物語No.16『空腹感』
子供の頃、母がよく本を読んでくれた。
英雄が命を懸けて世界を救う話、天使が英雄を天国まで送り届ける話、その天使が英雄を生き返らせろと周囲から罵られて悪魔に堕ちる話。
いろんな話を聞かせてくれた。
中でも印象に残っているのが、魔術師が道行く人に一つだけ望む魔法を与えていく物語集にある一つの話。
道端で倒れている少年がいた。
その街では飢饉が起こり、大量の餓死者を出していた。少年には家族がいたが、飢饉が収まらない日々が続き、一人、また一人と家族を失っていった。
最後に溺愛していた妹も失い、少年の心は既にボロボロに砕けていた。
そんな少年のもとに魔術師は現れた。魔術師は魔法を一つだけ与えることを告げると、少年は言った。
「食べ物を生み出す魔法」
少年は自由に食べ物を生み出し、人々に配った。瞬く間に餓死者は減り、全員が満足に食べることができた。
少年は多くの人を救った。だけど最愛の妹を救うことができなかった。ずっと負い目を感じていた少年は、自ら命を断った。
もう少し早く魔術師が現れていれば、少年は英雄になれたのだろうか。
幼い頃にその話を聞いた僕は何を思ったのだろう。
改めて図書館でその本を読んでいる僕は、自分の無力さを痛感していた。
もう少し早く魔法に出会っていれば、三浦さんのお母さんを救えたのかもしれない。
「穂琉三、そんなことを考えるのはやめよう。どれだけ考えたって叶わないものは叶わない」
ヒルコが言い聞かせる。
分かっている。
だけどじっとしていられない。
手が届きそうな場所にいるのに、魔法だって使えるのに。
「ヒルコ、魔法について教えてよ」
魔法についてヒルコから聞いたのは少しだけ。
精霊魔法は主である僕の魔力を使用し、精霊が魔法を行使する。
異世界では多くの人が自分の力で魔法を行使できるため、あまり主流の魔法ではない。
だがこの世界のように、魔法の使えない者が多くいる世界では精霊魔法はとても重宝されるものだ。
「あくまでも私の知る限り、そして精霊魔法に限るが、魔法は人を選ぶ。お前が火属性の器を持っているのは、火に認められているから。多分心は熱血なんじゃないか」
「僕が?」
自分が熱血だと思ったことはない。むしろその逆だ。
火がメインなのは、きっといつか読んだおとぎ話の誰かに憧れてのことだろう。
「愛六は水。水のように冷静沈着。静かに物事を考えることができるから水の器を持っている」
「でも川は時々荒れるよ」
「そういう面も持っているな」
僕の意地悪にヒルコは流すように返答する。
「実際のところ、私にも詳しいことは分からない。ただ精霊魔法は精霊が誰に従うかによって、または相性によって大きく変わる。お前の心が英雄のような力を求めているから、私はお前の火の部分を引き出せる。もし癒せる力がほしいなら、気分転換に森林浴をしてみればどうだ。何か変わるかもしれないぞ」
僕次第で使える魔法も変化する、ということだろうか。癒しの魔法を手に入れることもできるかもしれない。
小さな可能性だが、僕は試してみることにした。
いつもモーニングルーティーンを行っている森で座禅を組み、瞑想していた。
なんとなく癒されている心地だ。
それを一時間続けるが、案の定、変化はない。
そもそも魔法の発動は全てヒルコに任せている。変化があっても僕には気付けないだろう。
「穂琉三、まだ続けるのか。明日のために身体を休めておくのも重要だ」
先ほど学園で一戦を繰り広げてから二時間ちょっと。
確かに身体には疲労が溜まっている。
ただでさえ夜中戦わなければいけないせいで寝る時間は遅い。
「明日のモーニングルーティーンは七時からでいい。ちゃんと寝ておけ」
正直、瞑想なんかして結果を得られるとは思っていない。
何をすればいいのか曖昧だからこそ、心が落ち着かない。
せめて明確なルールが分かればいいのに。
僕はどっと疲れた身体でベッドに入る。
疲れているはずなのに眠れない。
何度も寝返りをうち、快適な体勢を見つけては目を閉じる。だが心がズキズキして、眠らせてはくれない。
「三浦さんは眠れているだろうか」
彼女のことばかり気にしてしまう。
今の彼女の心境が不安だ。
結局眠ったのは一時間三十分後だった。
いつもより遅い就寝のはずが、起きたのは六時半。
慣れというやつで起きてしまう。
なぜか空腹感が強い。
僕は冷蔵庫の中身を漁るが、あるのは今日の弁当と余った卵焼き。
僕は弁当の中から肉を一口つまみ食いして、また布団に潜る。
眠れない。
寝起きなのに目が冴えている。
頭も不思議とよく回る。
といっても、三浦さんが今何をしているかだけを考えている。
そういえば撮鳥さんが言っていた。
人はいついなくなるか分からない。
僕は楽観視していた。
三浦さんが学校からいなくなることはないだろう。
まだこの気持ちは隠しておこう。
その後、ヒルコとのモーニングルーティーンを終え、学校へ行く。
ホームルームに三浦さんの姿はなかった。
視線だけ彼女の席に送る。
今日は三浦さんは一日休みだろうか。
そう思っていたところ、午後から三浦さんが出席した。
休み時間、僕は勇気を出して三浦さんの席へ行こうと腰を上げた。
だがそんなことをするまでもなく、三浦さんから僕の席に来た。
「日向くん、今日も昨日みたいに遊ぼうよ」
「あ、うん」
真っ先に母親のことを聞こうと思ったが、彼女の作ったような笑顔を見ていると、その質問も言葉には出せなかった。
心配だ。
放課後。
三浦さんと一緒に部室に向かう。
その間、三浦さんはあからさまに母親の話だけはしなかった。
意識を取り戻したのか、それとも倒れたままなのか。
分からない。
それが余計、不安を煽った。