その三 真樹啓介、ラジオの謎を語る
三、
迷った末、例の古本屋さんなどに聞いてみるのはどうだろう、と思ったボクは、蛍に事情を話して、その若き古書店主・真樹啓介さんと会うことができた。
「あ、店長、来ましたよ。――こっちこち!」
「――やあ、大塚さんですね。話は蛍ちゃんから聞いてますよ。さ、どうぞ」
約束の日、例のラジオを自転車の荷台に積んでやってきたボクに、店先で待ち構えていた蛍はいつもの調子で、真樹さんはにこやかな顔であいさつをしてきた。はじめて会う真樹さんは思っていたより髪が長く、ちょっと不精な感じがしないでもなかったが、よく見ると細面で二枚目で、猫背気味だが、意外と背も高かった。なんでも、趣味で郷土史の研究をしているとか言ったから、机に向かう関係で猫背になりがちなのかもしれない。
ともかく、ラジオをおろして古書店「真珠堂」の座敷へ上がると、蛍が麦茶と一緒に、なぜか焼き鳥を持ってきた。昔から好きなのは知っていたけれど、こうして出されると正直面くらう。
「で? その奇妙なラジオの話、ちょっと教えてくれるかな」
焼き鳥があることを気にも留めず、真樹さんは麦茶を一口含んでから、ボクへ質問を振った。
「この子、おっとりしてるからよく伝わってなかったかもしれないけど……実におかしな、変なことがありまして……」
馬鹿にするようなことはないと思うから、と、前もって蛍から電話で聞いていたが、やっぱり気にはなった。
夜中に、ラジオの覚えのないツマミをひねったら放送が流れてきて……。こんなこと、普通は信用しないだろう。だが、話を続けている間の真樹さんの表情は、ひどく真剣だった。そして、ひとしきり話を聞くと、真樹さんはふむ、とつぶやいて、
「――まず、その剝がれてきたとかいうシール、それに、ラジオそのものをよく見せてもらえますか? なんとなく、心当たりがあるんです」
「――えっ?」
意外なほどにあっさりと答えにたどり着けそうで、正直面くらった。ともかく、ちゃぶ台の上へラジオをあげ、封筒に入れて持ってきた例のシールと一緒に見せると、真樹さんはあちこちをなめるように見てから、
「――蛍ちゃん、悪いけど真ん中の棚の、上から四番目、一番左の列のどっかにある『RCAコレクション』って大判の本を探してきてくれないか」
「――もぉ、人使い荒いんですから。わかりましたよ」
そういって本棚の方へ戻ると、慣れているのか、ほんの二分ほどで蛍は戻って来た。手にはもちろん、例の本を抱えて……。
「ま、そうむくれるな。どれ……」
ふくれっ面の蛍を見るなり、受け取った本を真樹さんはパラパラとめくっていたが、あるページまで来ると、大塚さん、と、ボクの方へ目線をあげた。
「まず、例のツマミの件ですがね。あなたの推理はお見事でした。ほら、これをご覧なさい――」
「――あ!」
そういって真樹さんが差した箇所には、例のラジオと同じものの写真が載っていた。しかも、ツマミは四つついている。
「こいつはアメリカのRCAという会社が作った、オールウェーブ式のラジオでしてね。国内用の中波ってやつとは別に、短波を使った海外からの外国向け放送を聞くことのできた優れものだったんです。この本によれば、どうやらアジア向けに、中波・短波の切り替えスイッチが問題の箇所へついているタイプがあったようですね」
「じゃ、あのツマミって……えっ、それじゃあ……」
いろいろな線が頭の中でつながり、ある答えが出てきた。
「もしかして、外国からの放送を聞いてた、ってことですか?」
自分でひねった記憶があるから、それで間違いないと思ったのだ。実際、真樹さんもそれを否定はしなかった。
「ま、そういうことになるだろうね。もっとも、それがはたして本当だったか、夢だったのかはわからないが……僕はもしかしたら、本当のことだったのかもしれないと思うのですよ」
「え、ええっ?」
「もー、店長ってば、そんなこといってツーをからかって……ひどい人だなぁ」
蛍が茶々を入れたが、ボクにはそんなことへ耳を貸す余力などなかった。というのは、話の前置きとして、真樹さんが例のシールを手にしていたためだった。
「まず、その答えに結び付くのがこのシール。こいつは戦前に行われたある取り締まり令のために、こうしたオールウェーブ式のラジオに貼り付けられた『不名誉の勲章』だったのさ。――大塚さん、僕はさっき、こいつは外国の放送を聞けるといったけど、それがもし戦争中だったら、どんな扱いを受けると思う?」
「……もしかして、違法だったんですか」
ボクの答えに、真樹さんはご名答、とカブリを振る。
「国内の各種マスコミは検閲が入っているわけだから、そりゃあ当然、そんなものの影響がない海外の放送を聞かれては困る。てなわけで、こういうラジオはお役所によって没収、あるいは放送が聞けないようにツマミを外されたり、ひどいと改造されたりした。で、それが終わると、お役人は検査済みの証である『封印』のシールを裏ブタのところへ貼ったのさ。うっかり詳しい人がいじって、元のように直されちゃ困るからね」
「あ、そっか。昔って右から書くから……これ、封印だったのか」
今さらそのことに気づくと、ボクは自分の鈍さを恥じ入った。
「でも店長ぉ、いったいどうして、そんなラジオが夜中に聞こえだしたんですかね。――終戦記念日、とっくに過ぎてるじゃないですか」
戦争という話題、そして夏といえば……という連想から、蛍が真樹さんへ質問を振る。なんとなく、そうした話題にかかわっているのかと思ったが、すでに九月に入っているので、振るに振れなかったのだ。
だが、意外なほどあっさりと、真樹さんはそのことも答えてくれた。
「そいつはおそらく、放送が聞こえた日付けに関係があるな。――たしか大塚さん、聞こえたのはおとといの晩、って言ってたね。戦後すぐのちょうどその日、GHQの後押しもあって、短波ラジオの受信が何年かぶりに合法化されたのさ。――と、ここに書いてある」
例の本の受け売りだったのに、ひどくまじめに語り出したものだから、蛍とボクはおなかを抱えて笑ってしまった。ひとしきり笑い終えると、真樹さんはあらためて、
「まあでも、戦争中は隠れて、受信機を作ったり、改造したりして海外の放送を聞いていた人が大勢いたそうだよ。もしかしたら、これが手入れ済みになっているのを隠れ蓑に、大伯父さんもそんなことをしてたのかもしれないね」
と、話をまとめてくれた。
「――もしかしたら一回忌にあわせて、大伯父さんが茶目っ気を出したのかもしれないね。末永く、嫁入り先でもこのラジオを使ってくれ……なんてさ」
「もー、店長ったら、ツーがお嫁に行くなんてずいぶん先ですよ。ボクボクいう癖の治らない女子大生、誰がもらうもんですか」
「このぉ、目の前でノロケるな!」
口癖を指摘してから、あからさまに真樹さんへ甘えだした蛍の姿に、ボクは突っ込みを入れた。なんとなく、頼り方がカップルのそれに似ていて、臭いとは思ったのだ。
「まあでも、その日まで大事にはしようと思います。――嫁入りか、婿をもらうかは別ですけどね」
そういってボク――大塚ひとみは、目いっぱいの笑みを浮かべながら、ラジオをさすってやるのだった。そろそろ秋へ差し掛かりそうな、そんな気配のある昼下がりのことだった。