物語No.31『裸にさせられて』
既に時刻は二十四時になりかけていた。
初等部区画の校舎の屋上に、藍と雫はいた。
雫は足と腕を縄で縛られる。
藍は両手にはめた鉄の拳をぶつけながら、やがて来る彼女を待っていた。
屋上に続く階段を歩く音が聞こえる。
足音はゆっくりと。
扉が開かれ、彼女は現れた。
藍の口角は跳ね上がる。
「待っていたぞ。本家から捨てられたあいろく」
「あいろくじゃない。愛六だ」
「どっちでも良いだろ。どのみち落ちこぼれであることに変わりはない」
落ちこぼれ。
今までの愛六であれば、その言葉を聞いて正気を保っていられなかった。
今は違う。
冷静に藍の言葉を受け止める。
「私は落ちこぼれだよ。友達の一人も守れないんだ」
「じゃあなぜ来た。死ぬために来たのか」
「いいや、取り返しに来たんだ。雫を返せ。もう二度と私たちの前に姿を現すな」
強い口調で言い放つ。
「本当にうるさいな」
藍はイラついていた。
視線を雫に向けた後、水が溜まったプールに向く。
「言ったろ。俺は続きをしに来たんだ」
「ちっ……」
愛六は雫のもとへ駆けつける。だが間に藍が割り込み、拳を振るう。
片腕で受け止めるが、止めきれずに後ろに滑る。
腕の骨折が完治していない、というのもあるが、それ以上に強かった。
拳の威力は穂琉三よりも上だ。
「どうした? 一撃で意識が飛んだわけじゃねえよな」
体格差。
年齢差。
様々なアドバンテージを持った藍。
愛六は負傷状態で挑む。
「……っ!」
愛六は周囲に目を配る。
藍も不思議に思い、視線をたどる。
「……あっ!?」
頭上を炎を纏った鳥が飛んでいた。それだけでなく、雲に乗った異形の怪物や羽のついた狼。
多種多様なモンスターを目にする。
「接続は始まった。藍、今度こそお前を逃がさない」
「大量の化物か。面白えな」
最初は動揺していた藍だったが、すぐに笑みを浮かべる。
羽のついた狼が藍に向かって下降する。
藍はゆっくりと敵に向かって顔を向けると、
ドンッ!!
激しい音を伴い、次の瞬間、狼の頭は鉄拳と床に挟まれていた。
狼は血を吹き出し、そのまま動かなくなった。
「だからってどうってことねえな。そう思うだろ? あいろく」
最初の頃、モンスターとまともに戦えなかった愛六は絶句していた。
見て数秒、状況に適応した才能。
「殴り合おうぜ、あいろく。どちらかが死ぬまで」
勝利を確信しているが故の、絶対的自信。
愛六は怯み、竦む。
だが、
「お前の願いは叶わない」
疾走し、藍の懐に迫る。
藍は拳を二三度振るうが、全てかわされる。
距離は詰めたまま、真下から顎に飛び蹴りを当てる。
「ぐっ……」
蹴りは直撃した。
しかし藍は顎を掻くだけで、それほど痛みを感じていなかった。
「弱いな。弱いぞ」
大振りの拳が愛六の腹に直撃する。
身体を浮かせた愛六はそのまま吹き飛び、床を転がって壁に激突した。
「呆気ない。その程度でどうやって雫を救うつもりだったんだ」
「なあ、どうしてお前は雫を苦しめる。家族だろ。妹だろ」
「家族でも妹でもない。こいつは俺から全てを奪ったんだ」
「奪った……?」
愛六は首をかしげる。
藍は雫を一見し、そして言った。
「雫はいじめられていた」
雫は顔を青くし、二人から顔を逸らした。
「俺はただそれを止めたかった。だから雫をいじめていた人間全員を一人ずつプールに沈めた。当然手足を縛ってな。だが先生が駆けつけ、俺は雫と一緒に退学させられた」
「やめて……」
雫は耳を膝で覆って背けようとしていた。
「そうか。それが雫が私に秘めた弱さ……」
愛六は知る。
雫が隠し続けてきた秘密を。
「俺はただ救いたかっただけだ。なのにどうして俺の学生生活は奪われた」
苦悩を漏らす。
「お前が相談しなければこんなことになっていなかった。全部お前のせいだ。だから、」
藍は雫を抱き上げる。
「やめろ」
腹痛に侵されながら、懸命に足を動かして顔に飛び蹴り。腕に阻まれ、弾かれる。
愛六が吹き飛んでいる間に、プールに雫を投げ入れようとしていた。
水が満タンまで入ったプールはギリギリ顔が出せないほど深くなっている。
「結局お前には何も守れねえよ」
プールの底に沈む雫。
手足を縛られた状態では、出ようにも出られない。
鼻や口から水が入り、嗚咽。
苦しみの声すら外には届かない。
藍はプールにも目を向けず、怒りと憎悪に震える愛六を見る。
「悲しいか。憎いか。全部お前が弱いからだ」
「本当だ。私は弱い」
