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ミニーの靴下  作者:
第一部 新しい家族
5/7

初めての外出

 

 食事が終わったのは22時を回った頃だった。厨房に降りて食事を終えたダレナが戻ってくると、私は退席の挨拶をする。他の皆も、それぞれ誰かが付いているようだった。


 お腹がしっかりと満たされたせいか、うとうとして来た。子供にとってはかなり遅い時間だな、と半分寝ている頭で考えつつ、ダレナについて行く。





「さあ、マリアお嬢さん。お風呂は明日にして、今日は寝てしまいましょう。明日は朝から忙しくなりますが、体調が良くなったのは午後からだったし無理は体に良くないからね。」


 部屋に戻り、そう言うダレナにパパパーっと着替えさせられ布団へ押し込められる。


 本当は頭もベタ付いてるので嫌なのだが、たしかに眠い。私は、せめてタオルを頭の下に敷いて欲しいとお願いして寝ることにした。


「明日は何時に起きるの?」

「日付が28時に変わって、1、2、3、えーと8時ですね。結構早いですから、すぐにお休みになってください。」

「そうなのね、分かった。おやすみなさい。」


 こちらの言葉でおやすみの挨拶をすると、ダレナは静かにロウソクを消して部屋を出て行った。消したロウソクから、すごい異臭がして辛い。眠いけれど、耐え切れない臭いに布団を被ったところで、私は、先程の会話に引っかかりを感じたのを思い出した。


「ん?28時?日付変更が、28時?」


 思わず布団の中で呟いた私は、えーと、とさらに呟きながら考えを巡らしていく。


 もしかしなくてもこれは、1日の表し方も違うということ、だよね?


 …じゃあ、これを24時間に直すと、えーと?増えた4時間分は、2時間で120分だから…その倍の240分で、24で割ると…10分。…で、それを…えーと…24時間に充てると今の時間は…





 朝だ。

 考え事の内容が、ちょうど羊を数えるような計算問題だったせいだ。私のせいじゃない。ただいま朝の8時である。まだ日が昇り始めのように見えるが、ダレナが起こしに来たので間違いない。


 私は支度を手伝ってもらっている間に、時間の計算を始めた。


 うーん。8時までの8時間に10分ずつ返してあげると80分戻されるから、まずは60分戻して7時、そのあと20分戻して、6時40分だ。


 こちらの28時間計算では8時でも、24時間に直すと今の時間は6時40分頃のようだ。日が昇り始めのよう、ではなく日が昇り始めたばかりである。


 昨日は夕食を終えたのが22時過ぎだった。使用人の男が1時間毎に教えてくれたので間違いはない。寝たのはそのあと3〜40分後くらいなので、24時間計算であれば、19時頃に就寝した計算になる…はずだ。


 私は計算が苦手なので、間違っている可能性はあるが、多分合っていると思う。


 それにしても、とんだ常識違いだ。当たり前だと思っていたことが当たり前じゃない。少しの記憶を頼りに、全て分かった気になって行動するのは危険な気がする。


 ん?…そういえば、ダレナってどうやって時間を確認してるのかな?





「さあ、こっちですよ。マリアお嬢さん。」


 私は大きな門の前で一度、立ち止まった。ダレナがその先へ歩きながら声をかけてくるので、あまりキョロキョロしないように気をつけながら追いかける。


 …こんな大きい建物もあるんだ。


 ここまでは、人力車で来た。日本の観光名所で見かけるのと同じ形だが、乗るのは初めてだった。狭くてクッション性のない木の椅子に、木で出来た車輪である。当然、景色を楽しむ余裕なんてないのだが、速度が落ちたタイミングでチラ見した限りで、この道中に住宅サイズ以上の建物はなかった。門を囲うように塀があるのだが、その端から、この門まで来るのに10分は掛かったと思う。


 扉のない門は奥行きが結構あり、入ってから門を抜けるまでの間に映画館のチケットもぎりのような人に声をかけられる。


 ダレナが何かをやり取りしているようだったが、背が高いダレナと台の上に立っているらしい男の人である。私にはよく見えない。


「…はい。じゃあ入って右ですよ。」

「はーい。どうもね。さ、マリアお嬢さん行きましょう。」


 ただいま朝の9時。支度を終えるやすぐに連れて来られたため、24時間計算で言うところの7時半くらいである。何故こんなに早いかと言うと、実はここ『お風呂』なのだ。


 奥に行くと、古代遺跡のような石造りの建物があった。入り口が2つに分かれており、私たちは右の入り口から中へ入る。ここも扉は無く、最初の門よりも簡素で、『ジェンガ』を門の形に重ねただけのような作りだ。ただ、中は違う。きちんと脱衣所とトイレ、浴室が分かれており、豪華とは言えないが壁画も描かれている。


