35◆身分の話と恋バナ
化粧品の店のオーナーはセーヌ侯爵家の親戚筋の者がやっているという。アルゴンドラ辺境伯の婚約者が、自分の管理する観光地の店で気を悪くしたと聞いたセーヌ子爵はサッと顔が青くなった。
「今すぐ婚約者様へ謝罪を…」
「いや、セーヌ子爵に謝罪を求めるものではない。ただ、貴族の娘が安心して買い物ができる場所ならば良いと思う」
ローレンスはできるだけ言葉を選んで話す。その昔、偉大なる王ジークフリートの息子の一人がアルゴンドラの地を治めた。恐らく「公爵」を名乗るのが正しかったのだと思うのだが、名乗らなかったのはきっと父・パトリックのような気質の先祖だったからだとローレンスは思っている。自分にとってその事実は「ご先祖にすごい人がいたらしい」という遠い話でしかないのだが、由緒正しい貴族の家ほどその「遠い話」を気にし、必要以上に頭を下げられることがあるのだ。
王族の近くで国造りに尽力している現公爵家と、中央政治からは遠く離れ魔獣を倒し畑を耕してばかりのアルゴンドラ家を同格とするのは如何なものかとローレンスは思っている。頭を下げている側だって同じことを考えているかもしれないが、それでも貴族は格を気にする。面倒な話である。
「はい…まずは状況の確認をいたします」
セーヌ子爵は事業を張り切っていただけに落胆してしまっている。アルゴンドラ辺境伯は王家に連なる血筋で、国の宿敵である魔獣を打ち倒す英雄の家系である。そんな彼にはできれば次の機会にも利用してもらいたかったのだ。それが来てすぐにこんなことになってしまうとは。
化粧品屋のオーナーと言えば、母方の親戚筋であるダルク子爵の三男がやっている。元々は次男がやっていたのだが、父親の別事業の手伝いをすることになり三男に引き継いだと聞いていた。セーヌ子爵はローレンスを見送ってすぐに化粧品やへ急いだ。
「やだなあ、お客様に文句なんて付けていないよ、でも誤解をされないように気を付けるよ。だけど僕の接客が嫌だと感じたならきっと相性の問題だね」
化粧品店のオーナーであるフレッド・ダルクは事も無げにそう言った。
「だけど彼女は気の毒な化粧をしていたんだよ、だれがあんな悪趣味な…」
「フレッド、あれは本人が好んでやっていることだ」
「へえ、じゃあ悪趣味な子なんだ。やっぱり違う化粧をしてあげた方が親切だったと思うよ」
そう言ってフレッドは笑う。「気を付ける」と言ってはいるが、自分には非はないと思っているのだ。
「ここは避暑地で、公式な場ではない。好きに過ごしたらいいだろう。お前が言っているのは余計なお世話だ」
「僕って面倒見がいいから、そういう風に言われちゃうんですよねぇ。気を付けます!」
わざとらしく90度の礼をして、おちゃらけたように言う。セーヌ子爵もさすがに話が通じていないことは解る。
「…お前はパーティーには出るのか?」
「もっちろん!おじさまの授爵をお祝いしに参りますよ」
そう言って笑った顔は人好きのする顔だ。整った顔立ちをしており、女性にもよくモテるとは聞いている。愛想がよくて客商売に向いていると思っていたが、どうにも軽薄がすぎる気がする。自分が悪かったと思えとまでは言わないが、そうは見せぬ態度は必要ではないか。相手に何をも言わさぬほどの身分があるわけでもないのだから。
セーヌ子爵は侯爵家の長男で、まずは子爵の爵位を受け継いだ。順当に行けば侯爵を継ぐのは自分であるが、その重さは理解しているつもりだ。
(子爵家の三男坊となると、責任は軽いが貴族の旨味だけは味わえるということか)
それがこうも薄っぺらな人格を作るのだろうとセーヌ子爵は結論付けた。
「パーティーの日はアルゴンドラ辺境伯と婚約者の女性には近づくんじゃないぞ」
「はいはい」
フレッドはアルゴンドラ辺境伯が貴族女性に相手にもされてないむさ苦しい男だということは知っている。そんなやつだから悪趣味女くらいしか嫁に来ないのだと鼻で笑う。趣味がいいと自負する自分の店のお得意さんになることもないだろうし、わざわざ挨拶に行く必要もない。自分の忠告を無視する可愛くない女など相手になんかしてやらないのだ。
