物語No.21『瀧戸愛六・プロローグ』
あの日、私は扉に出逢った。
四月一日。
私は高校生になった。
高校生になったとは言っても、幼稚園から大学までの一貫校。親しい友達と離れ離れになるわけでもないので、心機一転というわけでもなかった。
学校では私は注目される。
勉強ができ、スポーツもでき、顔も良い。
この学校で私のことを知らない人はほとんどいないほどの有名人だ。もちろん良い意味で。
友達も多く、新しいクラスでもすぐに中心人物となった。
「嬉しいよ。あの愛六さんと同じクラスになれるなんて」
「私も一度話してみたかったんだよね。学校一の才女さんと」
私の席にクラス中の女子が集まった。その中には男子も数人混じっている。
──私は人気者だ。
この人生に何不自由なく暮らしている。
少しだけわがままを言うなら、たまには一日中一人で静かに過ごしたい。
毎日誰かと一緒にいる。寂しさなんて感じないくらいずっと誰かが側にいる。
だからこそ、ある人物に少しだけ興味を抱いていた。
いつも一人でいる少年。
日向穂琉三。
一日だけ入れ替わってみたいと思う。いざ入れ替わってみたらすぐに戻りたいと思うだろう。
そんなことを思いながら、私はその日を過ごしていた。
放課後。
いつもなら顔を出すはずの部活を私は休んだ。
この日の私はいつもの私と少しだけ違っていた。
いつものような毎日に飽き飽きしていた。高校になってもいつも通りの毎日が灰色に見えた。
だから変わろうとした。
マスクをつけ、眼鏡をつけ、いつもと制服の着方も変え、普段の私から一新した。
誰にも気づかれないような装いで学校を歩いた。だがすぐに皆が私に気づいた。
「あれ? 何で眼鏡?」
「なんかいつもと雰囲気変えた?」
「それでも分かっちゃうよね。オーラってのがあるからさ」
私は気付いた。
一人にはなれないのだと。
それが私には残酷なことのように思えた。
だから思った。
──異世界に行きたい。
私を誰も知らない世界に行きたい。
もっと静かに暮らしたい。
そんな願望を抱きながら、私は学校を歩き続けた。
気付けば第三校舎の屋上にある、誰にも使われていないプールまで来ていた。誰もいない。
私はそこにあるそれを見て、目を疑った。
水のないプールの底に、木が生えていた。
六メートルはあるかと思われる木は、まるで海の底にあるような暗い青色をしており、ドアノブがついていた。
「あれは……」
噂で耳にしたことがある。
異世界に繋がる扉があるということを。
異世界を望んだ時、異世界を望んだ者の前に現れるという不思議な扉。
私は期待に胸を膨らませた。だがすぐに冷静になり、未知数の異世界に行くことに躊躇う。
その先に安全が保障されているとは限らない。
「見るだけなら……ありかもね」
扉を開けるだけ。くぐりはしない。
そう決め、私はドアノブの側に立った。
ドアノブに手を掛けた時、途方もない冷たさが全身を掠めた。まるで海の中に沈んでいくような冷たさ。
恐怖はあった。
扉を開けてすぐ、魔物が襲いかかってきたら。
恐怖を圧し殺し、扉を開けた。
──瞬間、大量の水が扉の中から溢れ出し、ドアノブから手を離して水流に飲まれた。
なんとか壁に手をつけ、急いでプールサイドに上がる。幸い、水はプールの中を満たすだけで、それ以上溢れることはなかった。
プールの中を覗くと、扉は閉まっていた。
「はぁ。閉まってなかったら大惨事になってたね。にしても扉の先が海とかついてないんだけど」
愚痴を吐き出しながら、プールサイドで荒い呼吸を立てる。
「おや、あなたですか? 我を解放してくださったのは」
声が聞こえた。
周囲に人の姿は見えない。
ただ目の前に青い光球が浮かんでいるだけ。
「まさか……」
光球が喋ったとでもいうのか。
そんなファンタジー過ぎる話、信じられるはずがない。
「我はミナカと申します。主に水属性を得意とする精霊です」
だが信じざるを得ない。
周りに人がおらず、声が聞こえてくる方向には青い光球がある。
意外にもすんなりと受け入れられた。あまりにもおかしな状況のはずだが、驚きもそれほどなかった。
「ねえ、あなたは異世界から来たの?」
「はい。そして、これからあなたに仕えさせていただきます」
私は望んでいたのかもしれない。
この時を。
「そうか。なら、私を異世界に連れてって」
「はい。お任せください」
私は異世界へ行く。
新しい自分に会いに行こう。
「契約、精霊ミナカ、私に従いなさい」
屋上へ続く扉が開かれることもなく、その女子生徒は私と精霊の前に現れた。
まるで太陽の光を限りなく受けたような黄金の髪を揺らし、金色の瞳でこちらを凝視する女子生徒。
「私は神妹境娘。これからあなたたちに使命を与える」
