!幾ら騎士団長とは言え、貴方と私に面識はないはずよ、どうして!?」
「代々カップルを使えない家系だろう?実際にお前もカップルを持たないはずだ。ジュランゲルスの血統はなんて哀れな事か誰もカップルを授かることが出来なかった。アッシの界隈では少し有名な話でね。もっと細かい話をすればキリないが、そういう訳でアッシはお前を知っている」
「……な、何が目的よ。私の家名も知って、カズキも巻き込んで一体貴方は何が目的なの!?騎士としての義務を放棄してまで何を!」
「取引だよ、シブヤ•カズキの体を返してやる。その代わりに『七聖の鎮魂歌』と呼ばれる本の在処を教えてもらおう」




