物語No.40『五蝶嵐・プロローグ』
幼い頃の俺はケンカばかりしていた。
他人と自分の考えが合わない。
そんな当たり前のことに俺はイラついていた。
勉強のできる奴できない奴。
運動のできる奴できない奴。
誰もが等しいわけじゃない。
誰もが違いを持っている。
なのに俺は、全てが等しくあってほしかったから。
──どうして?
俺の妹は生まれつき身体が弱かった。
歩くにも補助が必要で、青空の下を走り回ることもできない。
それでも楓夏は俺を恨むことをしなかった。
常に笑顔で、心配なんてさせてくれなかった。
誰もが平等だったなら。
誰もが対等だったなら。
そんな世界だったなら……
──俺は笑えていたのだろうか。
♤
今でも覚えている。
蝉の鳴き声がうるさく、太陽が妙に眩しかった夏の日。
麦わら帽子を被り、杖をついてひまわり畑を歩いていた楓夏が突然倒れた。
俺は何度も声をかけた。必死に叫んだ。
だが言葉は返ってこない。
俺の手を握り返した楓夏の熱だけが、俺の手にいつまでも残り続けた。
数日後、楓夏が死んだ。
ひまわり畑に行く約束をした日に、既に寿命は迎えていたらしい。それから一ヶ月、ひまわり畑に行く日まで楓夏は生き続けた。
どうして……。
不思議と涙が止まらなかった。
こんなにも辛い気持ちになったのは初めてだった。
俺は、結局楓夏に何かしてあげられたのか。
兄として、俺に笑顔を向け続けた妹に。
どうして……。
どうして……。
何もできなかった俺に恨みの言葉を吐かなかった。
いつまでも思い続ける。
俺ができた唯一のことは、ひまわり畑に連れていったこと。
いや、本当にあいつはそれで満足したのか。
結局あの日、楓夏は死んだ。
楓夏があの日何を思っていたのか。
俺は知ることはできない。
死人に口なし。
なんて残酷な話だ。
まだお前と話したかったのに。
罪は俺にあるのに。
どうして世界は楓夏を奪った。
あの日から毎日、俺はひまわり畑に通っている。
そんなことで償えるとは思っていない。
またあの日を再現したら楓夏が蘇ってくれるのではないか。
理想を抱えて俺はひまわり畑をさ迷い続ける。
楓夏のいない、ひまわり畑を。
ひまわり畑に通い続けて一年。
ひまわりの咲いていない季節も通い続けたが、結局楓夏には会えなかった。
それでも毎日ここへ足を運んでいる。
またあの夏がやって来た。
楓夏を失ったあの夏が。
蝉のうるさく鳴く声、太陽がやけに眩しく、世界が仄かに見えてくる。
ああ、後ろを振り返れば、また楓夏が現れるんじゃないか。
名前を呼べば……
俺は振り返り、名前を呼ぶ。
「楓夏」
俺は目を疑った。
振り返った先、そこにはひまわりに祈りを捧げる少女がいた。
楓夏と同じ太陽のような髪色、楓夏と同じく肩下まで髪を伸ばし、楓夏と同じ翡翠色の目をしている。
服装は楓夏と同じ純白のワンピースに麦わら帽子。
自分の願いが叶ったのではないか。
祈りを捧げる少女が楓夏に見え、彼女のもとへ駆け寄る。
俺は自然と足を止める。
いや、分かっていた。
分かっていたけど……
少女は俺に気づき、顔を向けた。
楓夏に似ている顔だが、楓夏ではない。
奇跡なんて起こるはずがない。
分かっていた。
でも……、
「どうして泣いてるの?」
俺は泣いていたのか。
少女は心配そうに俺を見つめ、翡翠の瞳で問いかける。
「ごめん……。一瞬君が……亡くなった妹に見えて……」
俺は涙をぬぐいながら答える。
涙は溢れ、止まらない。
そんな俺を心配してか、少女は俺にそっと近づき、純白のハンカチを手渡した。
「これ使って」
「え、でも……」
「泣いている君をただ見ているだけなんて、私にはできないからね」
少女は太陽のような笑顔を向けて言った。
その笑顔は、楓夏によく似ていた。
「君は……」
ハンカチを受け取り、俺は彼女と楓夏を重ね合わせていた。
「私は朝花。よろしくね」
「俺は嵐。よろしく」
楓夏が死んでから一年。
俺は楓夏によく似た少女に出会った。
朝花。
俺はもう一度君に会いたいと思った。
君は楓夏じゃない。
でも、君に会いたいと思った。
