34◆こういう時は、即対応
マリアに化粧品店でのことを報告を受けたローレンスとラインハルトは厳しい顔をしていた。
「年頃の女性を二人だけで出かけさせて悪かった」
「次からはきちんとローレンス様か私が一緒に行きましょう」
「あら、いいえ別に危険なことがあったわけじゃないんですけど…」
男が若い女性に声を掛けたのだから十分に危険である。しかも聞けば店主として客を持て成すための声掛けとは思えない。
「化粧の事はわざと気を引くために言ったんですな」
「…だろうな。客相手ならどうにでも褒めて買わせようとするだろう」
そう話す二人の言葉にマリアは初めてナンパ目的と気が付いたのだ。失礼な物言いをするオーナーの態度に同じ客商売の人間として腹を立てていたが、どうやら目的が違ったらしい。
「まあ…私ったら何も気づかず…」
「マリア嬢がしっかり者で本当によかった。しかしろくでもない店ですな」
「セーヌ子爵の耳に入れておこう。誰がやっている店か確認もしたい」
失礼な店のことはすぐに対応してくれるようだが、マリアが今やってほしいのはそれではない。
「あの、それでですね、オディール様が落ち込んでしまわれて…」
「オディールの所へ行く。ラインハルト、セーヌ子爵の所へ行く段取りは任せる」
「畏まりました」
そう言ってオディールの部屋へ向かったローレンスを、見られていないのをいいことにマリアは拳を振り上げて見送った。隣でラインハルトは見ているのだが。
「マリア嬢、マリア嬢は商売を手伝っておられとてもしっかりしているが、あなたも年頃の娘さんだ。護衛の者だけでは判断が付かないこともあると思うから、オディール様と一緒ではなくても、どこかへ行く際は遠慮なく私に声を掛けてくれ」
「まあ、アルゴンドラ辺境伯の従者の方にご面倒はお掛けできませんわ」
「ローレンス様の妻になる方のご友人だ、何の面倒もない。ローレンス様もそう仰るよ」
「ありがとうございます。それでは父が同行できない場合はお願いしますわ」
そう言ってにこりと笑ったマリアはとても愛嬌がある。自分の芯がある娘だが、世慣れているわけではない。今回相手が失礼なことを言って気を引く逆張りの男だったからマリアは怒って店を出たが、親切顔で巧妙に近づく男だったら気を許してしまったかもしれない。見るからに人好きのするマリアと、個性的な化粧だが目を引くくらいには美しいオディールが二人だけで買い物をしているのだ。自領ではないのだから十分に気を付けなくてはいけないとラインハルトは気を引き締めた。
ノックの音がして返事をするとローレンスが直々に部屋まで来ていた。オディールはすぐに扉を開けて部屋の応接エリアにある豪華なソファへ案内する。
「呼んでもらえたら行くのに」
「その必要はない。オディールは家臣ではなく婚約者だ」
ロッテンバッハ家では父親であっても用がある時は部屋に呼びつけられた。何となく家長にはそういう風にするものかと思っていたが、そうでもないらしい。
「今日のことは聞いた。一緒に行かなくてすまなかった」
「なぜローレンス様が謝る?同行してたらローレンス様まで変に思われていたから却ってよかった」
「…オディールにそういう風に思わせた男を、私は許せん」
いつも怒るということが無いローレンスが珍しく怒気をはらんだ表情を見せる。
「その…すまない…」
自分がこんな化粧をしたばっかりにローレンスにいらぬ厄介事を持ち込んでしまったとオディールは思う。
「パーティーの時は…ちゃんとやる…」
「オディール、私はパーティーの時だってその顔で構わない。見せ方が違うというだけで、その奥にはいつもオディールがいる。だからそんな見知らぬ男の言葉は忘れてほしい」
オディールに訴えかける言葉も表情も真剣で、その言葉が嘘ではないのがわかる。
「ローレンス様は優しいな…」
「…別にそんなことは…現にオディールに気安く声を掛けた男には狭量だと思うが」
「ははっ声を掛けるって色気がある話じゃない。私がおかしな化粧をして悪目立ちをしたというだけだ。ローレンス様、私を婚約者と宣言してしまうと、今日みたいに言われることがあると思う」
「どういうことだ?」
ローレンスはオディールの意図するところが解らず問う。
「私は何をどうしても、貴族令嬢らしく振舞うことに限界がある。きっと今日みたく変に思われ、ローレンス様までいらぬ文句を付けられたら申し訳なくてな」
「オディール、お前を守れなくてすまなかった」
「いや、だから別にそれはいいんだ、私のやったことが私に返るのはいいんだ。それがローレンス様にまで行くのが心苦しいから、ローレンス様にちゃんとした令嬢と縁があれば」
「まて、どうしてそういう話になる」
初めてやってきた場所だというのに確認もせず、年若い女性だけで行動させてしまったのは自分に責があるとローレンスは思っている。化粧が変だろうが何だろうが、楽しく過ごしている所に水を差される謂れはないのだ。それを自分のせいだなんて思わないでほしい。
「今のローレンス様がパーティーに出れば、どこの令嬢だってローレンス様を素敵に思うに違いない」
「それは、頼りない私ではオディールの婚約者として相応しくないから他を当たれということだろうか」
「は?いやいやいや、そういうことじゃなく」
「挽回の余地はあるか?」
「いや、挽回も何も、ローレンス様はとても立派な方で私のような規格外ではもったいなくてなっ」
オディールの言葉が三行半の意味合いではないらしいと解り、とりあえずはほっとする。しかし自分も浮かれてばかりで、オディールには世話になったり不甲斐ない姿を見せたりと、いつか本当に「他を当たれ」と言われてしまってもおかしくない。
「私は、他の女性を選ぶつもりはない」
「いや、だから早まるな…」
「オディールにも私を選んでほしい。…私は精進せねばいけないな、相応しい夫となるために」
ローレンスの言葉をすぐに飲み込めず、きょとんと見つめ返す。今日は失敗をしてしまい、自分にはやはり貴族令嬢は向かないと思っていた矢先に、これはどういうことだろう。
「私は初めて会った日から、オディールを愛している」
言葉にしてみて初めて、ローレンスは一番大切なことを伝えていなかったことに気が付いた。これではオディールがいつまでも「婚約者(仮)」と思うはずだ。
オディールは万が一自分がどこかへ嫁に行っても、父親の言うように恥ずかしい思いをさせるか、怒らせるかで、それでは双方いいことは無いだろうと思っていた。だからこそ修道院でもいいかと思っていた。
まさかこんな風に言われる日が来るなんて思ってもみなかったのだ。




