最後の記憶
「さっむぅ。あとどれくらいで着くの?」
横殴りの吹雪に当てられ、隣を歩いた子供のマフラーが捲れ上がった。外に出ると、駅構内を歩く人々の騒めきとアナウンスの声が遠くなっていく。
仕事を納めて迎えた年末。
早々に降り始めた雪を振り払いながら、私は夫と子供を連れて実家に向かっていた。実家はここからバスに乗って少し歩くとあるのだが、小学生の子供と歩けば大人よりも時間が掛かってしまう。掛かる時間に予想がついた私は、眉を寄せながら答えた。
「あと30分くらいかなぁ?……どうする?」
新幹線を降りたばかりで寒暖差がつらい。せっせとマフラーを巻き直している子供を引き寄せ、私は夫に声をかけた。辺りを見ると、少し先にタクシー乗り場が見える。
「じゃあ今日は、タクシーで向かおうか。」
私が言う前に夫がそう言ったので、三人でタクシー乗り場へ向かった。
都会と違ってすぐに乗れたタクシーの車内は暖かい。隣で眠る我が子の重みを感じつつ、私は、降り続ける雪と次第に暗くなっていく街並みをぼんやりと眺めていた。
実家で年越しなんて何年ぶりだろう。……すき焼き、早く食べたいなぁ。
毎年の大晦日といえば、夫の姉(未婚:看護師)と、妹夫婦が三人の子供たちを連れて帰ってくる日である。例年通りであればこの時間、夫の両親を含め家族総出で、掃除やテーブルセッティングにてんやわんやしているはずなのだ。
だが今年は違う。
12月中旬、義姉から夜勤で行けないと連絡が入ったのだ。今年は希望者が多く、休みが取れなかったそうだ。そして、当初は問題ないと言っていた義妹夫婦からも一昨日、子供が熱を出したとの連絡が。
こんなことは結婚以来初めてだ。たまには義両親に穏やかな年明けを迎えてもらうのも良いだろう。
そう思った私が夫に、久しぶりにうちの実家で年越しをしないかと提案したのである。実家恒例のすき焼き大晦日が目的ではない。
とはいえ、肉料理を好まない義両親を持つ私である。暫く食べていないすき焼きを楽しみにしているのは確かだ。国産の高級和牛もお土産に買ってきた。
すっきやっき、すっきやっき、ひっさしっぶりー
脳内で能天気な歌を流しつつ、真顔で窓を見つめる私の様子は、周囲から見ていれば普通の人なのだろう。誰に何を言われるでもなく、車のラジオと夫の道案内の声だけが聞こえる心地よい時間は、長期間の休みに入ったことをぼんやりと私に感じさせてくれた。
ーーーチカッチカッ
雷の音に合わせるように、実家の蛍光灯が二回点滅した。停電するかな?なんて思っていたら、同じように感じたのだろう。
「今夜はかなり積もるみたいだねぇ。」
大きなザルにたっぷりと切った野菜を乗せて運ぶ母が、窓を横目にそう言い、こたつに向かう。私は縁側にたくさん並べられたケースから好みの銘柄の瓶ビールを二本取り出し、掃き出し窓をきっちり閉めてこたつテーブルに置いた。
すでに夫と父は出来上がってきていて、子供はすき焼きを食べてお風呂に入り、夢の中だ。
「もう。またそんなに切って、さすがに食べきれないよ。お母さんもそろそろ休んでこっちで食べよう。」
「残ったらまた明日使うからいいの。あんたも全然食べてないじゃない。ほら、肉入れて。」
そんな会話にもならない話をしながらテレビを見つつ、私はすき焼き第二弾に手をつける。そしてキュポッと音を立てて蓋を開けた瓶を持ち上げ、そのキンキンに冷えたビールをコップに注いでいく。クツクツと音を立てる鍋と、口に含んだビールの泡が消えるジュワッという音のハーモニーが耳に心地よい。
「最っ高!やっぱり、すき焼きにはビールだね!」
お肉を食べながら飲み干したビールの美味しさに、思わず本音が漏れる。私はこの小さなコップで飲むのが大好きなのだ。瓶ビールの美味しさに気づいてからはジョッキで飲むことはほぼ無い。
「ちょっとあんた卵何個使ったの?!肉ばっかり食べずに野菜も食べないと。」
「まぁまぁ。麻里も久しぶりに帰って来たんだし、それ位いいんじゃないか?ほら、これも食べなさい。」
まだまだ子供扱いしてくる母とじゃれあっていると、父からどんどん追加される私好みのおつまみ。
たまに帰って感じるこの何とも言えない安心感に、昨日までの疲れと緊張感がゆるゆると解けて消えた。
あぁ。明日はユキちゃんたち何時に来るんだろう。
母に姪っ子たちのことや従姉妹の近況などを思いつくままに聞いたり、子育ての話や子供の頃の話で盛り上がっているうちに年が明けていた。
それでも食べ続けた私が眠りについたのは何時だっただろうか。
……夢を見ていたような気がする。
食べすぎて苦しくて動けない。
暖かくて心地よく包まれてるはずなのに、苦しい。
………ドンッ!ず、ずず、ずしんっ!!
大きな雷のような音と、そのあとの何か大きな振動を感じた気がする。明日は屋根の雪下ろしが必要だろうか。…私は夢の中でそう思った。