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一人一人に物語を  作者: 総督琉
第一章1『日向穂琉三の葛藤』編
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物語No.19『そこにある幸せ』

 僕は部屋の隅で無様に転がっていた。

 何か意味があるわけでもない。

 たださ迷う心が行き場をなくし、僕に何の気力も起こさせない。

 端っこにうずくまって無様な人生を送っても、今の心では受け入れてしまう。


 駄目なのは分かってる。

 愛六を一人で戦わせないって思った矢先、結局逃げてる。


「お腹空いた」


「穂琉三……」


 ヒルコは僕を側で見ている。

 本当は起き上がって、筋トレでもして戦いに備えるべきだ。

 それでも全身を堕天使に抱かれたような気だるさが消えない。

 もう全部がどうでも良くなるくらい、身体は怠惰を訴えていた。


「穂琉三、いるか」


 扉がノックされる。

 後ろで聞こえたのは母親の声だ。


 母さんとは寮生活になって以来会っていない。

 学校では生徒と教師という関係であり、誰にも家族の関係であることは知られていない。

 愛六は知っていたが、おそらく母さんから聞いたのだろう。

 誰も家族であるというのを知らない以上、寮で教師と密会するわけにもいかない。そのためここに来るのはないことだと思っていた。


 どうして……。


「入るぞ」


 母さんは僕の答えも待たず、扉を開けた。

 鍵をかけ忘れた扉は簡単に開き、母さんは僕の背中と直面する。


「穂琉三、しばらく話をしていなかったから、したい話が山ほどあるんだ。まずはどれから話そうか」


 そんな前置きをして、母さんは僕の側に黙って座り込んだ。


「学校は大変か」


「…………」


「大変だよな。学校には一万もの生徒が通っている。それだけの人がいれば意見の食い違いだって出てくるし、嫌いな生徒、好きな生徒も出てくる」


 僕は黙って母さんの話に耳だけ傾ける。


「好きな生徒が転校することだってある」


「……っ」


 特別不思議なことじゃない。

 ただ仲が良かった友達の一人が転校したってだけの話。


「穂琉三はさ、辛かったか?」


 僕は涙が溢れた。

 突然、不意に涙が溢れる。

 本音も感情の起伏にしたがって溢れ出す。


「辛かったんだ。嫌だったんだ。苦しかったんだ。好きだと思える人ができて、まだ気を遣っちゃうくらいの仲だった。本当はもっと仲良くなって、もっと僕を知ってほしかった」


「辛いよな。苦しいよな」


「最後の時も、思いを伝えられなかった。せめて最後に思いだけは伝えたかったのに、いきなりのことで心の整理がつかなかった」


 もっと早く転校すると分かっていれば、思いを伝えられていただろうか。

 分からない。

 だけどもう少し彼女と話したかった。

 一秒でも長く、桜の花びらが落ちるまでのわずかな間でも長く話したかった。


 結局僕はどこまでいっても勇気が出ない。

 伝えたいはずの言葉さえ伝えられない。

 大好きな人に約束の一つも取りつけられない。

 また会おうって言えば良かったのに。

 大好きだよって言えれば良かったのに。


「僕は彼女との距離を、もっと近くに感じたかった」


「やり残したことはいっぱいあるな」


「もっと思い出を作りたかった……」


「そうか……」


 母さんは僕の話を静かに聞いてくれた。

 思いの吐露を受け止めてくれた。


「穂琉三、少し出掛けないか」


 まだ夕焼けが降りる前の空を見上げながら、僕は母さんとともに校舎を歩いた。

 どこへ向かっているのかは分からなかったが、次第に行き先が分かり始めた。

 共同区画にある部活棟、八階にある部室。表札には不思議写真同好会という文字が刻まれている。


「穂琉三、お前は後悔しているか」


「うん。後悔だらけだよ」


「後悔は避けられない。だがな、後悔に浸りすぎていてはすぐ側にある幸せに気付けない」


「幸せなんて……」


 幸せは今の僕には到底遠いものだ。


 母さんは扉を開け、中には入らず僕を促すように扉の横に立つ。促されるままに僕は部室へと入ろうと一歩を踏み出した時、

 中に立っていた撮鳥さんが道を塞いだ。


「日向、あなたは最後、三浦と何を話したの」


「何も……話してない。僕は何も言えなかった。彼女に何も伝えられなかった」


「そう……」


 あの晩、三浦さんに別れを告げられた。

 そして僕らは一人ずつ彼女に呼び出され、話をした。

 撮鳥さんが先に呼ばれ、彼女と話した。

 次に僕も呼ばれ、彼女と二人きりになった。


 緊張で何を話したのか、ほとんど覚えていない。というより何も話していない。

 僕はただ彼女と見つめ合い、言葉を交わさなかった。

 思いを伝える勇気はなかった。


 最後にお互い「さよなら」を言い合って終わった。ただそれだけの時間だった。


「日向は三浦のことをどう思ってたの」


「……好きだった」


「なら尚更悲しいよね。三浦が転校したことは」


 当たり前だ。

 泣いたって晴れないくらい悲しい。


「こんなに楽しい日々があるって知らなかったんだ。三浦さんがいなくなって、もう何もかも色を失って……」


「日向は三浦を思ってくれている。じゃあさ、部室に入ってきてよ」


 撮鳥さんは僕を部室の中へ促す。

 中に入るなり、広がった光景に僕は目を瞬かせる。

 部室の壁中に貼られたたくさんの写真。以前来た時は風景写真ばかりだったが、全てリニューアルされ、三浦さんの写真がたくさん貼られている。


「これからもまた部室に来てよ」


 撮鳥さんは壁に貼られた写真を見ながら言う。


「だって私と三浦との思い出はこんなにあるんだ。でもこれだけの量、一人で見ているとちょっと寂しい。だから私の話し相手になってよ。これまでの三浦との話を共有したいからさ」


 母さんは言った。

 後悔に浸りすぎていてはすぐ側にある幸せに気付けない。


 こんなに近くにあったんだ。


「撮鳥さん、ありがとう。僕、またここに来て良いんだよね」


「もちろん。いつでも歓迎するよ」


 僕は気づいた。

 幸せは僕の側から失くなったわけじゃない。すぐ側にある幸せに僕が気付いていなかっただけなんだ。


 この場所を大切にしよう。

 思い出を積み重ねよう。


 この場所から、僕は自分を変えよう。




 僕は屋上へ赴く。

 誰もいない屋上で、柵に手をつけ、空を見上げる。


「三浦さん、僕は君のおかげで毎日が楽しいと思えるようになったんだ。生きることの楽しさが分かるようになったんだ」


 ずっと辛かった。

 慣れていたはずの苦しみは、楽しさを知った今、辛いものだと実感した。


「三浦さん、僕はあなたに会えて良かった」


 本当にそう思う。

 三浦さんがいたから、僕は今生きている。


「三浦さん、僕は……」


 あの時言えなかった言葉を。

 直接伝えたかった言葉を。

 思いに乗せて伝える。


「三浦さんが大好きだ」


 届くだろうか。

 そう思いながら、僕は空に叫んだ。


 隠し続けた本音を。

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