物語No.10『誇れる自分になりたくて』
なぜか、母の言葉を思い出していた。
人に誇れる自分になりなさい。
惚れた女性に誇れるほどの男になりなさい。
母はいない。
代わりに育ててくれた母親代わりの女性が言った言葉。
その人を僕は誇りに思っている。
いつだって僕と真摯に向き合ってくれる。
どんな困難にだって冷静に立ち向かい、決して他者に八つ当たりしない。
豊富な知識、並外れた運動神経で物事を解決する。
彼女のようになりたい。
彼女のように誰かに誇れる自分になりたい。
今の僕は誰に誇れる?
決まってる。
僕は誰にも誇れない。
♤
時計の針がどちらも十二を差した頃、学園に静寂が訪れる。
その学園の時計塔に、瀧戸愛六は立っていた。
側には青い光球ミナカが浮かんでいる。
「また時計塔の真下に扉が出現したら、私は死ぬな」
まだ治りきっていない左腕と左足を押さえながら呟く。
昨夜の戦いで全身に深傷を負ったものの、ミナカの治癒魔法によってある程度の傷は治った。
だが完全な治癒とはいかない。
左腕の骨はまだ折れており、上手く動かせない。左足は歩く度に些細な痛みを感じる程度だ。
動けないほどではない。
だが安静にしていた方がいい。
それでも愛六は戦いを優先する。
「愛六様、やはりあの少年に任せるべきではないですか」
「アイツは来ない。だから私がやるしかないんだ」
愛六は穂琉三を信じていない。
一度逃げ、それからずっと逃げ続けている穂琉三を信用などしない。
ただ失望だけを浮かべる。
「ミナカ、敵の位置の確認を」
ミナカは穂琉三の話題をやめた。
愛六とミナカは周囲に視線を巡らせる。
それは高等部。
砂煙が上がっている。
「ミナカ、場所は高等部だ」
階段を駆け降り、急いで高等部区画へ向かった。
高等部へ到着して早々、愛六は足を止めた。目を見張り、校庭を見る。
校庭には扉があった。
それだけならすぐに扉を閉じることができた。
だが、愛六はそれをしなかった。できなかった。
まるで扉を守護するように、周囲を素早く走り回るモンスターがいた。
馬の姿をしたモンスター。背中には炎を纏っている。
「私と最も相性が悪い」
愛六はひきつった表情で敵を見る。
「愛六様、この相手は……」
「とことん私を追い詰めたいみたいだな。これは意地が悪すぎる」
「水玉を出しますか」
「ああ。どのみち戦わなきゃいけない」
ミナカは水玉を愛六の側に出す。
愛六は水玉を自身の周囲に浮遊させる。
「高速で動く相手に対し、どう水玉を当て、窒息させるか」
愛六は思考する。
しかしその一体だけに意識をむけるわけにもいかない。
現在進行形で扉から出現するモンスターが愛六に向かう。
「『水槽の君』」
水玉でモンスターの頭を覆い、次々と溺死させる。
「このまま突っ込む」
考えてもモンスターが増えるだけ。
力が尽きる前に攻めるべきと考えた愛六は、扉目掛けて一直線に走る。
それを見た火馬は足を止めた。
「止まった! 今しかない!」
彗星のような軌道で飛ばした水玉が静かに接近し、背後から火馬の頭に覆い被さる。
このまま倒せれば障壁は消える。
だが愛六の期待を裏切るように、火馬は大地を疾走し水玉を振り切った。
「やっぱ無理か」
そのまま直進する火馬は愛六と距離を縮める。
回避しきれず、火馬の蹴りが愛六の腹に炸裂。
「ぐっ……、はぁ…………!」
身体の奥まで衝撃が走る。地面を転がる。
呼吸ができない。肺が上まで上がったように、一呼吸が苦しい。咳すら出ない。次第に涙が溢れ出す。
呼吸が戻った時、四方はモンスターに囲まれていた。
逃げ場はない。
奥の手であるミナカの禁忌は月一回限り。
もう使えない。
「愛六様!」
ミナカは愛六のもとに駆けつけようとするが、火馬に蹴り飛ばされる。
その火馬が社交ダンスのようなステップで高く舞い上がり、横たわる愛六の真上に。
「ああ……、死ぬ」
♤
身に染みて理解した。
私一人では扉を塞げない。
私はそのことが無性に腹が立った。
だったらどうしてあいつはいない。
命が途切れる音がする。
世界が終わる鐘が鳴る。
私はここまでだ。
終わり行く命は受け入れがたいものだった。
ああ、私はもっと生きたかったのに。
私にはやり残したことがあるのに。
こんなところで私は死ぬのか。
こんなあっさりと私の命は……
──終わってしまう。
私は目を閉じ、諦めた。
この状況を打開する方法なんて何一つない。
仕方がない。
だからもう、終わってしまう。
私の物語のページが終わる──
「『火拳槌』」
──はずだった。
熱が私に伝播した。
目を開け、瞳に映った。
燃え盛る拳を火馬に向けて振るうあいつの姿が。
火馬は地面を転がる。
あいつは私の方へ振り向いた。
「愛六。一人で戦わせて……、ごめん」
かっこよく登場した割にはひどくカッコ悪い台詞。
せめて「大丈夫か」とか心配してほしかった。
会話が下手で、気遣いも下手。
私は頬を膨らませる。
少しだけ怒った。
だけどあいつらしい行動に、思わず笑みもこぼれた。
そうだね。
お前はそういうやつだった。
本当は言いたいことが山ほどあった。
どうしてずっと逃げてんだ。何も言わずに去るくらいなら喧嘩しろ。こんな危ない戦場で一人にするな……とか。
一つ一つ挙げていけばキリがない。
だから一言。
私は言った。
「あとは任せた」
あいつは肩をびくつかせる。
相変わらず臆病だ。
臆病ながらも拳を構え、扉を見据える。
その前には起き上がった火馬が立ち塞がる。
正面だけでなく、周囲に目を配らせれば、モンスターの群れが私たちを囲んでいる。
「ヒルコ、いる?」
「ああ」
側には赤い光球が付き添う。
「勝とう。穂琉三」
「もちろんだ」
戦いが始まる。