表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

トミーとマツの木の下に

作者: 若葉茂


 あの日は幸福に滅入る日でした。父が重篤なのです。そのためらいもなく傷つける悪罵で、その一貫不惑の罵詈雑言で、私の曇りない心を土足で踏み荒らした父が、です。私は陰口、タメ口が嫌いなように、父の悪口が嫌いでした。人の口は、羊たちの沈黙に耳をすませながら、すなわち屠殺場の悲鳴を耳に焼き付けながら、命をいただきます。だからこそ、その口から出る言霊は、自然の摂理に鼓舞されて、人を活かす、活人の言霊でなければならないのです。


 初めに言葉がありました。それは人を活かす言葉です。

 あの男、オワッテます。

 否、あの人はこれから始まる男性です。

 あの女、空っぽです。

 否、あの人はいつか満たされて、その悦びを知る女性です。

 何忍者?

 人人人人人。人人人人人。

 十忍者!

 にににんと、十忍者が駆けぬけて、言霊を投げてゆきました。

 人ノ人タル人ハ人ヲ人トトス。

 人ノ人タラザル人ハ人ヲ人トセズ。


 永い年月のこちらから選んだ疎遠をそのままにして、母から来たラインの、父危篤の知らせを、既読スルーにして、危篤スルーを差し上げました。巨大な天の圧搾機が取り払われつつあるのです。後には祭りの後のような寂しさだけが残るでしょう。


 私はそのとき、林檎の木の根方に腰かけて、雨脚が凄まじい速さで、緑が丘をブリリアント(・・・・・・)・グリーン(・・・・)に染め上げるのを見ていました。

 林檎を頬張りながら雨止みを待っていました。それはつかの間に訪れました。そのスピードで(・・・・・・・)。旧に復して、空は再び青さを取り戻し、陽は暖かく金色に輝いたのです。


 私には予感がありました。そうです、虹です。光りの爆発がはじまりました。雲居の高く、空は充たされてゆきます。青がある、オレンジがある、緑がある、紫がある。虹の両端は地上に落ちてきました。


 果たして、私は(ねぎ)ごとをしました。虹の消えないうちに。

 どうか父がやすらかに○△□ますように。

 願ごとは叶うでしょうか? 不得要領に笑うばかりです。○△□には古典の言葉が入ります。

 虹が消えると、歌姫の歌声が流れてきました。黄金なる林檎の木、美しく流るる歌姫の声、ですね。この歌姫の名前を若葉様は知っていますか?


 いつかこの虹を黒枠の額縁に描こうと思います。必ずヴィセント・ヴァンゴゥの「星月夜」の向こうをはれるはずです。題は「彼岸に渡る虹」にします。この絵が完成したら、トミー(・・・)とマツの木の下に埋めるでせう。私がたった今、歴史的仮名遣を使ったので、歴史的現在が、封印されていた小さな物語の魔法が解けたことを告げるでしょう。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