物語No.59『母親』
五月十七日零時三十分。
穂琉三は自分の寮部屋に奈落を招いた。
二人とも緊張した様子で、会話もどこかぎこちなかった。
奈落が先に風呂へ入り、その後穂琉三は風呂へ入った。
穂琉三はお風呂場で緊張を鎮めようとしていたが、それに反して緊張は増すばかりだった。
穂琉三が風呂に入っている間、奈落はマットが敷かれた床に座っていた。
「興奮してんのか」
「べ、別に……」
ミタマが姿を現し、奈落をからかう。
奈落は顔を赤くし、うつ向きがちで否定しようとした。
「ま、別にいいけどな」
「だったら言うなし」
「悪い悪い」
微塵も悪いとは思っていないものの、ミタマはそう言葉にする。
「ところでお前、まさかあの〈闇龍の悪魔〉を召喚するとは驚いたぜ」
「私もだよ」
「まあ魔力切れを起こしたみたいだが、それでもあの悪魔を召喚できるのはそういない。やっぱお前、見込みがあるよ」
「そう……かな……」
奈落はミタマの言葉をうまく呑み込めずにいた。
「相変わらずお前はネガティブだな。ひょっとしてまだ自分が弱いと思っているのか」
「私はそんなに強くないよ。ただ、言われたことをやっているだけ。それだけなんだ」
奈落の目は徐々に曇り始めていた。
「お前の過去に何があったかは知らねえが、今のお前は強いんだぜ。少しは自信を持ったらどうだ」
「自信……か」
奈落は考える。
奈落の脳裏を過るのはいつの日かの記憶たち。
だからこそ、奈落は自分に自信が持てない。
「まあいいか。とにかく、今後のお前に期待だな」
ミタマはふと扉の外に気配を感じる。
やがてインターホンが鳴る。
奈落は少し戸惑ったが、恐る恐る扉を開けた。
扉の先には大人の女性が立っていた。
「おっ! 君は穂琉三の彼女かな」
「い、いえ……ただのとも……」
『友達』と言おうとした奈落は言葉に詰まる。
しばらく沈黙していると、女性は奈落の肩に手を置く。
「そうか。君は穂琉三の友達か。私は穂琉三の母親だ。よろしくな」
日向母は玄関に上がり、部屋に入る。
奈落も後を追う。
「穂琉三はお風呂か?」
「はい」
奈落は初対面の相手に戸惑い、居心地の悪さを感じていた。
日向母もそれを察し、彼女から少し離れた位置に自然に移動する。
「私は最近嬉しいと思っているんだ。穂琉三にたくさんの友達ができたことが」
「そうなんですね……」
「穂琉三は少し前まであまり友達がいなくて、人と話すことも少なかった。でも最近になって何人か友達もできて、たまに笑うようにもなった。私はそんな穂琉三を見ていると嬉しいよ。きっと君のおかげでもあるのだろう」
「いえ、私なんか……」
奈落は否定する。
穂琉三の変化の一因ではないと。
そんな奈落を見た日向母は似ていると感じた。
「君がどれだけ自分を卑下しようと、周りが君を卑下してくれるとは限らない。だからね、一度聞いてみると良い。君にとっての身近な人が、君をどう思っているのか」
「そんなの……決まってますよ。私の評価は……」
「今会ったばかりの私からの評価は、信用できる人だ」
「いや、そんな……」
「この評価は覆らない。なぜなら君は穂琉三が家に上げても良いと思えるほどの関係になっている。それは少なからず穂琉三が君を信用しているからだ。そして私は穂琉三を信用している。だからこそ、私は君を信用できると思ったんだ」
日向母は優しい笑みで奈落を見る。
少しだけ、奈落の闇が晴れる。
「自分を卑下するのは勝手だが、自分を褒めるのも勝手なんだよ。どちらも勝手なら、よりいい気分になる方を選んだ方がいい気分になれる。どちらを選ぶかは君次第ってことなんだけどね」
「あの、ありがとうございます。少しだけ、自分を褒めてみようと思います」
「そうだね。それが良い」
日向母は優しく微笑む。
「それじゃあ帰るとしようかな」
「帰っちゃうんですか」
「今君たちの間に入るのは邪魔になってしまうからね」
「…………」
奈落は少しだけ顔を赤くする。
日向母は立ち上がり、玄関へ向かおうとする。
「最後に一つだけ聞いても良いですか」
「いいよ」
「母親は、子供が成長するのを喜ぶものなんですか」
奈落は問いかけた。
日向母はわずかに奈落の闇を見た。
しかし言葉にはせず、その問いについて自分の意見を述べた。
「もちろん喜ぶ。だって自分の子は誰よりも身近な存在で、ずっとそばで見てきたからこそ幸せになってほしいからね」
日向母の答えに、奈落は微笑んだ。
「ありがとうございます」
日向母は部屋を去り、その後穂琉三が風呂から出てきた。
しばらく寝るまで軽く雑談をして、奈落はベッドで、穂琉三は床に敷いた布団で眠った。
朝起きて、穂琉三が隣を見ると、そこには誰もいなかった。
その日の二十四時にも奈落は姿を見せなかった。
そんな日が、数日続いた。




