25◆最後の休憩
アルゴンドラ辺境伯ご一行がサイモン家の屋敷を出る頃には、姉妹たちはすっかりオディールと打ち解けていた。仲良くなった印として、ディアナはオディールの髪色に合う、薄い紫色のリボンの髪留めを、フローラは街で買ってきた気に入りのキャンディの瓶を手渡した。
「サイモン家はアルゴンドラ家とずっと仲がいいの。私たちもずっと仲良くいましょうね」
「また来てねオディールお姉様」
ディアナとフローラが馬車から顔を出すオディールに最後の挨拶をすると、スノーにその場所を譲る。
スノーは細かい細工が美しい手鏡を渡すと、オディールの手を握った。
「オディール、許してくれてありがとう。あなたはとても綺麗よ」
「ありがとうスノー、また会おう」
名残惜しそうにスノーが馬車から離れると、アルゴンドラ領に向けて出発した。
今日も馬車には四人で乗り込んでいる。
ローレンスはオディールとスノーの間で起きた顛末をサイモン侯爵から聞いた。ローレンスは説明されても、何をどうしてそんなことになったのかがよく解らないのであるが、恐らく自分の言葉も原因なのだろう。年頃の少女は難しいものである。
改まった詫びをもらってしまったのだが、オディールに聞いたところ不問とのことだったのでそのようにした。
しかし、そもそもがオディールを婚約者だと隠していたから妙なことになったのではと思う。
「スノーはあなたにフラれてショックだったんだ」
「婚約者がいるのは説明済みだ」
振るも振られるもないとローレンスは思い憮然とする。
「だから少し待てと言っている」
そう言うオディールをマリアはジト目で見る。パーティーでうはうは入れ食い大作戦を待っていろと言っているのだろう。
ここでフォローをしてもいいのだけど、マリアは少し考えている。
ローレンスはオディールのことを気に入っているのは確かだが、本人にそれを正確に伝えているかと言えば、そういう素振りは見えない。二人の仲を取り持つよりも、まずはローレンスに注意喚起をするのが先ではないだろうか。
宿を時々使ってくれるお偉いさん、アルゴンドラ辺境伯の婚約者ということでお世話を引き受けたマリアだが、今やどちらの贔屓かと聞かれたら間違いなくオディールだ。オディールに気持ちがあるならきちんと示して欲しいし、勘違いを正してほしい。不器用さは言い訳にならないと思っている。
いつもは目と目で通じ合っていたマリアとラインハルトだが、少し言葉での打ち合わせも必要かとマリアは思っていた。
途中のんびりと過ごしたこともあり、アルゴンドラ領に戻るのにゆっくりと二十日間掛けた。
夏を前にしたアルゴンドラ領は雪もすっかり解け、良い季節を迎えている。
休憩で立ち寄った郊外の湖にあるレストハウスで、オディールとマリアは雄大な景色にはしゃいでいた。
「風がひんやりとして気持ちがいいな!」
「本当に!アルゴンドラ領はまだ新緑が青々としておりますね」
二人がテラスから湖を眺める間、ローレンスとラインハルトは兵士たちの様子を見て、必要な指示を出す。それも終わったローレンスはレストハウスの中からオディールの様子を見守っていた。
「あの、ローレンス様」
「なんだ」
「こんなところから見ておられないで、一緒に散策でもされたらよろしいのでは」
ラインハルトはようやく進言するタイミングを手に入れた。結婚が上手くいくなら鬼にもなると決めたのだ。
「…二人であんなに楽しげにしているから、邪魔にならないかと」
「どうして婚約者であるローレンス様がそんなことを気にする必要がございますか!」
全くもってその通りである。ローレンスはぐうの音も出ない。しかしオディールを見るだけで胸がいっぱいになってしまい、碌な話もできないのだ。
「ええ、このラインハルトはわかっておりますよ。ローレンス様はこの旅の道中で緊張のあまり、オディール様へ甘い言葉の一つも囁いておりませんね」
その言葉にローレンスは目を見開く。
そうだ、自分はオディール嬢と婚約できたことに浮かれ喜んでいたが、オディール嬢が安心してアルゴンドラ家に嫁げる要素を何一つ開示していない…。
ちなみに浮かれ喜んでいることもオディールには伝わっていない。
「オディール様は、折につき待てと仰られておりますね」
「………」
ローレンスの表情がすっかりわかるようになった顔の眉間に皺が寄る。
「オディール様の中では『婚約者(仮)』かもしれませんよ」
ラインハルトは心を鬼にして言う。マリアが見ていたら「鬼ってその程度?」と言いそうである。しかしローレンスは考えてもいなかったことなのでとても衝撃を受けたのだ。
この旅での自分を思い返すと、オディールには世話になってばかりである。傷を消してもらうわ、服を買ってもらうわ、それについての礼だってきちんとしてないではないか。
気持ちを固め、ローレンスはテラスに向かって歩き出す。
「オディール嬢」
湖を見ていたオディールは、自分の名を呼ぶ声に振り向く。マリアはレストハウスの中から手に汗握って見守るラインハルトを目に留めると「どうぞごゆっくりしてくださいませ」とその場を後にした。
オディールとテラスで二人きりになったローレンスは大きく深呼吸をする。そういえば二人だけで話すのは初めてのことだ。
「話を、いいか?」
真剣な表情で聞くローレンスに、オディールは口の端を上げる。
「話をするのに断りを入れる必要はない。面白い方だ」
涼やかな風がオディールの髪を靡かせる。湖面に反射した光も相まって、それはとても美しかった。




