その二 ツマミと放送と……
二、
目が覚めたのは、体感でざっと二、三時間後のことだった。セミが耳元で鳴くようなジャワジャワという音に起き上がると、ボクはその出どころを探った。
「なんだ、こいつかぁ」
出どころはすぐにわかった。つけっぱなしになっていたラジオから、単に放送終了後の、何ものらない電波が流れていただけなのだ。
「――肌に悪いし、早いところ寝ちゃおう」
と、そのまま電源のツマミへ手をかけたところで、ボクは眠気の吹っ飛ぶような驚きに襲われた。
「……噓、でしょ」
寝落ちる前に三つあったはずのツマミが、一つ余計に増えている――しかも、例の奇妙な穴の痕跡があったあたりに、堂々と控えているのだ。
「――いたいっ」
頬をつねってみると痛い。どうやら寝ぼけているわけではないらしいと気づくと、背筋からつま先へ、冷たいものが駆け降りるのが分かった。だが、
――これ、触ったらどうなるんだろう。
不思議なほどに、恐怖を補って有り余るほどの好奇心がボクを刺激していた。穴があった場所へ、ないはずのものが出てきた――。こうなれば答えは一つ、触るしかない、と、いささか乱暴な結論ではあったが、迷わずボクは手を伸ばした。
問題のツマミは、半分ほど回したところでカチリ、と音を立てて止まった。そして、今度はちょっと音色の違う、波が打ち付けるような周期のゆるやかなノイズと一緒に、ビッグバンドのジャズの演奏が流れてきた。
「……あれえ?」
流れてきたのが普通の音楽だったせいか、怖いとか、驚いた、とか、そういう感情がすべて吹き飛んでしまった。うすくボリュームを絞ると、ボクはそのまま布団へもぐり直し、ラジオへ耳を傾けた。夜中だというのに、胸が躍るようなその演奏に聞き入り、ボクはいつのまにか、生の演奏を聴いているような感覚に陥った。
そして、曲がクライマックスへさしかかり、見事演奏を終えると、わきたつ拍手につられて、ボクは小さく拍手をしてしまった。
――公開放送なのかな、まあいいや……。
ふっと沸き上がった疑問と一緒に、瞼を無理やり押し込めるような眠気が押し寄せ、ボクは再び、眠りの海へと漕ぎ出してしまった。
母親の声に目を覚まし、枕もとの時計を見るともう十時過ぎだった。昨日の興奮が抜けきらないまま、その曲を鼻で歌いながら階段を降りると、
「――なんだ、お前ジャズなんか聞くのか」
散歩から帰って来た父親と玄関先でばったり出くわした。
「きのうラジオで流れてたんだけど、曲の紹介聞かないうちに寝ちゃってさ……なんていうの?」
「――ベニィグッドマン楽団の『シング・シング・シング』だよ。そういや、死んだ大伯父さんも、よく聞いてたっけ」
偶然の一致に、なんとなく嬉しいような気分になる。祖父の兄弟の最長老である大伯父は、ボクをよく可愛がってくれていたのだ。
「――あ」
と、そこで不意に、昨日の不思議な光景のことがよみがえった。あの出来事は、果たして本当だったのか――。踵を返して階段を上がると、ボクは部屋の隅に置かれた、例のラジオのツマミの列を確認した。すると――。
「――ない、どこにもない……!」
たしかにあったはずの、四番目のツマミが影も形もなくなっている。そうすると、昨夜の出来事はやはり夢だったのだろうか?
「……あれ?」
その場から立ち去ろうとしたとき、裸足のつま先に触れる、ひどくカサカサしたものがあった。しゃがんで足元へ目をやると、牛乳瓶のフタを大きくしたような「印封」と書かれた紙切れが落ちている。
「もしかして、裏から?」
ラジオの裏ブタからはがれた、と思ったのは、この前もらいうけたとき、そちら側にいろいろと貼り付けてあった記憶があったからだ。そして案の定、同じ形の日焼けの跡がありありと残っていた。
「……いったい、これはどういうことなんだろうか」
押し寄せる疑問が、ボクの頭の中を堂々巡りしていた。