また次の日、俺はあのひまわり畑に行った。
風に揺られ、舞う花びらの中に、君を見つけた。
♡
中学に上がり、俺は百花学園に入学した。
俺が入学してから一年後、朝花も百花学園に入学した。
白を基調とした制服。
胸ポケットには花冠の紋章が刻まれている。
朝花を見ていると楓夏のことを思い出す。
どうして君は、こんなにも楓夏に似ているの。
彼女の顔を見る度に、俺の脳裏には夏の憂鬱がよぎる。
君を楓夏に重ねている。
いつまでも重ね続けるのだろうか。
いつか君を朝花として見る日は来るのだろうか。
そんな日々に、やがて異世界が訪れた。
高等部一年が始まった日。
ひまわりが咲く花園の湖で、人魚に会った。
「やっほー、私は八百比丘尼。やがて君の学園が異世界と接続する。そこで君たちに接続者として魔物と戦ってもらいたい」
意味が分からなかった。
なぜ俺と朝花が選ばれた。
しかも魔物と戦う。
それは命懸けだった。
俺と朝花は八百比丘尼から詠唱魔法を習得した。
とはいっても、長文詠唱は魔力や熟練度の関係から不可能。
できるのは一言詠唱。
自分の魔力を込め、愛着を持った道具への命令程度の未熟な魔法。
「槍よ飛べ」「槍よ降れ」「槍よ来い」といった単純な命令。
俺は初日に八百比丘尼から受け取った〈銀翼蝶〉と呼ばれる槍でモンスターと戦い続けた。
八百比丘尼が言うには、銀翼蝶と呼ばれるモンスターから造られた武器であり、自然と風を纏うらしい。
朝花は詠唱魔法による回復を担当し、前線には立たせない。
また失うわけにはいかない。
もう誰も失いたくない。
だから俺が強くならなくちゃ……
「なあ八百比丘尼、もっと強い詠唱はないのか」
「詠唱は基本降りてくる。相伝の詠唱とかはあるけど、多少のリスクもあるから降りてくるのを待つしかないね」
「どうやったら降りてくる?」
「一概には言えないけど、限界を超えた戦いの中でなら、詠唱の一つや二つは降りてくるんじゃないかな」
それからも俺は戦い続けた。
だが一向に新たな詠唱魔法を獲得することはなかった。
強くなりたい。
大切な人を守るために。
なのに俺は、どうして強くなれない。
そしてあの日が来た。
五月七日。
百花学園に森の悪魔が現れた。
扉から現れた巨大な木が、朝花を拐った。
「逃がすか。朝花、俺は──」
槍を振るい、襲いかかる木のモンスターを次々と斬り倒し、森の悪魔に肉薄する。
あと少しで槍が届く。
もう少しで朝花を取り返せる。
槍を振り下ろした。
その間際、地面から突き出た巨大な根が俺の腹を強く撃ちつけた。
衝撃を受け、地面を二転三転して大地を転がる。
「あ……っ、あと少しで朝花を……取り返せたのに…………」
森の悪魔が異世界への扉を潜ろうとしている。
逃がすわけにはいかない。
俺はもう、失いたくないから。
突如、俺の周囲の風が揺れる。
その風が俺の右腕に握られた槍へ集まる。
必死に力を振り絞って立ち上がり、槍を握って投てきの構えをとる。
「守りたい君のために。
『嵐槍』」
自然と湧き出た言葉。
その言葉とともに槍には風が勢いよく巻きつき、その槍を敵に向けて投げつけた。
槍は森の悪魔の体をえぐった。木々は砕け、朝花を抱えていた枝も折れかかっている。
このまま攻める。
「槍よ来い」
俺は槍を手もとまで戻す。
握りしめた槍を再度投てきの構えで──
刹那、地中から飛び出した根に頭を撃たれた。
気を失うほどの一撃に足取りはふらつき、そのまま体を地面に倒した。
立ち上がれない。
何とか顔だけ上げると、既に森の悪魔は異世界へ続く扉をくぐっていた。
「朝花っ!」
追いかけようにも動かない。
足が、腕が、意識が遠退いていく。
次第に扉は閉じられ、
「…………」
朝花は異世界へ姿を消した。
俺は朝花を守れなかった。
まただ。
また失うのか。
俺は……
──本当に弱いな。
だから強くなろう。
朝花を取り戻すために。
俺は朝花を取り戻して、ある気持ちを伝えたい。
だからどうか、それまでは──
「生きていて。朝花」
必ず取り戻す。
命に変えても。