***
ローレンスが出掛けた午前中、オディールは湖が見える二階のテラスでぼんやりしていた。よく晴れて湖面が輝きなんとも言えぬ美しさだが、オディールの目に入っているかは怪しい。昨日言われたローレンスからの愛の言葉がずっと頭をぐるぐるしているのである。
「オディール様、もしかして朝からずっとこちらに?」
朝一番から父親と出掛けていたマリアだが、屋敷を出る時にもここでオディールに声を掛けたのだ。
「あー…マリアお帰り」
「もしかして、昨日の店の男に言われたことを気にしてらっしゃいます?」
心配そうにマリアに言われて、初めて店での一件を思い出す。
「忘れてた」
「なら結構ですわ。折角ですし、テラスに昼食を用意してもらいますわね」
昨日の不快な出来事を気に病んでいるのでなければいい。気にしているのが他の事となれば、ローレンスと話した内容だ。昼食がてら聞き出してしまおうとマリアは思う。
丁度よく陰になっている時間帯で、湖からの風も来て気持ちがいい。ここでランチを取るのは良いアイデアだ。マリアがメイドに手配をし、席に着く頃にはまず冷たい飲み物がやってくる。
「…マリアは手際がいいな、よく気が付くし、どこへ嫁に行っても重宝されるだろう」
「どんな相手を望んでいるかはそれこそ相手によりますわよ。家の事はむしろ代々続く家令やメイド長が取り仕切って奥様の出る幕がないってこともあるらしいですし」
「へえ、それは楽ちんだな」
「それがそうでもないらしいんですの。お嫁入りしたのにみんなその家の召使いが決めてやってしまうから、奥様の居場所がないとか」
「うわぁ」
マリアは客に噂話をよく聞いていたのでこの手のネタはたくさん持っている。あまり喋りすぎるのははしたないと自戒はしているが、やはり話すと楽しい。オディールは社交はしておらず、家の者とメイドたちくらいとしか交流は無かったので噂話には少々疎い。
「そういえばマリアのお父様は?」
「帰ってくるなりすぐに出掛けていきました。避暑にやってきている旧友がいるらしくて男同士で語らうらしいですわ」
ここにはそういう懐かしい再会があるのでやってくる者もいるのだろう。そんな話をしている間に用意されたランチは見た目も華やかで手が込んでいた。
「ここに避暑に来るのも解りますわね。まあ、よほどお金が無いと来れませんけど」
今回バークマン家はアルゴンドラ家の客人として持て成されているので、全てがアルゴンドラ家持ちだ。正直な所、バークマン家ではこの湖で一等地にある貸し屋敷は手が出ない。商売人の父娘は恐縮することなく笑顔でその恩恵を享受している。ちゃっかりしているのだ。
「それでオディール様、昨日は何がございましたの?」
「え」
マリアに言われ昨日のローレンスの言葉を思い出し、オディールの顔はみるみる赤くなる。
今日のオディールの化粧はいつもみたいな切れ味はない。魔女の化粧をしようとしたが、何となく気が乗らず、かと言ってどういう化粧にしていいかもわからず、何だかぐんにゃりとしてしまった。そんな決まらない顔だが、赤くなって少し俯いたオディールはとても可愛らしい。
「ローレンス様に何を言われたんですか!」
「いや、あの…その…」
「何ですか?さあ言って!」
「………………愛していると………」
「やだぁまだ言ってなかったんですかあの人―!」
まったくもー!と言いながらもマリアは大はしゃぎだ。オディールのこの反応だって、どこをどう見たって相思相愛である。オディールのおかしな作戦が実行される前に落ち着くところに落ち着いてマリアはようやく安心した。これはラインハルトにも報告しなくては。
マリアに根掘り葉掘り聞かれ、オディールは照れながらもローレンスとあったことを話す。マリアには聞いてほしいと思っていたのだ。
そんな恋バナに花を咲かせ、ランチタイムは随分と長引いた。だけどそれは時間を忘れるような楽しいひと時だった。