彼女は告げた。
学園が異世界と接続する時間が存在することを。
その時間、学園が異世界によって侵略されるのを防ぐため、精霊とともに戦って学園を守ること。
それを一年間達成した時、異世界へ行くことを許可すると。
「ミナカ、彼女は誰?」
「分かりません……。しかし彼女のせいで我の力に制限がかかったようです」
「私は神妹境娘。この学園を守るために存在している」
神妹境娘と名乗った彼女は、まるで空気の読めない回答をした。
「私がそんな答えを求めていると思ってる?」
「最適な回答ではなかったでしょうか」
「私が聞きたいのは、どうして私があなたの勝手な話に巻き込まれなきゃいけないの、ってこと。あなたがいなきゃ、私はとっとと異世界に行けたのに」
精霊ミナカが力を制限されたということ、そして彼女の話から察するに、私たちを異世界へ送りたくはなかったのだろう。
ミナカの力の制限はおそらく、異世界へ行くことを阻止するための一手。
「あなたが選ばれたからです。それに、異世界には一年経てば行けます」
「今すぐ行きたいの」
「しかし異世界で生き抜くには力が必要です。この一年で異世界から侵略しに来る存在と交戦し、生き抜く力を身につけなければ、異世界へ行ったとしてもすぐに死にますよ」
「ミナカ、それは本当なの?」
「あながち間違いとも言い切れません」
だとしたら反論できないじゃん。
彼女の言う通り異世界に行ってすぐに死ぬんじゃ、意味がない。
私は大きくため息を吐く。
「仕方ないわね。じゃああなたの望み通り、学園を守るために戦ってあげるわよ」
正直、この決断は受け入れがたいものだった。
異世界に行けばこの学園にも未練はなくなったのに。
最悪だ……。
なんてことを思いながら、私は夜を待った。
二十三時五十九分。
私は共同区画の時計塔の上でミナカと話していた。
「ねえミナカ、神妹境娘を倒せばあなたの力の制限は解除されるの?」
「されると思いますが、制限された状態では彼女を倒すことは不可能でしょう」
「だよねー」
というか相手の力を制限できる時点で、明らかにこっちより格上じゃん。
神妹境娘の雰囲気は、圧倒的強さを持っているから故の余裕さにも思える。
実際のところは不明だが。
「何……!? 空気が変わった」
突如、肌を切り裂くような感覚が襲う。
「学園が異世界と接続しました。神妹境娘の言う通りであれば、学園のどこかに異世界と繋がる扉が現れ、モンスターが出現します」
「面倒ね」
私は準備体操をし、戦いに備える。
「ところで、魔法の使用は全部ミナカがしてくれるんだよね。私必要?」
「魔力は愛六様のものを使うため、側に居てくれなければ魔法の発動ができません」
「私が使ったりはできないの?」
「魔法の使用は習得できなくもないですが、生まれつき魔法のない環境で育った場合、習得するのはとても難しいかと」
「できなくはないんだね。じゃあ後で詳しく話を聞かせて」
せっかくの魔法。覚えないわけにはいかない。
「砂煙が上がっています」
ミナカはある方角に寄って言った。
高等部区画、そこで砂煙を確認した。
私は急いで階段を駆け下り、高等部区画を目指す。
「にしてもこれから一年、この仕事をやり続けるんでしょ。さすがにしんどいわ」
と言いつつも、日常からは得られない高揚感があった。
自分だけしか味わえないこの日常。
私は期待していた。
だけど、
「──はっ!?」
高等部区画には人の姿ではない、明らかに異形のモンスターが大量に徘徊していた。
既に校庭に、モンスターから逃げ回る少年がいた。彼の側に赤い光球が浮かんでいる。
「私と同じ……」
「我々の他にもいたんですね」
なんで私の他に。
しかも彼の走る先には明らかに不自然な扉があった。
「あれが異世界に繋がっているという扉か」
赤い光球は鍵になって少年の手もとに落ちると、それを握りしめた少年は扉を閉め、鍵穴に鍵を差し込んだ。やがて扉は霧散し、直後、学園中に徘徊していたモンスターが光の柱に貫かれる。
私だけの非日常。
そう思っていたはずが、私だけじゃなかった。
私だけが浸っているはずの優越感が消え失せた。
「あれは……日向穂琉三か」
学校でも大人しいあいつが私と同じ……。
その後、神妹境娘から異世界に行けるのは扉を多く閉めた方だと言われた時、私の中に不思議な感情が芽吹いた。
どんな手を使ってでも私は勝たなければ。あいつより上に立って、私は証明する。
異世界に相応しいのは私だと。
この世界で何でもできる私が、彼より劣っている点など一つもない。私が負けることなど絶対にない。
「ミナカ、私に魔法を教えて」
勝つために、異世界に行くために、私の日々が始まった。




