物語No.5『憂鬱の色』
五月二日。
いつもの憂鬱に包まれながら、学校が始まる。
授業中。
時折行われる、隣の人との話し合い。
決まって僕の隣は後ろの席の人と話し、僕は一人教科書と向き合う。
休み時間。
僕は一人で図書館で借りた本を読み耽る。
夢中になんかなっていない。
周囲の様子ばかり気にしている。
周りが僕を見ていないか。目立っていないか。
それだけに気を配り、極力気配を消す。
一人で良い。
一人で良い。
誰とも関わらないで生きていこう。
そう心は決まっていた。
なのに……
ヒルコは言った。
愛六から1ポイント返してもらうまで僕と組むのをやめる。
ようやくここを出ていけると思ったのに。
異世界に逃げられると思ったのに。
どうして僕に無理難題を押しつける。
たった一年耐えれば全て終わったはずなのに。
六時間目が終わる。
愛六は演劇部に所属しているため、放課後は演劇部の部室に向かう。
だが今日は図書委員会の仕事があるため、図書室へ行く。
僕は図書室の本棚に隠れ、愛六を待ち伏せる。
共同区画に巨大な図書館があるため、多くの生徒がそちらを使う。高等部の図書室を使う生徒は少なく、数人しか見受けられない。
愛六はカウンターに座り、本を読んでいる。
「ここだ」
僕は適当な本を手に取る。
本を借りる手続きをしてもらう間に、愛六とポイントのことを話す。
図書室でならあまり騒げない。
向こうも事を大きくしたくはないはず。
だからすぐにポイントを返してくれる。
深呼吸し、一歩を踏み出した。
一歩、二歩……、三歩目を踏み出す前に、思わず足を止めた。
僕は本棚に手をかけたまま、動けずにいた。
無理矢理一歩を踏み出すこともできない。
まるで全身串刺しにされたように身体は硬直し、指先一本でさえ動かない。
話しかけようとした時、決まって僕は嫌な体験ばかりを思い出す。
中学生に進級した直後、知らない人が多い教室。知ってる人同士が話している中、一人の生徒もちらほら見かける。
僕は勇気を出し、生徒の一人に声をかけた。
だが会話は上手く行かず、その生徒と距離は縮まらなかった。それ以降その生徒とすれ違う度に気まずさが駆け巡る。
関われば、その先にはある程度の交流が待っている。
それに、愛六は僕の敵だ。
無視をされれば話にならない。
上手く話せなかったらどうしよう。
話が伝わらなかったらどうしよう。
睨みつけられたらどうしよう。
嫌な妄想ばかりが脳内を埋め尽くす。
「ぁぁ…………」
本が手から落ちる。
落ちた本を見て、やはり自分にはできないと落胆する。
最初から分かっていた。
自分が誰かと直接向き合えるような人間ではないことを。
ため息をこぼす。
本を拾おうとし、しゃがみこむ。
その手が本の上に乗っかった手に触れた。
咄嗟に手を引き、顔を上げる。女子生徒が同じくしゃがんでいた。
眼鏡をかけ、毛先がきれいな曲線を描いた黒髪を肩の辺りまで垂らしている女子生徒。
見覚えがある。
確か同じクラスの三浦さんだ。
「ごめん。つい拾おうと思って」
彼女は本を拾い、僕に手渡した。
僕は数秒彼女の顔を見つめ、差し出された本をしどろもどろな態度で手に取る。
僕が立ち上がると同時、彼女も立ち上がった。
タイミングが被り、少しだけ恥ずかしさがわき出る。
「あ、うん……」
「じゃ、じゃあ私は行くね」
「あっ……」
彼女は颯爽と去ってしまった。
お礼を言えず、少しだけ空虚さが残る。
僕は落ちた本を見つめる。
表題は、『英雄譚に登場する三人の人物と十三人の騎士』。
興味はあったが、本を借りるにはカウンターまで行かなくてはいけない。
僕は本を棚に戻し、気付かれないよう図書室を出た。
教室へ。
教室に入る手前、もう一方の扉から三浦さんが飛び出し、どこかへ走り去っていった。
彼女は僕に気付かなかった。
彼女が通った道には、赤いハンカチが落ちていた。
「三浦さんの落とし物かな」
僕はそれを拾い、三浦さんの机に置く。
ハンカチには晴明と書かれている。
確か三浦さんの下の名前は晴明ではなく友達だったはず。
別の人のかもしれない。
座席表を確認するが、晴明という人はこのクラスにはいない。
ハンカチを三浦さんの机に置いておくべきか迷ったが、しばらく考え、ハンカチを三浦さんの机の中にしまった。
鐘が鳴る。
部活動や委員会も終わる時間だ。
僕は再度図書室まで来て、だが中には入らない。
「愛六、早く帰ろう」
「あそこのスイーツ店は混むからね」
「だね。急ごうか」
愛六は二人の女子生徒と一緒に図書室を飛び出した。
急いでいるみたいだ。
引き止めるのは愛六に悪い。
僕は理由をつけ、愛六を追いかけなかった。
これで良いと思った。
愛六に話しかけるなんて僕には無理な話だった。
どうせ僕は愛六みたいにモンスターと戦うことなんてできない。
戦ったって、愛六の才能に敵わない。
異世界になんて行けやしない。
「帰ろう……」
仕方がない。
そう自分に言い聞かせながら、寮に帰っていく。