39◆思い通りにならぬことへのクレーム
(なんだこれ?)
フレッドはセーヌ侯爵のパーティーに出ればいつもよくモテていたし、店で腕のいい売り子に化粧をさせればどこの令嬢もご機嫌だった。本来ならそうであるはずなのだ。
それが変な化粧の女が来たと思ったら、まともな顔にしてやろうと声を掛けてやったのに無碍にされ、そのことを責められるなんてお門違いもいい所だ。
女性に美を施して賞賛を浴びるのは自分のはずなのに、そうはならないのも納得がいかない。そもそもあの女が最初からまともな化粧で来ていたらこんなことにはならなかったのに。
フレッドは自分が思い描いていたように何事も進まないのを、オディールのせいだと思った。今日のゲストで一番得点の高い女であったはずが、どんどん色褪せて見えてくる。
フレッドは楽しく語らう女性たちの輪に入る隙はない。それを遠目に見ながらフレッドは、よくよく見れば大した女ではないと自分を納得させる。
「…ブス」
小さく吐き捨てるように言えば、少し溜飲が下がる気がした。もともとあんな女は構ってやる予定じゃなかったのだ。こんな所にいるよりも、他の狙いの女や上客になりそうなゲストの方へ行った方がいい。そこであの女のことを、魔女みたいな化粧が好きな変な女だと教えてやろう、いい噂話になるはずだ。そう思ってフレッドは、ようやく立ち去るため踵を返した。
「今の言葉はまさか、女性に対して吐いたのではないな」
方向を変えた先に誰かがいたが顔が見えない。それは相手の背が高く、顔を上げないと見えないからだ。しかしこの仕立てのいい夜会服だけでもわかる。先ほどまで散々ちやほやされていた男だ。
オディールとかいう女はあのむさ苦しいアルゴンドラ辺境伯の婚約者らしい。では今日彼女を伴って来たのは身内であろう。ここはセーヌ領であり、セーヌ家の縁者である自分が文句くらい言ってもいいはずだ。
侯爵家からのクレームに口答えができる家など滅多にないことは承知の上だ。
「だったら何だ?あの女、本当はまともな化粧ができるのにわざわざ魔女のような顔をして、相手を騙すような真似ははしたないとは思わないか?」
「どこからどう見ても同じ顔に見えるが。しかし『あの女』とは聞き捨てならん」
クレームを聞く気がない男の態度にフレッドは苛立ちが収まらない。
「おい、僕を誰だと思っている?セーヌ侯爵家の親戚だぞ?」
この辺りの者ならフレッドがホストであるセーヌ侯爵家と繋がりがあるのは解っている。新顔の男は知らないのだろうと思い、知って後悔をする顔を見られると思ったが、相手の表情は動かない。何もかもが思った通りに行かない、今日は一体なんという日だ。
「お前、そうやってセーヌ家の名を出しているんだな」
大男の後ろから聞きなれた声が聞こえてくる。男が大きすぎて、他に誰かがいることにまったく気が付かなかった。表情を硬くしたセーヌ子爵が大男の後ろから現れる。
「お、おじ様…」
別に自分は間違ったことは言っていない。セーヌ家の親戚筋なのは本当のことだ。しかしダルク家はセーヌ家に嫁入りさせた家でもなく、縁と言っても薄いのは解っていた。
「ここでは騒ぎになる。こっちに来い」
「いや、おじ様違うんです。僕はこいつに非礼を注意しようと…」
静かに怒りを抑えていたセーヌ子爵は目を見開いた。
「アルゴンドラ辺境伯に向かって何という口の利き方だ!」
その声に周囲のゲストも何事かと目線をやる。楽しく話していたオディールたちも首を傾げているが、その中でマリアとスノーだけはフレッドの動向を伺っていた。
「最っ低」
「ざまみろですわ」
マリアとスノーはさっと顔を寄せて小声で言う。
「アルゴンドラ辺境伯って…あの熊男!?」
フレッドは驚きのあまり周囲に響く声量で言ってしまった。
「そうだが」
「ローレンス様っ肯定しないでください!」
平然と答えるローレンスにラインハルトは小声で言う。
ローレンスは遠目で空気が不穏なのを感じ取り、人の輪を抜けてこちらへやって来ていたのだが、ラインハルトが近づかないよう目線で伝えていたので、少し離れた場所から様子を伺っていたのだ。自分よりも強い者が現れると取り繕うタイプと見抜いてのことだ。そこへセーヌ子爵もやってきて一緒に様子を見ていたのである。
女性たちがオディールの元へ訪れ歓談が始まると空気が変わり安心したが、フレッドの捨て台詞は聞き逃さなかった。あれは悪意の証拠だ。
セーヌ子爵は問答無用でフレッドを会場から追い出すよう指示をした。言い訳をしようにも言葉が出ず、フレッドは意味をなさない言葉を吐きながらセーヌ家の警備の者に連れられて行く。
「アルゴンドラ辺境伯、失礼の詫びは改めて」
「オディールに二度と近づけないよう頼む」
「もちろん、セーヌ家にも金輪際出入り禁止です」
セーヌ子爵も足早に会場を出る。きっとフレッドの対応をするのだろう。今日の主役だというのに大変なことだ。
「ラインハルト、良い指示だった」
「何が聞こえてしまったかわかりません、オディール様をよ~く褒めてさしあげてください」
「そうしよう」
そう言ってローレンスはオディールの元へ向かうと、三姉妹とミアーラから歓声が上がった。
「お義兄様、本当にお義兄様!?」
「ローレンス様、今日はいっそう素敵ですわ」
「久しぶりだな、お嬢さん方」
オディールとローレンスを囲み少女たちは楽しそうに歓談を始める。皆の顔に一切陰りは見えず、ラインハルトもほっと一息つく。
「お疲れ様でしたわね」
そう言ってラインハルトにシャンパンのグラスを渡したのはマリアである。
「マリア嬢も。だがあまり無茶をしてはいかんよ」
「だって腹が立ったんだもの」
「オディール様と本当に仲がいいのだな。これからも末永くよろしく頼む」
「もちろんですわ」
ラインハルトへ渡したグラスに、マリアは自分が持っていた果実のジュースのグラスを当てて音を鳴らす。
「ところでラインハルト様はご結婚されませんの?」
「ローレンス様の結婚が最優先事項だったからな。これからゆっくり考えるさ」
「あら、そうですの」
ラインハルトはローレンスのような逞しさはないが、心は毅然としており知恵と優しさがある。ずんぐりとした見た目だって愛嬌があって良いではないか。マリアはニマニマとそんなことを考えていた。