きっと愛六は悲しみに暮れている。絶望に打ちひしがれている。
思い込んでいた。
だが、
「だから、頼って良かった」
愛六は笑っていた。
「ぐはっ……」
プールから声が。
振り返れば、手足を縛られていたはずの雫がプールから抜け出していた。
「どうして……って……誰だお前は!?」
雫の側には少年がいた。
くせ毛だらけの黒髪。
「いつだ。いつからいた!?」
「私とお前が戦ってる時だよ。その間にこっそりプールに忍ばせた」
藍は開きっぱなしの屋上の出入り口の扉を見る。
「そうか……。最初からそういうつもりで……」
呆然と状況を俯瞰する。
自分の作戦の失敗を悟った。
「藍、お前が今に至る理由は分かった。だがそんな行き場のない怒りを振るっているだけでは心は晴れない」
「分かってる。そんなことは俺が一番分かってんだよ」
藍は激昂し、地面を殴る。
わずかな亀裂が生じるほどの一撃。
「穂琉三、扉を塞げ」
「分かった」
穂琉三は屋上に繋がる扉を閉じた。
屋上には二人きり。
愛六と藍は距離をとり、睨み合う。
「和泉藍。私はお前は殺したいくらい憎い。だが殺さないでいてやる」
「度胸がねえな」
「殺す度胸がないことは恥じるべきことなのか。バカにされるようなことなのか」
「ちっ……」
「私はお前を否定する。それでも、殺したらそこで終わってしまうから、殺さずに倒す」
「二対一ならまだしも、一対一で俺に勝つつもりか」
これまで愛六は藍に圧されてばかりだ。
しかし愛六は怯むことなく、むしろ微笑む。
「ありがとう」
「何を……?」
愛六は手と手を合わせ握りしめる。
「『斑』」
藍の目の間に小さな水が球状を保って浮いている。眼球ほどの大きさしかない。
「『水槽の君』」
直後、膨れ上がる水球。
頭を包み込まれ、藍は慌てふためく。
動揺から動き回ったために、踏み外してプールの中に落ちる。
愛六はプールに飛び込み、藍を引き上げた。
「がはっ、今のは……」
「私、魔法が使えるんだよね」
「なんだそれ」
咳き込んだまま四つん這いの藍。
隣に座る愛六に襲いかかることはない。
「負けを認めるか」
「ちっ……。ああ負けだよ負け。ってか魔法を使う奴にどう勝てば良いんだよ」
「なあ藍、約束してくれ。もう雫に暴力は振らないって。これ以上あいつを苦しめるな」
「……分かったよ」
不服そうに答える。
「お前がいじめを止めようとしていたのは本当なんだろ。その心意気は正義だ。だがやり方は間違っていた」
反論しない。
「人を救いたいってのはお前の中にないわけじゃない。だから、今度からは誰にも誇れる方法で人を助けろ」
「なんだお前。俺を励ましてるつもりか」
「一人でも多く悪人が善人に変わってほしいだけだよ。未来で私が生きやすくなるようにね」
「だりぃ」
藍は濡れた髪をかき上げ、退屈そうに言った。
見上げた先で空を飛ぶモンスターを見る。
「ところでお前、あれは何だ?」
「毎晩ここに出るモンスターだ。私たちは毎日あれと戦っている」
「そうか。やっぱお前、本家だな」
「何それ? からかってんの」
「違えよ。ってかホントに瀧戸家のこと何も知らねえんだな」
「……え? このモンスターって瀧戸家と関係があるの?」
愛六は驚いた。
冗談のような発言だったが、もし本当なら質問の通りの可能性が高い。
「ああ、瀧戸家って──」
「二人ともご無事でしたか」
藍の言葉を遮ったのは神妹境娘。
「良いところで邪魔をするな。お前は」
「そうだったのですね。それは知りませんでした」
とぼけたような顔に愛六は苦笑い。
「では和泉藍、あなたの記憶を消しましょう」
「やはりそうなるか」
もし記憶を消されれば、雫に手を出さないという約束も消える。
そうなれば今回の戦いは水の泡となる。
「しかし、あなたは瀧戸家の分家ですので特例措置としましょう。条件付き開示禁止で済ませてあげましょう」
「なるほどな」
藍は状況を完全に理解していたわけではなかったが、特に質問することはなかった。
神妹は藍の頭に触れ、金色に発光する。
「では、秘密ですよ」
「分かったよ」
愛六は空にいるモンスターを見上げる。
「雫は?」
「彼女にも同様の措置をとりました」
神妹の背後から雫が姿を見せる。
「私は帰ります。ちなみに他にも条件付きで開示禁止の情報があるので、好きに質問してあげてください」
神妹は帰り、屋上には愛六、藍、雫の三人が残された。
しばらくしてモンスターは金色の光の柱に貫かれ、消失する。




