082
やっとの思いで、ゼレーニナの塔に入る。
羽織っていたギャバジンのクロークを振って水滴を払い、一息ついた。
昨日クルーガーの所に居た時はあんなに気持ちいい天気だった癖に、今日は雨天と来たもんだ。
普段こんな日に外出する事はそうそう無いのだが、今回ばかりは雨天だったとしても外出せざるを得ない理由があった。
俺はもう、明後日にはこのカラマック島から任務に向けて出発しなければならないだろう。
その前に、どうしても確かめなければならない事があったのだ。
考えに耽りながらも、昇降機の土台を呼び出すレバーを引く。
仮にこの考えが本当ならばクルーガー、そしてクルーガーの開発した装備に対する考えが根本から変わってくる事になる。
この疑問だけは、放置しておかない方が良い。殆ど動物的に近い直感ではあったが経験上、こういう直感だけは無視しない様にしていた。
それに加えて、俺はこれから隠密部隊の頃でさえ挑んだ事の無い任務に挑む事になる。
見た事も無い12フィートの鉄の巨人、それも斧を振り回して俺達と同じぐらい機敏に動く怪物を相手にする任務だ。
他の兵士を相手にするならまだしも、そんな未知の怪物に対抗する為の兵器に疑問を持ったままでは、僅かな勝機すら潰しかねない。
上から降りてきた土台に乗り込み、昇降機の重たい稼働レバーを片手で引く。
轟音と共にゆっくり昇る土台の上で、ギャバジンのクロークを大雑把に纏めて肩から背負う。
用事が済むまでに雨が止んでくれたら良いんだがな。
見慣れつつある居住区に到着し、ボタンを押し、上がっている途中のシャッターを潜る。
「ゼレーニナ、居るか?返事しろ」
普通の連中にはまず言わない様な、妙な呼び掛けにも慣れたものだ。こうでも言わないと、あいつは聞こえていても本当に無視するからな。
壁の向こうから聞こえる、僅かばかりの物音が耳に挟まる。
只でさえこんな塔に居る様な奴だ、よりによってこんな雨天にお出掛けする訳が無いよな。
「返事をしろ、居るんだろ?」
そんな呼び掛けと共にドアを開けていつもの書斎に辿り着く、がここにも居ない。
「何の用件です?」
頭を捻った辺りで、ドアの向こうから聞き逃しそうな程に素っ気ない返事が返ってくる。
今日は此方か。声の方向に足先を変え、ドアを潜ると漸くゼレーニナを見つける事が出来た。
眉を、潜めた。
二本の大きな巻き角に、腰まで伸びた銀髪。相変わらず、不機嫌な顔。何故か首に掛かっている防護ゴーグル。
そこまでは特に珍しい様な事も無かった。
問題は、あのゼレーニナが作業用でも無いエプロンを身につけ、片手にはレードルを持っている事だった。
信じられない事に、その隣では炉にかけられた大鍋が微かな湯気を上げている。
「お前、何やってんだ?」
分かりきっていた事とは言え、つい言葉が出た。
そんな言葉に、ゼレーニナの只でさえ不機嫌そうな顔が益々怪訝な顔になる。
「見た通りとしか言えませんが」
大鍋の隣で眉根を寄せるゼレーニナに、それでも奇異の眼を向けずに居られなかった。
いや、何が可笑しい訳でもない。何の理屈が通らない訳でもない。だが、どうしても驚きが隠せなかった。
「自炊とかするのか、お前」
考えていた言葉が口からそのまま流れ出ていく。
勿論、そんな失礼な言葉にあのゼレーニナが良い顔をする訳も無く。
「私を何だと思ってるんです?」
少し顔を背けそうになる程に、険しい眼で睨み付けられる。今回ばかりは、どう見ても俺の過失だから文句の付けようも無いが。
「いや、悪い。その、意外でな」
我ながら辟易する程に歯切れの悪い言い訳をするも、当のゼレーニナはひとしきり俺を睨み付けた後、不機嫌そうに鼻を鳴らして調理中の大鍋に向き直ってしまった。
当然ながら、俺にどんな用件や質問があろうと、まずはゼレーニナが応じてくれないと文字通り話にならないんだよな。
そんな当たり前の事に、後れ馳せながら気が付く。
気が付いた所でいつもの会話が会話なので、今更気を付けるも何も無いというのが本音ではあるが。
「幾つか聞きたい事があるんだが、後にした方が良いか?」
