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マッドバーナー2008  作者: 逢巳花堂
第2章 イノセントフレイム
57/130

第57話 卯辰山

 ―2009年1月5日―

  金沢


 次の日の朝、ユキと初めて長く会話する機会が訪れた。


 午前五時ごろに起きて、あやめを起こさないよう静かに布団から出ると、ジャージに着替えた。基礎体力作りのための、日課としているランニングだ。


 腕時計のストップウォッチをスタンバイの状態にした。


 玄関でランニングシューズをはく。


 さて出かけるかと、腰を浮かせた瞬間、


「どこ、行くんですか」


 いつの間にいたのか、食卓で牛乳を飲んでいたユキが、俺の背後から声をかけてきた。


「ランニングだ。来るか?」


 誘ってみたのは、半分冗談のつもりだった。


 だがユキは、


「はい」


 と頷くと、部屋に引っ込んで服を着替え、フリースにジーンズという出で立ちで現れた。


「それでは寒いぞ」


 俺に指摘されると、もう一度部屋に戻り、今度はウインドブレイカーを羽織ってきた。


 彼女がスニーカーをはいたのを確認してから、アパートの部屋から出た。


 アパートの前で簡単にストレッチをした後、腕時計のストップウォッチを作動させ、ランニングを開始した。


 いつも通りのコース。


 金沢駅に向かった後、進路を東に取り、浅野川まで出た。川沿いの遊歩道を南下していき、途中で川を渡って、卯辰山へと入る。


 いつもは軽く山道を駆けた後、そのまま休まずに東の郭の方面へ北上し、帰宅するような流れだ。


 今日は卯辰山の山腹まで登っていったところで、休憩を取ることにした。


 ユキにはペースが早かったようだ。俺は普段よりも遅めに走っていたつもりだが、彼女は真冬にもかかわらず大汗をかき、ハアハアと肩で息をしている。タオルを渡してやると、彼女は頭を下げて、それを受け取った。


「ごめん、なさい……はぁ……体力、なくて」

「君はそんなに運動してなさそうだからな。むしろ頑張った方じゃないか?」

「あ……ありがとうござい……ます」

「というか、悪い。ウィンドブレイカーは余計だったな」


 走ると暑くなってくる。そんな当たり前のことを失念していた。


 タオルで汗を拭いた後、俺は彼女を展望台へと連れていった。卯辰山の展望台は、夜になると金沢市内の夜景を一望のもとに出来る。カップルたちに人気の場所らしいが、俺はそんな時間に卯辰山を訪れたことはない。卯辰山に限らず、浅野川を挟んだ金沢の東の方面は、どうも落ち着かない。昼間でもやたらと静かで、それゆえに朝のランニングコースにはもってこいの場所だが、夜はあまり寄りたい場所じゃない。


 うっかりすると百鬼夜行と遭遇してしまいそうな――不思議な空気が漂っている。


 常連客の誰かはこう言っていた。「川の向こうの異界」だと。


 ユキも何かを感じているのか。


 市内を見下ろしていた彼女は、自分の体を抱きしめ、体を震わせている。


「ここ、昔、何かありました?」

「感じるものでもあるのか」

「うん。とても哀しい、苦しい、胸に迫るものがあります。切ない感じも」

「大当たりだ。ここは安政の泣き一揆が行われた場所だ。卯辰山から金沢城へ向けて、米の開放を求めた民衆が一斉に叫んだそうだ。当時は不作のせいで、米の価格が高騰していたからな」

「訴えて、救われたんですか?」

「一応は。米の放出があり、価格も下げられた。だけど藩としては、事前の承諾なくデモを起こした連中を放っておくわけにもいかない。だから七名の主要人物が捕らえられ、うち五名は打ち首。残りは獄中で命を落としてしまった」

「そう……それで……」

「不思議な子だな。先読みの力だけじゃないのか?」

 

 どうも彼女には他にも秘められた力があるような気がしてならない。泣き一揆が行われたこの場所で、漠然とではあるが、彼女は何かを感じ取ったのだ。


「君は」


 何者なんだ?


 喉もとまで出かかった言葉を、俺はあえて飲み込んだ。


 聞くまでもないことだ。彼女は新興宗教の教祖の娘。奇跡を起こす、と評判の男の血を受け継いでいる。もしも彼女の父が本当に奇跡を起こせる人間であれば、彼女もまた、人知を超えた特殊能力を備えていると考えてもおかしくない。


「私は、このままあなたの家に留まるべきだと思いますか?」


 ユキに問われ、俺は答えに窮した。


「それを俺に聞くのか」

「私の中に見えているのは、あなたの所にいることが、未来の私を救う道になる――ただ、それだけ。因果関係はわからないです。でも、私が生き延びるためには、あなたの側にいないといけない」

「俺はいつでも君を追い出せる立場だし、殺すことだってできる。そのリスクを考えた上で、なお近くにいたいというのなら、俺は別に構わない。最後の判断は君自身が下すことだ」


 俺の言葉に、ユキはふっと微笑んだ。風で流された長髪をかき寄せ、少しだけうつむく。


「そうですよね。私が決めることですよね」


 心なしか、寂しげに見えた。


 俺はいまだ彼女をどう扱うべきか判断に困っている。


 一度は命を狙った対象として、今度こそ殺すべきか。


 それとも殺人鬼集団に狙われている哀れな少女として、俺自身の身の危険を顧みず助けていくか。


 あるいは巻き込まれるのは勘弁だと彼女を放り出すか。


(この子はどうしたいんだ)


 そもそもユキは俺の所にいてどうしたいのか。彼女自身は俺に何をしてほしいのか。それすらもわかっていない。


 まず彼女の今後の展望をハッキリさせる必要がある。


「なあ――」

「遠野さん、ひとつ聞いていい?」


 ユキの考えを聞こうと声をかけた瞬間、逆に彼女の方から俺に対して質問をしてきた。


「どうぞ」

「どうして私を殺さないんですか?」

「必要ないからだ」

「でも、あなたは私を殺そうとしていた。その相手がわざわざ目の前に現れた。今だって二人きりでこうしている。でも、あなたは私を殺そうとしない」

「一年に一人だけ。それが俺自身に課したルールだ」

「だったら私をそばに置いておく必要もないじゃないですか」

「そうだな」

「なんで私を見捨てないんです?」

「なぜだろうな」


 俺だって本当は迷っているんだ。


 ただ、俺の胸の奥底にある人間としての心が、彼女を放っておくわけにはいかない、と訴えかけているのは確かだ。その心に従う以上、彼女をむざむざ殺させるわけにはいかない。


「地獄すら生ぬるい殺人鬼になってしまった俺だが――どこかで、まだ人間としての一線を踏み越えたくないと、そう思っているのかもしれないな」

「……」


 ユキは黙っていた。その目に哀しみの色が浮かぶ。俺に同情しているのだろうか。一度は殺されかけたというのに。


「遠野さん。もうひとつ聞かせて」

「なんだ」

「あなたはどうして、人を殺すようになったんですか?」


 いつか聞かれるような気がしていた。俺が殺人鬼となった原点を。待ち望んでいたことでもあり、俺自身も振り返ってみたいことであった。


 俺はなぜ人を殺すようになったのか。


 これから先、もしも俺の予想通りの方向へと話が進んでいくのであれば、遅かれ早かれ、自分自身のことを顧みてみる必要があった。そして今、その機会が訪れていた。


「話そうか、マッドバーナー誕生の瞬間を」


 始まりの日のことを、ユキに語り始めた。


 俺が最初に焼き殺したのは、高校の時の同級生だった。

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