069
膝の痛み以上に、頭の中には灼熱が荒れ狂っていた。
私はどうやら自分から退職を申し出て、よりによってランゲンバッハに後任を託した事になっているらしい。
怒りを通り越して笑ってしまう程、を更に通り越して奥歯が砕けそうな程の屈辱だった。
余りにも汚い、モップを一年はかけて無さそうな狭い寝台付きの部屋で、私は今ひたすらに沸き起こる怒りと屈辱に耐えるしか出来ない。
手術が終わったばかりの私の元に帝国軍が踏み込んできて、いきなり令状を広げられたのが十日前。
いざとなれば身を呈してでも守る筈のブージャムどもは、帝国軍に連れていかれる私を渋い顔をして遠巻きに見つめるだけだった。
これから黄金の様な人生を過ごす筈だった私は、痛む脚と身体を引き摺る様にして帝国本部に連行され、狭い一室に押し込まれハトの餌の様な食事を投げ込まれる生活が続いた後、遂に本日付けでアイルガッツ刑務所に収監されてしまった。
あのアバズレが画策した事なのは、確かめるまでもなく分かっている。
誰に言うでもなく、悪態を吐いた。それしか出来なかったが、吐かずには居られなかった。
私が杖を頼りに自分の独房に入る際、悪臭の漂う害虫の様なクズどもが鉄格子の合間から、見定める様な視線を送っているのが神経を逆撫でする。
汚い空気や悪臭に加え、亜人や貧困層と言ったナプキンさえ使えない様な劣等種の中に放り込まれた事実が、叫び出しそうな程に果てしない怒りを腹の底に絡み付かせていた。
絶対に許さない。言葉にすればこれほどに陳腐に聞こえても、今の私の全てとさえ言える言葉だった。
この後、食事時間になる。どうせ大した物は食べられないが、食堂に行く事になる。
そこでこのアイルガッツ刑務所のブージャムどもを呼び集め、外に連絡を取らせ、大枚をはたいてでも私を釈放、最悪脱獄という形になってでも私を解放させる。
その後は、あのアバズレに全ての責任を取らせてやる。
勿論、簡単に殺しはしない。私と同じく膝を砕いて、路地を這い回る貧困層どもの慰み者にしてやる。
更に片腕を切り落としても良い。もし出来るのならば、私が直々にやってやるのも良いだろう。
錆びたベルが鳴った。漸く待ちに待った食事の時間だ。
粗末な杖を頼りに寝台から立ち上がり、扉を潜って食堂へと向かう。
汚い廊下に、当たり前の様に害虫が這っているのを見て心底嫌な気持ちになった。少なくとも、正当人種が来る場所では無い。
杖を頼りにしながら歩く廊下は、人生で一番長い廊下に感じられたが、それでも私はやりきった。
肺と身体が痛み、膝はもっと傷んでいた。それでも私が動いていられたのは、高潔で清廉な私がこんな不当な扱いをされている事に対する怒り、ただそれだけだった。
残飯の様な飯が配られている食堂で、辿り着いた頃には私は汗だくになっていたが、それでも大声で食堂のブージャムのメンバーに呼び掛ける。
私の声に、ブージャムのメンバーらしき何人かが振り向いた。
だが、振り向いただけだった。
またブージャムのメンバーどもは、残飯の様な食事に向き直り、黙々と口に運んでいる。
汗だくになったまま、私の中に怒りが再び沸き上がってきた。
大きく息を吸う。
衝撃。嗚咽。転倒。地面。
何が起きたか、まるで私には分からなかった。
目の前に染みだらけの汚い床がある。テーブルの下に害虫が居るのが見える。倒れている。立ち上がれない。身体が信じられないぐらい痛い。
「ブージャムはあんたを見捨てたらしいわ、残念ね」
女の声がする。分からない。顔が見えない。
「外でふんぞり返っていたあんたには分からないだろうけどね、今、アイルガッツ刑務所であんたの味方をする奴は一人も居ない」
脚が役に立たない、汚ならしい地面を転がって何とか上を向く。
「でも、わざわざこの刑務所で喧嘩をふっかける奴も居ない。クソの役にも立たないあんたを食い物にせず、絡まないであげるのがブージャムだったあんたへの最後の礼儀だってね。一時は幹部にまでなったあんたが発揮出来る権力なんて、今はその程度」
身長の高い女だ。顔がよく見えないが、笑っている。小鳥を咥えた犬の様に、笑っている。
「だけど私はね、あんただけは絶対に許さないって決めてたの。無実だった私の恩人を、こんなクソ溜めに落とした張本人だものね」
「ミーガンよ。今後ともよろしく」
ブーツの底が真っ直ぐ顔に降ってきた。
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