「私は見ての通り料理中です。加えて言うなら今から食事なので、質問ならクルーガーにでも聞いてください」
まるで取り合って貰えない。今回は珍しく納得の行く理由ではあるが。
頭を掻いた。
さて、どうしたものか。大鍋の料理が出来るまで待つのも手だが万が一その後も話を聞いて貰えなければ、わざわざこいつに睨まれに雨天の中塔まで来た事になってしまう。
少しばかり機嫌取りの方法を考えたが、直ぐに諦めた。元から自分は女の機嫌が取れる程器用な男ではない、こんな塔に引きこもっている変人相手なら尚更悩むだけ無駄だ。
どのみち仲良しという訳でもない。必要な事を聞き出したら直ぐに引き上げよう、外は雨天だがこいつの相手よりマシだ。
そんな事を考えていたが、ふとゼレーニナがレードルでかき混ぜている大鍋に眼を止め、幾度か匂いを嗅いだ。
何の匂いもしない。香草どころか、水の鍋を沸かせているだけの様な、湯気の様な匂いがするだけだ。
よく見れば、大鍋がかけられた炉の火は絶えている。余熱でも使っているのだろうか。
静かにゼレーニナに歩み寄り、大鍋の中に眼をやる。
大鍋の中には、ラベルが全て剥がされた金属の缶詰が幾つも大鍋の中で茹でられていた。
当然ながら鍋の中には缶詰以外には香草の一本、野菜の欠片すらも見当たらない。
そして隣には充分に温められたであろう缶詰が、缶ごと幾つかの皿に乗せられている。その隣には木製のハンドルが付いた、丈夫そうな缶切り。
時折レードルで鍋の中の缶詰を転がすゼレーニナは、微かに満足げにさえ見える。
ここまで来れば、言われるまでもなく分かる。
こいつ、缶詰を開けてそのまま食べるつもりだ。それがゼレーニナにとっての“料理”なのだろう。
「……自炊とかしないのか、お前」
俺のそんな言葉に、レードルを握ったまま心外そうにゼレーニナが振り返る。
またもや睨み付けられるが、口を開くまでもなく眼が物語っていた。
“これは自炊だ お前が何と言おうと私は自炊しているんだ 文句があるなら言ってみろ”
一頻り俺を睨み付けた後、鍋に向き直りまたもレードルで熱湯の中の缶詰を転がすゼレーニナに、幾ばくか眼を細める。
……缶詰を湯煎するだけの行程を、“料理中”として扱うのは流石に無理があるんじゃないだろうか。
「“缶詰のボイル”は料理じゃないと思うんだが」
「用件は何なんです?」
そんな俺の言葉に湯気の上がる鍋を見つめたまま、心底辟易すると言わんばかりの声音でゼレーニナが呟く。
鍋に関して色々と言いたい事は無くもないが、置いておくとしよう。
「聞いて良いなら聞くが、発明について幾つか聞きたい事がある。後、注文したい装備もな」
「装備?新開発ですか?」
不機嫌そうに鍋をかき混ぜていたゼレーニナが、明るい眼で直ぐ様此方に振り返る。
どうやら自炊云々の不機嫌は、“新開発”に比べれば取るに足らない程度の不機嫌だったらしい。
何にせよ、上機嫌なら乗っておくのが定石だろう。話が通るに越した事はない、こいつの場合は特に。
「あぁ、少し特殊な装備が必要でな。クルーガーは知らない様だったが………一応聞くが、“ヴァネル刀”って知ってるか?」
そんな俺の言葉に、ゼレーニナはどこからか金属のトングを取り出しながら顔すら向けずに言葉を返してくる。
「リドゴニアで伝わっている刀剣ですね、元々は日常的に使っている刃物から派生したとも、古代リドゴニアの蛮族から伝わったとも言われている刀剣です」
読み上げているかの如くすらすらと述べながら、トングで鍋から熱された缶詰を取り出すゼレーニナの背中に、僅かばかり口角が上がる。
明日か明後日には出発という状況で、雨の中わさわざ塔まで来た甲斐があったと言うものだ。
「座っていてください。続きは食事の後で聞きます」
随分な扱いだが、それこそ今に始まった話ではない。
顔も向けずにゼレーニナが指差した席に素直に座るも、ある事に気が付いた。
この席、あいつが食事するであろう席の対面じゃないか?
あいつ、俺を目の前で待たせながら悠々と食事するつもりか?本気で?
