38◆謝る気のない男と美の女神
「お疲れ様でした、オディール様」
「…疲れた、マリア」
興味津々な人々に囲まれ笑顔で対応をしていたが、ダンスの疲れも相まってオディールの限界はすぐにやってきた。ローレンスはオディールに人の壁の向こうで手を振るマリアを示し、そちらへ促した。「失礼、彼女は一旦休憩だ。聞きたいことがあるなら私が聞こう」と言った彼はいまだに人だかりの向こうにいる。そうして今はマリアとオディール、ラインハルトの三人で軽食を摘まみながら休憩をしているところである。
「変なことを言ってないか心配だ」
「大丈夫ですよ、私も他の人の様子を伺ってましたけど、評判は上々です!」
「それはよかった」
ほっとして口にした果実のジュースが美味しい。
「本当にオディール様には感謝しかありません。今日のお二人を見て皆アルゴンドラ領は安泰だと思うでしょう!」
ラインハルトは感激のあまり涙ぐんでいる。少し酒が入ったのも原因だろう。パーティーに出るたび婚活は不発で終わり、男性陣には心配やら慰めの言葉はもらうが具体的なアドバイスは一切ないという悔しい日々から脱却したのだ。その感動は大きい。
そうやって話していると、三人に近づく男があった。フレッドである。
例の美女がパートナーから離れたのを見ていたが、先日来た女性客と一緒にいるではないか。一緒にいる男は冴えないチビかと、自然に蔑むような笑みをしていた。
「やあ、この前はどうも」
のうのうと気安く声を掛けて来た男にマリアは鬼の形相になる。
「マリア嬢、お知り合いで…?」
そう尋ねたラインハルトに「この前の化粧品屋です」と小さく耳打ちをすると、ラインハルトがずいと前に出る。
「失礼、名乗ってもらっていないのだが、どこの方ですかな?」
「これは失礼。僕はフレッド・ダルク。このセーヌ侯爵家の親戚筋だ」
この自己紹介は嘘ではない。しかし正しくは「ダルク子爵家の息子」である。より強い家名を出してマウントを取る肚だろう。そんな相手にアルゴンドラの名をわざわざ教えるラインハルトではない。
「左様で。で、何のご用件かな」
「ご用もなにも、このパーティーはセーヌ領へやってきた方達との親睦を深めるためのものだ。それにそこの彼女には先日誤解があったようなのでね。君、名前を聞いてもいいかな」
フレッドはすでにラインハルトは見ていない。その後ろにいるマリア、そしてオディールを見ているのだ。
「バークマン子爵の娘、マリアですわ。先日の非礼の詫びなら聞きますけど」
「これ、マリア嬢」
ラインハルトへの失礼な態度も相まって、マリアの怒りは最高潮だ。ラインハルトはこの手の失礼などいつものことで、別に何とも思わない。そんなことでいちいち腹を立てていたら貴族の従者など務まらないのだ。このまま後ろで大人しくしてくれていれば、こんな男は適当にいなしたものを。
「よろしくマリア。非礼と思っているのがまずは誤解だよ。僕は君の友人のおかしな化粧をどうにかしてあげたかったんだ。だけど君にはそんなセンスのいい友人もいるんだね」
フレッドは今の発言で自分の親切さをアピールし、狙いの女を褒め自分の株を上げるのが目論見だろう。マリアと話す気がないのがよく解る。しかしそれよりなにより…マリアとラインハルトは視線を交わす。
こいつ、オディール様だって気づいてない…?
それに気付いたマリアは怒り心頭だったのが一気に愉快になり、ラインハルトの方はあからさまに呆れ顔をした。
「おかしな化粧で行って悪かった。今後は気を付ける」
ずっと黙ったままでいたオディールだったが、どうやら自分ことがまだ長引いているらしいと思い発言した。これで場が収まればいいと思っている。
フレッドの方はゴージャスな美女からそんな言葉が出てきて、一瞬わけがわからなくなり固まっている。
「気を付ける必要はございませんわよオディール様!」
「いや、確かにあれは自分でもやりすぎの部類だ」
そんな風に言う二人のやり取りは、確かに店で見た二人のようにも見える。固まっていたフレッドだが、ようやく頭が動き出し、一つの回答を出した。
「ああ…あーそうか、僕の忠告を聞いたんだ。ほらね、ずっと良くなっただろう?君は綺麗になれるんだよ!」
フレッドあまりの発言にマリアは開いた口が塞がらない。
非礼を詫びるわけでもなく、本人を目の前に「おかしな化粧」と言ったことを恥じることもない。そしてついにはオディールの美を自分の手柄にしようとは。
その間ラインハルトは口を出さずに、厳しい目でじっとフレッドを見ている。
きょとんとするオディールをよそに、ワナワナと震えるマリアが怒りだそうとしたその時だった。
「まあオディール!きっとここでお会いできると思っておりましたわ!」
「相変わらず美の女神でいらっしゃいますオディールお姉様!」
「その豪奢なドレスを品よく華やかに見せる化粧術、さすがでございます!」
サイモン侯爵家の三姉妹が現れると、いつも稲妻のような効果音が響く…気がするのだ。それほどまでに勢いのある三人である。
「三人とも来ていたのか!」
「ええ、セーヌ子爵の授爵のお祝いに。いずれは侯爵になる方よ」
すい、と前に出て言ったのはスノーだ。オディールのレッスンを受けたメイドによる新スタイルである。
「しかし、さすがよね。そうよね、私たちをあんなに変身させたんだもの。本気を出せばこうなるわ」
「この化粧か?結構苦労したんだぞ」
サイモン家の美人三姉妹と親しく話し、美の女神とまで言われている。確かに店に来た時は、魔女のような化粧をした変な女だったのに、フレッドは訳がわからない。
「お姉様~!私、来ちゃった~!」
今度は何事かと声の方を見やると、昨日店に来た伯爵令嬢が足早に駆け寄ってきた。
「ミアーラ、なんでここに!?」
「だってお姉様がお義兄様を着飾ってパーティーに出るってお手紙をくれたから、私絶対見たくって!お父様はお忙しいって言うから、レノー伯父様に連れてきてもらっちゃいました」
「お前は本当に遠慮ってものをせんな」
「ふふ、褒めないでくださいませ」
「褒めとらん」
「本当はお姉様に身支度をお願いしたかったんだけど、それはさすがにやめなさいって伯父様が」
「お前は本当に遠慮ってものをせんな」
「やだ、二度目~」
「褒めとらん」
甘え上手なミアーラ・ロッテンバッハ伯爵令嬢は現れるだけでぱっとその場が明るくなる華がある。きっと底抜けの明るさがそうさせているのだろう。
「まあ、さすが」
「オディールお姉様の妹」
「負けてられないわ」
サイモン三姉妹のオーラを一人で打ち破ってくるほどの令嬢に三人は初めて会ったのだ。侯爵家の娘として負けられないと火が付く三人だったのだが。
「まあ、素敵なお姉様がた。ミアーラと申します。一緒にお話ししましょう」
ニコニコと速攻で毒気を抜いてくるミアーラである。ミアーラはオディールの妹なのだから、三姉妹とて本気で張り合う気はなかったが、肩の力が抜ける。ロッテンバッハの姉妹は、こういうところが似ているのかもしれない。
そんな風に女性陣が盛り上がる傍ら、完璧に蚊帳の外にいるフレッドだった。




