物語No.44『再会は花園に消えて』
あの日、嵐と楓夏がひまわり畑に行った日。
楓夏はとうに寿命を過ぎていた。
それでも彼女が生きていたのは、強い思いがあったから。
楓夏は嵐の妹として生まれた。
生まれながらに身体の弱い楓夏を、嵐は毎日面倒を見ていた。
だから楓夏は嵐に笑顔を向ける。
せめて嵐には心配をかけないように。
あの夏の日も、楓夏は最後まで笑顔を崩さなかった。
あの日、本当は楓夏は伝えるつもりだった。
伝えたい言葉があった。
胸に秘め続けた大切な思い。
彼に向けて言いたかった言葉。
後悔があった。
だから彼女の前に、悪魔は現れた。
ひまわり畑で倒れた楓夏の魂が見たのは、黒くもやがかかったような何か。
それは言った。
「お前の全てを差し出せ。さすれば願いを叶えてやる」
「私の願いを叶えてくれるの」
「どんな願いでも叶えてやる」
楓夏は事態を呑み込めているわけではなかった。
その黒いもやが悪魔であるとも分からない。
それでも願いが叶うのなら。
だから彼女はすがった。
その悪魔に。
「私の願いは──」
願いが叶うまでは、彼女は生き続ける。
だが願いが叶ってしまえば、彼女は全てを失う。
自分自身さえも。
♤
楓夏は僕に告げた。
自分が既に死んだ人間であり、悪魔によって蘇ったこと。
まだ願いは叶えておらず、叶えば死んでしまうということ。
「生きる術はないの?」
「ないよ。そもそも私は死人だよ。生き返っただけでも十分奇跡なのに、その上嵐の側にいれた。だから私は十分幸せなんだ」
楓夏は笑顔を浮かべる。
君が笑っているのなら、それで良いのかもしれない。
「もう嵐には会わないの?」
「……会わない」
楓夏は表情を変えることはなかった。
だが指先には彼女の本音が表れている。
彼女は本音を隠している。
本当は会いたいはずだ。
生き返ってでも楓夏は嵐に会おうとしたんだから。
だが彼女が今それを拒む理由。
「ねえ、あの悪魔は嵐を殺そうとしたんじゃないの?」
楓夏の目が見開かれる。
やはり……か。
「私はまだ願いを叶えていない。だけどタイムリミットが来たんだ。あの悪魔はもう私から全てを奪うとしている。けれどそれはまだ。多分悪魔はギリギリまで何かを待とうとしている」
おそらくそれは楓夏が幸せになること。
僕がかつて読んだ物語の悪魔が実際の悪魔と同じなら、悪魔はその人物の願いが叶って幸せを掴んだ際に全てを奪う。
それが悪魔にとって快楽なのだろう。
だから悪魔はそれを待つ。
「私はその理由を多分……分かっている。だから──」
「──嵐には会えない」
彼女は嵐を思っている。
もし願いが叶ってしまえば、楓夏は嵐の目の前で消えることになる。
楓夏は嵐を悲しませたくはない。
目の前で消えれば嵐にどれだけの傷を植えつけてしまうだろう。
分かっているから、楓夏は嵐に会わない。
「君、名前は?」
「日向穂琉三」
「じゃあ日向、嵐に伝えて。私を探さないでくださいって」
「それじゃ……」
あの物語と一緒だ。
せっかく君は病が治ったのに、このまま終わってしまうの。
悪魔と契約した者はたった一瞬の幸せしか掴めない。
「楓夏、死ぬならせめて嵐に会おう。会って君が伝えたいことを」
「ごめん。それは私にはできない。これ以上大切な人を傷つけたくはない」
楓夏の目には涙が浮かんでいた。
十三日、嵐とともに異世界へ行ったのは間違いだったのかもしれない。
あの時異世界へ行かなければ、楓夏はこんなにも傷つかなかった。
嵐が傷ついてしまったから、楓夏の心は傷ついた。
「でも……」
結局君は幸せを掴めたのか。
君はこれでいいのか。
最後まで願いも果たせず、後悔を残して。
「さよなら。楽しかったよ」
そう言った楓夏の顔は、地面から生える無数の木々に阻まれて隠された。
「楓夏ああああああ」
僕は木々をかわしてなんとか彼女のもとまで向かおうとするが、木に押し込まれて近づけない。近づいたところで木の壁が僕の接近を阻む。
「本当にこれで良いのか。まだやり残したことがあるんじゃないのか」
「ないよ。もうやりたいことはやった。だからもう……十分だよ」
「嘘だ」
「嘘じゃない。他人のあなたが何を知っているっていうの」
「あの時悪魔が泣いていた」
「……それが、どうしたっていうのよ」
「あれはお前の涙なんじゃないのか」
確証はない。
でも、もしも悪魔が楓夏の心の一部分を奪っていたのなら。
「……違う。私はもう……、いいんだ。だから探さないで。私を見つけないで。私を一人にして」
そんな願いが叶って良いはずがない。
孤独の辛さは誰よりも知っているつもりだ。
僕は必死に木々を素手で砕き、木々の隙間から手を差し伸ばす。
「楓夏、一緒に行こう。嵐に会いに行きたいんだろ。だからお前はあの病院にいたんだろ」
「違うって言ってるでしょ」
楓夏の感情に呼応し、木々はより一層威力を増し、無数の木々に押し出される形で楓夏から引き離される。
この手は楓夏に届かない。
そのまま背後に出現していた扉に押し込まれ、扉の先に広がっていた病室を転がる。
「楓夏っ!」
僕はすぐさま起き上がって扉に手をかけようとするが、その前に扉は閉められ、消えた。
最後、さよならを言った君の顔を、僕は見ることができなかった。