そんな事を考えていると、ゼレーニナが流れ作業の様に缶詰や皿を俺の対面の席に並べていく。
畜生、本気だ。客人は目の前で置物として眺めるのがこいつの流儀らしい。いや、居ない者として扱う流儀なのかも知れない。
木のハンドルの丈夫そうな缶切りを手に、硬い音を連続させながらゼレーニナが細い腕で缶詰を開けていく。
何とか一つ開けたかと思えば、それを皿にひっくり返す。盛り付けも何もあったものではない。加えて言うなら、盛り付けどころかゼレーニナは味付けすらしていない。
メニューは適度に温まったであろう、味気ない野菜が幾つか。紙袋から出されたパンが幾つか。水。
囚人みたいなメニューだ、と胸中で苦い顔をする。肉なんて一欠片も無い。
強いて言うなら、褒められる点は野菜の赤と緑の彩りぐらいか。逆に言えばそれだけだが。
そして、そんな囚人の様なメニューをわざわざ、ナプキンもフォークもナイフも揃えて礼儀正しく食べ始めると来たもんだ。
対面の俺は当然ながら皿どころか水すら出る事もなく、当たり前の様に待たされている。
こいつの私生活は、口を出すだけ無駄だな。もう、俺はこいつが毎晩棺で眠っていても驚かない自信がある。
こんなメニューで日頃から暮らしているなら、あんなに背が伸びないのも納得だ。幾つなのかは知らないが、相当若いだろうに。
俺を対面で待たせたまま、余裕がある優雅な所作でゼレーニナが食事を口に運んでいく。
こんな囚人みたいな料理を、何故そんなに気品を持って食べられるのかがまるで分からない。ついでに言うなら、対面で待たせたまま何故そんなにゆっくり食べられるのかも。
「デイヴィッドダー!!!」
そんな声に不意に振り返れば、何処かの窓から入ってきたのか、羽音と共にグリムが羽ばたいてきては俺の目の前の机に留まる。
流石にゼレーニナの食事の邪魔にはなっていないが、食卓にカラスが留まる光景はお世辞にも衛生的とは言えない。
「食事中らしいぞ」
「ウン?ソウダヨ?」
何が言いたいのやら、とグリムが首を傾げる。此方には飼い主程マナーが出来ている訳では無いらしい。
「グリム、食事はそこにあります」
口をナプキンで丁寧に拭った後に、ゼレーニナが別の机の一角を指す。
指した先には、木の皿に積まれた野菜。グリムはグリムで食事を用意していたらしい。
「ハーイ」
野菜は皿に出されてからそれなりに時間は経っているだろうが、別に気にならないらしく当のグリムは気軽な返事と共に指された野菜の方へと飛び立っていく。
目の前で囚人の様な食事を食べる飼い主と、離れた所で野菜を啄むヨミガラス。
対面に居るにも関わらず、此処に居ないかの様に堂々と待たされる俺。
“魔女の塔”に来たのだから、こんな扱いも当然か。そんな下らない考えが頭を過る。
そんな中、根菜を啄んでいたグリムが野菜を咥えたまま、静かに此方を見据えた。
主人と同じく、こいつも来客を眺めながら食う流儀でもあるのか?
「どうかしたか?」
内心、少し疲れを感じながらそうグリムに言うと、グリムはまた幾つか根菜を啄んだ後またもや見直す様に俺を見つめる。
「ウン、ヤッパリダ」
「何がだよ」
グリムが粗方野菜を食べ終えた後、不意に机から羽ばたき、俺の肩に留まった。
丁寧に食事していたゼレーニナが意外そうな顔で此方を向いているのが、視界の片隅に見える。
「デイヴィッド、ナニヤッタノ?ナニカアッタ?」
「カラスに責められる様な事はしてない筈だがな。むしろ最近はカラスがやたらと寄ってきて困ってるぐらいだ」
昨日の研究開発班の事を不意に思い出す。弁明する間も無く行ってしまったが、変な噂を立てられてないと良いが。いや、それこそ今更か。
「カラスガ、ヨッテクルノ?ソレタブン、カラスタチガ、“ナカマ”トカ、“オヤ”ダトオモッテルンダヨ。イマナラ、ボクモヨクワカル」
「親?何で俺がカラスの親になるんだ、レイヴンにはなったがカラスの親になったつもりは無いぞ」
苦い顔をしながらそんな皮肉を返すも、グリムはいつもの楽しそうな声音とは違う、真剣な声音で呟いた。
「ダッテデイヴィッド、“ヒト”ジャナクテ“カラス”ニナッテルヨ」




