9◆「冷酷無比で変わり者な辺境伯」について
物々しい雰囲気の銅馬車が列をなして王都を出る。馬車も大きいが馬も大きい。それが四頭で引いてるのだからものすごいスピードだ。
「すごい速さだな。二週間かかると聞いていたが、これならずいぶんと早く到着するのではないか?」
「ローレンス様の部隊はすべてが選りすぐりです。急げば半分の日程でアルゴンドラ領に着くことも可能でしょう」
「ほう」
馬車の中では進行方向へ背を向ける形でローレンスとラインハルト、オディールはその向かい側に座っている。王妃の茶会で会った時とはずいぶん違うが、ラインハルトはオディールをなかなか良いお嬢さんだと思っていた。
アルゴンドラの家は王家の血筋であるにも関わらず格式ばったところはない。厳しい環境で暮らすうちに「格式より合理性」というお家柄になったのだ。お家柄はそのままお国柄にまで浸透している。オディールは貴族の娘らしいかと言われたら全くであるが、アルゴンドラ家ではそう問題にもならないはずだ。彼女の物言いは王都の貴族相手では怒りを買うであろうが、飾らず回りくどくない言葉はやりやすいとさえ思う。
「さて…アルゴンドラ辺境伯」
「なんだ」
出発してからこれまで一言も口を利いていなかったローレンスである。突然話を振られたので、いささか口調が強くなったかもしれない。要はとても驚いたのだ。
「ローレンス様!何をぼーっとなさっているんです、オディール様ともっとお話をしませんと!」
ラインハルトにはわかっていた。ローレンスは顔を覆う前髪の奥から、ひたすらにオディールの挙動を見てはため息をついているのだ。そのうっとりと眺めていた相手から声を掛けられ、不意打ちを食らった気分であろう。
ローレンスがオディールをとても気に入ったのは喜ばしいことだが、このままではオディールと仲良くなどなれない。そして茶会の時とは様子が違うことは何も聞かないままなのか。ラインハルトはじれったくてしょうがない。
そんな二人にお構いなしにオディールは話を続ける。
「お噂は色々聞いている」
「噂?なんのことだ」
「冷酷無比で変わり者な辺境伯と言われているのをご存じないか」
オディールの言ったあまりの形容に、ローレンスとラインハルトは思わず顔を見合わせる。
「…あまり、王都で自分がどう言われているかは知らないが…」
「ローレンス様は貴族のルールから多少外れていることはあるかと思いますので、それを変わっていると言われるのはまだわかりますが…しかし冷酷無比とは全くの事実無根でございます!」
とんでもない言われように戸惑いと困惑はあるが、二人が怒り出す素振りはない。この時点で噂は当てにならないなとオディールは思う。どう見ても「冷酷無比」な人物の対応ではない。話の出所はゴードン伯爵だったと母の噂話を思い出し聞いてみる。
「ゴードン伯爵を領にお招きしたことがあったと伺ったが」
「ああ…あの魔獣が好きな方だな」
「凶暴な魔獣が出たとお伝えしていたのに温泉に向かわれた」
都会で生まれ育ったゴードン伯爵は本当に危険なことにあったことがない。魔獣が出ると言われても、それは屈強なアルゴンドラの兵士によって管理され、人のいる場所になど現れないと思っていた。
確かに温泉宿がある辺りはそうかもしれない。よほど危険があれば避難指示が出るが、営業ができないとなると生活に響くのでその判断は細やかにやらなくてはならない。しかし今回伯爵が向かったのは温泉街の更に奥、その昔、英雄王ジークフリートが魔獣を倒した時に負った傷を癒したとされる秘湯である。
基本的に田舎は自己責任である。危険な場所に「危険である」とは書いていない。魔獣の目撃情報があったにも関わらずそこに行って、何かあっても「バカだな~」で片づけられるのだ。
「よほど魔獣が見たいのだと思い、出たら駆除するよう兵士を付けて見送ったが」
「無事に見られたようでしたが…ゴードン伯爵が何か…?」
二人のきょとんとした顔にオディールは思わず笑う。
アルゴンドラ領から帰ってきたゴードン伯爵は、魔獣に襲われた自分にアルゴンドラ辺境伯は「笑いながら魔獣に会えて良かったなどという嫌味を言いよった!」とパーティーで触れ回っていたらしい。
それがいつしか「アルゴンドラ辺境伯の機嫌を損ねたゴードン伯爵は魔物の群れに放り出された」とか「魔物に襲われても見殺しにする」などという噂になったのだ。
本当に噂とは当てにならないものだ。