22◆美しさの比較について
「婚約のお話はまだ非公開と伺いましたが…私ではだめでしょうか?ローレンス様」
ローレンスを潤んだ瞳で見上げるスノーは、バッチリとキメの角度を取っている。これで我儘を聞いてくれなかった男性は父親以外にはいないのだ。
(パーティーで女性の方からは決して声の掛からなかったローレンス様が言い寄られているなんて…)
ラインハルトは由々しき事態に焦る気持ちもありながら、ローレンスの魅力に気づいた女性が現れたことに「そうだろう、そうだろう」と自慢げにも思う。祝杯をあげたいがそんな場合ではない。
「だめ、というのは?」
しかしそんな曖昧な表現ではローレンスには伝わっていない。私ではだめかと聞かれても、何についての件なのか今の会話ではわからない。もっと話を深掘りする必要があると思いローレンスはスノーに尋ねた。
いくら外見を整えても中身はいつものローレンスである。婦人に受ける対応はできない。
「え…あの…」
ここまで言ったのだから、あとは相手がリードしてくれるものかと思っていた。スノーは箱入り娘なので男性を誘う手管があるわけではないのだ。じっと回答を待つローレンスにスノーは言い淀んでしまう。
「ええっと…その、婚約者を変更は、できないかと…」
「なぜ変更する必要が?」
なぜここで婚約者を変更する話が出てくるのかがローレンスにはわからない。わからないので問う。そしてやはりじっと回答を待つのである。スノーの方はとても気まずい。
思ってもみないローレンスの対応に、朝から張り切っていたスノーはどんどんしぼんでいくのだった。
みんな綺麗だっていうから、私と結婚したいっていうから、私がローレンス様を選んだら絶対に喜ぶと思っていた。ローレンス様だって昔うちに結婚の打診をしてきたじゃない。
スノーはどんどん自分が惨めになっていく。
「…婚約者様はお綺麗なの?」
「とても」
「私よりもですか?」
ローレンスはきょとんとスノーの顔を見る。自分からの問いには一切答えず、別方向の質問を投げかけてくるお嬢さんである。
サイモン家の三姉妹はとても美しい。今はふくよかで人の好さが全面に出ている夫人も、娘時代はとても美しかったと前アルゴンドラ辺境伯が言っていたので、よく似ているのだろう。さて、突然美しさの比較について回答を求められてしまった。
ローレンスはオディールの姿を瞼に浮かべる。
「失礼ながら、私にはオディール嬢が一番美しい」
美醜とはとても主観的なものだ。自分がどう思うかを問われたらローレンスはこう答えるしかない。そしてローレンスは、秘密にしていた婚約者がオディールであると言ってしまったことに気付いていない。
「ローレンス様、馬車の支度ができました」
温室にサイモン家の執事がローレンスを呼びにやって来た。今日はサイモン侯爵と一緒に魔法エネルギーを燃料とする工場を視察に行く予定なのだ。
「スノー嬢、案内をありがとう。ではまた後で」
ローレンスは礼を言い執事と一緒に温室を後にした。こっそりと二人を見ていたラインハルトは気まずい表情で夫人に会釈をし、そろそろと後について退出する。
取り残されたスノーは俯き、握った拳はわなわなと震えていた。
男性が自分を選ばないとは思わなかった。自分が好意を寄せれば、きっと誰もが喜んで手を取ると信じていた。
くやしい。
スノーの目が涙で滲み始めた時、温室の外から声がした。
「スノーの温室はバラの花ばかりですの。私の温室はカサブランカやユリがございましてよ」
「まあ、どちらも楽しみですわ」
ディアナとフローラが客人に庭を案内しているのだ。次はスノーの温室を見せようとやってくる。話し声の中にマリアの明るい声は聞こえるが、オディールの声は聞こえてこない。
「あらスノーここにいたの?あなたの温室を見せて差し上げて」
温室から出て来たスノーにディアナが気づいて声を掛けた。スノーはやってきた四人を不機嫌そうな顔でじっと見る。
華やかなディアナとフローラ、その後ろにはローレンスの婚約者だというオディールとその侍女がいる。ちなみに本日、オディールの装いのテーマは「ひっそりと目立たず」である。
華やかなディアナやフローラともまるで比較にならないじゃない。
「自分を否定された」という思いがどんどん蝕み、スノーの心に黒い染みが広がっていく。
「どうしたのスノー、黙っちゃって…」
ディアナが俯くスノーに声を掛けた瞬間、弾かれるようにスノーは顔を上げ叫んだ。
「なによ!私はあなたなんかよりずっと美しいわよ!」
オディールに向かって声を張り上げたスノーにそこにいる全員が凍り付いた。言ってしまったスノー自身も。
「スノー!」
「お、お母様?」
温室から現れた夫人にディアナもフローラも驚いた声を上げる。
「謝りなさい!」
あのほがらかな夫人がなんと厳しい顔だろう。真っ青になったスノーは言葉も出ずに震えている。
醜い感情に飲み込まれて酷い言葉を吐いてしまった。
こんなに気持ちが抑えきれないなんて。自分がこんなに醜いなんて。
悔しくて涙はこぼれるが、もう何に悔しがっているのかもわからない。
「『あなたなんかより』、だと…?」
オディールのドスの利いた声が響くと庭はシンと静まり返った。始終大人しいと思っていた伯爵令嬢の思わぬ迫力にサイモン家の女性陣は驚きを隠せない。
マリアはスノーの言葉に怒りは抱いたが、オディールの言葉を黙って待つ。
恐ろしさにガタガタと震え、言葉にならない声でようやく息をするスノーに、オディールは大股歩きでズカズカと近づいた。
「ごめんなさ…っ」
「あなたの美しさはそんなものじゃない!来い!」
オディールはスノーの手首を掴み屋敷へ引っ張ってずんずん歩く。
あまりに意外な出来事に、残された姉妹と夫人は口をぽかんと開けてただ見送ってしまった。
マリアだけはしたりという風に口をにっこりと上げ、二人の後を追いかけた。




