物語No.32『許しの後で』
屋上には愛六、雫、藍が集まっていた。
愛六が言い出すよりも早く立ち上がった藍が雫に身体を向ける。
「ごめん。俺は、自分のためだけにお前を殴った」
「……」
藍は頭を下げた。
雫はしばらく頭を下げ続ける藍を見下ろしていた。
拳を強く握り締め、シワができるほど目を閉じる。
「許せないよ」
爪が食い込む手のひらからは血が流れ出る。
「今まで私がどんな思いをしたのか、分からないでしょ」
「…………」
「本当は下ろした首を切り落としたいくらいだよ。でも、そんなことをしたって私の気は変わるわけじゃない。むしろ人を殺した苦しみに狂うよ」
血で滲んだ手で頭を押さえる。
「でも、あんたに会わない間に愛六がいたから。結構楽しかったんだよ。これだけ長い年月が経てばとっくに気にならなくなってるよ。だけど、顔を見て、今のあんたの行動を見て、また殺意が生まれ変わった」
雫の目は真っ直ぐに藍を見る。
右手にナイフが握ってあれば、すぐにでも刺すような鋭い眼光。
「もしあんたが許してほしいなら、二度と私の前に顔を見せるな」
「……分かった」
当然の仕打ちだ。
藍は口答え一つせず受け入れた。
「今までごめん」
去り際、藍が残した言葉。
それはわずかに雫の表情を歪めた。
屋上には愛六と雫の二人きり。
隠していた全てをさらけ出された雫と、全てを知った愛六。
二人とも第一声に悩む。
「雫、私は弱いんだ」
「……え?」
第一声を放ったのは愛六だった。
「大切な人を守れなかった。私は弱さを嫌った。古い自分を嫌った。でも、別にそうする必要はなかったって気づいた。どんな過去で過ごしたって、大切なのは今だから」
大切な人を失った。もう戻らない。分かっている。胸を苦しめる過去を乗り越え、愛六は気づいた。
「雫の過去を知った。でも今のあなたを私は知っている。自然を慈しむ優しい巫女だ。あなたが側にいてくれて、あんな過去があっても生きていられた」
雫の手を掴む。
自分と同じ手の大きさ。
ぎゅっと握ると、握り返される。
「弱さがあっても良いんだよ。それは私が側にいて埋めるから。だから雫も私の側にいて、私の弱さを埋めてね」
「うん」
雫は目に涙を溜める。
「私、いじめられてたんだ。ようやく解放された。そう思ったのに周りは私と兄を責めて……ずっと、辛かったんだ。心臓が死ぬほどの思いをした。でも、愛六に会えた」
過去は散々なものだった。
思い出せば苦い表情を浮かべるほど辛く、深く胸に刻まれている。
「ありがとう。私は、これからもあなたの側にいる。だから、愛六も側にいて」
お互いが伝え合った。
弱さも、願いも、全てをさらけ出して裸になった。
お互いの熱を感じながら、そっと身体を寄せ合う。
抱き合いながら、大声で泣く。
二人きりの夜の学校で、雫が二人を濡らす。
「「大好きだよ」」
星空の下で、ありがとうを君に。
♤
早朝。
私は昨夜のことを思い出して目覚めた。
寝れそうにもないので、顔を洗いに洗面所に向かう。
「あっ……」
「えっ……」
既に洗面所には雫がいた。
「なんか起きちゃった……」
「そうなんだ……」
雫は顔を拭き、私に譲る。
顔を洗って洗面所を出ると、外で雫が待っていた。
「今日は朝食私が作るよ」
「うーん。いや、一緒に作ろ」
「いいね」
一緒にキッチンに向かい、料理を始める。
私がフライパンに油を垂らし広げた後で、雫が卵を二つ割る。
「雫、毎晩あんなモンスターと戦ってるんだね」
「うん。ちょっと大変だけど、まあもう一人仲間もいるから何かあっても助けてくれるんだよ」
「へえ、いい関係なんだね」
「とはいっても最近まで最悪な関係だったんだけどね。色々あったけど、なんだかんだ上手くやれてるよ」
愚痴をこぼしながらも、料理を着々と完成させる。
慣れた手つきで雫は米を炊き、二十分後、私たちは横並びで食卓につく。
雑談を交わしながら、食事を終えた。
家を出る時間になる。
雫が玄関まで迎えに来る。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
扉を開け、山を駆け上がる。
いつもより身体が軽かった。
一歩一歩が海底を歩くような浮遊感。
海よりも高く、空に向かって、私は歩みを進める。