 …おー。なんか、映画で観たローマの温泉施設みたい。


 私が心の中で感動していると、またしてもダレナにパパパーっと脱がされた。今回は下着もなので軽く抵抗したのだが、残念な子を見る目で「誰も気にしませんから。」と言われた。そういうことじゃないんだけど。


 記憶の通りであれば、マリアはあまり口数が多い方じゃない。あまり強く抵抗すると怪しまれる可能性もあったので、しぶしぶ任せることになった。


 お風呂は温泉だった。排水先が気になるが、あの魚でも使っているんだろうか。大浴場は入り口から奥に向かって半分くらいまで、天井の役割としての布が張ってあり、あとはない。露天風呂だ。


 そして、『蛇口』や『鏡』もない。もちろん備え付けの『シャンプー』も。ただその分、浴場よりも浴槽が大きく、身体を洗う際は浴槽の温泉を掛けるようだ。


 私は見様見真似で、浴槽の近くに等間隔で固定されている石のベンチに腰を掛けた。


 ダレナがその横に置いてある壺にお湯を入れて私に掛けてくれる。石鹸1つで全身を洗われ、髪からキュッと軋む音が何度も聞こえる。これは如何ともし難い。赤味噌を溶かした味噌汁のような色の温泉に浸かりながら、ほっとひと息つく頃には髪がカピカピである。


「あ、ミニーじゃん。なんでこんな朝早くに来てるの?」

「あ、…久しぶり。ノア。」


 ふいにハスキーな声が聞こえて振り返ると、そこに居たのは幼馴染の『ノア』だった。

 京藤色みたいな明るく渋い紅紫の髪に、薄茶色の瞳。行動力があり、細かいことを気にしないタイプのノアをマリアは少し苦手に感じていたようだが、私にとっては、ジャンニと同じ年の頼りになるお姉ちゃんというイメージだ。


「あんた、全然見ないから何してんのかなと思ってたよ。元気だったの?」

「実は昨日まで熱があって、今日は久しぶりのお風呂なの。ノアは何でこんなに早く来てるの?」

「あ〜。また熱出したの?あんたしょっちゅうだね。私は朝の仕事で泥だらけになっちゃってさ。」


 軽い世間話を始めたノアは、まだ子供なのに仕事をしているようだ。マリアは、聞いてなかったのか忘れているのか分からないが知らないようだ。ひとまず怪しまれないような聞き方で、何の仕事をしているのか聞いてみよう。


「ノアの仕事ってどんなことをするの?」

「え?あー。まぁ、皆と同じだよ。畑と違うのは、毎年同じ木になる実を収穫するから害虫駆除とか、どんな肥料を使うかの研究とかが必要なとこかな?」

「そっか。ノアが担当しているのって何の木?」

「あたしは『シャク』だよ。と言っても、まだ言われたことをするだけだけどね。」


 湯に浸かっていた髪の毛をノアの隣にいる女性が小さなタオルで拭き始めた。シャクとは、記憶で見た梨っぽい果物のことだろうか。よしよし。上手く引き出せた。ノアは果物屋さん。覚えた。


「はぁ。去年は売れ残りが多かったから、兄さんたちは冬に隣町まで行かされたんだって。今年はなんとか早目に売り切れたらいいな。」

「冬に隣町行くのって大変なんだね。」


 ぼやくノアに、なんて返せばいいのか分からない。私はそろそろ、のぼせて来てるのでオウム返しでやり過ごすことにした。


「そりゃそうだよ!シャクをたくさん荷車に乗せて、それを押して行くんだから。馬車で数時間の所を半日以上掛けて歩いて行くんだよ。売り上げが良ければ宿を取ってそのまま泊まれるけど、ダメだったら引き返さないと寝床もないし、家に着くのは真夜中か、酷いと朝になるんだよ。」

「うわぁ。それは大変だ。」


 ノアの仕事場はかなり過酷なようだ。こんなに可愛い子が果物を売ったら即完売しそうだが、住民の懐にもよるだろう。それに、仕事をしているとは言ってもまだ子供だ。誘拐や事件に遭ったりしないかも心配になった。


 そういえば、売りに行ったのは、お兄ちゃんたちだって言ってたから、ノアは果物農家の娘ってことかな?

