夏の終わり、秋の初め
夏。持病に加えて別の病気があることがわかった。これは、かかりつけのクリニックで判明した。
秋。職場で倒れた。クリニックの院長に紹介状を頼み、大きな病院で診てもらった。すると、また別の病気だということがわかった。
私は、病院を避けてきたわけでは全然無い。きちんと健康診断も受けてたし、毎月の通院もしていた。
ただ、小さな病院ではわからない、もしくは、とてもわかりづらい病気が、ゆっくり進行していたらしい。科をまたいで総合病院で診てもらって、やっと納得のいく診断名がついた。
クリニックでは、「そんなに痛くなるはずがない。」と言われていた。でも、私はいつも左のお腹が痛かった。市販の痛み止めでは全く効かなかった。何年も不思議だった。
総合病院では、「いや、この病気は痛くなります!」と言ってもらえた。痛いのが、自分の勘違いじゃないことにまずホッとした。
それから、自分の痛みや悲しみに寄り添ってくれる先生に、やっと出会えたという喜びを感じた。
クリニックの先生も良い先生だったとは思う。けれど、「痛くなるはずがないのに痛いのは、私の感覚がおかしいのかな…。」と何年も悩まされる羽目になった。
自分の感覚を否定されると、自己肯定感が低くなると思う。
ー4年間。
4年の間、「あなたくらいの患部の大きさでは、そんなに痛くなるはずがない。」と言われてきた。それがひっくり返った。
クリニックの先生も、新しい病院の先生も、歳は同じくらいに見えた。でも、診察での言葉の選び方一つをとっても、優しさの深さが異なっていた。
治療方法の多さにも驚いた。クリニックでは一つ、一種類の薬しか提示されてこなかった。現在は、組み合わせも考えたら無限と言っていいくらいある。少なくとも私が死ぬまでには、全種類試せないと思う。
これから、家族と相談しながら、自分に合う薬を見つけていくことになる。ただし、どの薬にも副作用がある。とても怖い。
もう投薬治療は始まっていて、毎朝の吐き気がつらい。吐くのは怖い。痛いのも怖い。
仕事は、しばらくお休みすることになった。職場に迷惑をかけていると考えると苦しい。
私は、楽しい小説や楽しいエッセイを書きたい。でも、書く前にモヤモヤしたものがあると、それを押し込めたまま、楽しいことが書けない。
こうして、モヤモヤを字にしてみたけれど、誰が読んでも楽しいとは思えないエッセイだったはずだ。だから、最後まで忍耐強く読んでくれた画面の向こうのあなたに感謝している。
心でも体でも、自分が痛いと感じるなら、その痛みには自信を持っていいんだなと学んだ。そして、病院を転院する勇気も時には必要だと学んだ。勇気を出したおかげで、私は、心から信じられる専門医に出会えた。何年も抱えていた重いものから救われた気持ちだ。
学ぶことの多い、夏の終わり、秋の初めだった。