 でも、ノアの隣にいる女性もダレナと同じように服を着たままで、ダレナと同じようなことをしている。ノアは果物農家のお嬢様なのかな。


「お嬢さん、そろそろ出ませんか?顔が真っ赤んなってますよ。」


 話を聞き流す予定がしっかりと聞いて、さらに考え事もしてしまった。私は、見た目で分かるほど完璧にのぼせたようだ。たしかに、ちょっと気持ち悪い。


 脱衣所に戻り、着替え終えるとダレナが小さな果物を持って来た。パイナップルっぽい味のみかんだ。水が欲しかったけど、水分の多い果物で良かった。


 お風呂に入って、やっと人間らしさを取り戻せた気がする。ここまで来たら歯も磨きたい。


「ダレナ、歯をきれいにするものってある?」

「え?歯ですか?」


 そんなものは無いと断られてしまった。…ショックだ。私はあまり歯が強くなかったので、毎食後5分以上の歯磨きとフロスは習慣になっている。昨日は流石に忘れてしまっていたけれど。


 …歯ブラシと歯磨き粉、フロスの代わりを探すしかないかぁ。どうしよう。


 マリアの歯がどうとかではない。単純に気持ち悪いのだ。私はその後トイレへ行き、ペーパー代わりの草で歯を拭った。歯垢はあまり取れた気がしないのだが、気持ち的にマシだ。この葉と同じ物がどこに生えているかも分からないし、ティッシュもない。布はダレナが最小限持ってきた分だから使えなかったのだ。トイレにあったものなんて、という日本人的な考え方はポイっと捨てた。


 それにしても。


「あぁ。気持ち良かった。朝からお風呂なんて最高だね。ここは何時から何時まで開いているの?」


 文化的にかなり遅れていそうなこの場所に、お風呂は正直期待していなかった。水だったらどうしよう、とか掛けるだけだったらどうしよう、とか、実は結構不安だったのだ。髪の毛を毛先から、丁寧に櫛で梳かしてくれていたダレナの手が止まる。


「お嬢さん、ここはずっと開いてますよ。そんなことまで聞いてくるなんて。…昨日もそうだったけど、なんだか変ですよ?」


 訝しそうに問いかけられ、ヒュッと喉に空気が入る。


 …まずい。


 そう思った瞬間、鼓動が早くなってきた。


「いっ…つもダレナに付いてくだけだったから。」


 ここに、鏡が無くて良かった。ダレナが、髪を梳かしている時で良かった。


 なんとか明るい声を絞り出すことは出来たけれど、目が泳いでいるのは自覚がある。私は、ダレナが覗いて来ないように、捲し立てて言葉を重ねていく。


「これまでは、何にも考えてなかっただけだよ。なんでも良かったし。…でも、熱が下がってスッキリしたら、今まで気にしてなかったことが気になるようになったみたい。」


 少しだけ大人になったんだ。と、思って欲しい。そんな風にしか、今は伝えられない。


「そうだったんですね。まぁ興味を持つのは良いことだけど、あんまり驚かせないでくださいよ。」


 私の想いが伝わったのだろうか。なんともないような声で、ダレナの言葉が返ってきた。


 安心感で体の力が抜けていくのを感じる。


「うん。びっくりさせてごめんね。これからは、何かあったらすぐ言うようにするから。」


 ダレナが手を動かし始めたのを感じて、今度はちゃんと、笑顔で答えた。


 この体は、私であって私じゃない。元の主がいるのだ。それを分かってはいても、記憶をもらったとしても、感覚的には知らない世界に飛び込んだままの状態だ。慎重に言葉を出さないと今回みたいに、するっと間違えてしまう。


 緩んだ時が引き締め時。…気をつけよう。


 もう何度目かのダメ出しと自分との約束。バレたら何がどうなるか分からないのだ。


泣かれるのも精神的にしんどいだろうが、それだけでは済まないと思う。追い出されるかもしれないし、最悪売られるかもしれない。髪を梳かし終え、荷物をまとめるダレナをじっと見つめる。


 経験値的には大人だが、この世界を知らない常識知らずである。しかも、見た目は子供。どう考えても生きていける気がしない。


 私は、ふるふると頭を揺らすと、歩き出したダレナの後ろを追いかけた。



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