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新聞をテーブルに放る。
よくもまぁ、ここまで虚偽を丁寧に並べられるものだ。
新聞では私、リア・エルザ・ランゲンバッハはあの過酷で残酷なアイルガッツ刑務所でさえ、テネジアへの信仰を支えに生き残ったらしいが、そもそも私は聖書さえまともに唱えられない程度の教徒でしかない。
あのアイルガッツ刑務所を生きて出られたのは、ひとえに私が助けたギャング達、スナークス達のおかげだ。
刑務所の中にまでギャングの幹部が居るなど、最初は想像もしなかったが考えてみればギャングなど続けている連中が刑務所に集まっていくのは自然の摂理とも言える。
そして、ギャングが集まる場所にヒエラルキーが出来ない訳が無い。
よりにもよって、私がその幹部の命を救う事になるとは思わなかったが。
結果、私はこうして無事に生きてアイルガッツ刑務所から釈放され、故郷のトラバイン地区に構えた事務所の一角で伸びをしている訳だ。
私が営利目的で禁止薬物を大量に所持していた罪状が冤罪であった事が証明され、数年振りに私は塀の外に戻ってくる事が出来た。
新聞にはあのクソ女が私の潔白を訴えたとあるが、言うまでもなくそんな訳が無いのは分かっている。
問題は誰がどうやって、何故証明したのかという事だが、どうやら聞いた話によるとスナークスの仕業では無いらしい。
刑務所内に居ながらにして、外の事情にも詳しいスナークス幹部からの言葉だ、まず信じて良いだろう。
禁止薬物を心から憎む連中がやった事は想像に難くないが、今回の事件はレガリスのギャングの半分以上を敵に回す行為だ。生半可な連中がやったとも思えない。それに加えて、生半可な連中が手を出せるほどブージャムの連中は甘くない。
一度は考えたが帝国軍でも無い。それならばもっと大々的に宣伝しつつ、粉微塵に叩き潰す筈だ。大罪人のあのクソ女が生きて居られる訳が無い。
今回、紙面上だけとは言えあんなにも穏便な形でクソ女ことイステルを追い払った事から察するに、帝国軍としても今回の事件は予定外だったに違いない。
何せあれだけ大々的にイステルを持ち上げた直後に、今更になってイステルの方に非がありました等と報道すれば、それは間接的に帝国軍の無能さを証明する事になりかねない。
真意はどうであれ、報道の思惑はそんな所だろう。どの道、この街の住人は新聞の誇りある帝国軍とやらを真に受ける程間抜けではないが。
問題は、誰がこの結果を描いたかと言う事だ。
虚飾まみれの新聞記事から察するに、やはりレイヴンなのだろうか?だが、レイヴンだとしたら何故私に良い結果をわざわざ引っ張ってくる?
イステルを排除する目的なら、あのクソ女を殴り付けた際についでに首をへし折れば済む話だ。わざわざこんな回りくどい真似をする必要は無い。
何か交換条件の様な物も、今の所提示されていない。救ってやったのだからこれからは我々に協力しろ、という様なメッセージも届いていないし、届く様子も無い。
少しずつ考えていたが、納得行く結果は未だに出ない。
無理に結論付けるならば、きっと私は本来の目的では無い。何か、もっと大きな目標の副産物、要するに“大事のついで”で助けられた、と見るしかない。
結局、あれから私はあのクソ女の後釜として改良型テリアカを開発した名誉を引き継ぎ、再び医療研究者としてやっていく事になった。
わざわざ帝国軍が私を気遣う訳は無い、向こうからすれば“改良型テリアカの開発者”が空席では収まりが悪いのだろう。私が復帰出来たのは、恐らくその程度の理由だ。
きっと、今回の事件を仕組んだ奴はこれも計算して仕組んだに違いない。少なくとも、そう思える程に話が出来すぎている。
まだ、元の研究所程の設備も揃って居ないが、直に前の研究所が物置に見える程の研究所を構える事になるだろう。私が取りあえず机や家具を置いたこの一室も、きっと滅多に開けない埃臭い部屋になっていく筈だ。
人生の変化がこの数年で幾度も繰り返し起こったが、また一つ、私は人生の転機を迎えた。
医療研究者でしかなかった私が、ギャングの一角、“スナークス”と取引する立場になった事だ。
我ながら随分豪胆になった物だとは思う。だが、あの悪党の巣窟の様なアイルガッツ刑務所で私は学んだ。
力が、どれ程重要なのかを。身を守れない者がどれ程脆いのかを。
そして、薬物中毒者の坩堝かつ私の故郷のトラバイン地区を本当に救うつもりなら、絶対に力が必要だと。
昔から伝わる言葉がある。“力とは刃であり、騎士が握れば誇り高く、野盗が握れば穢らわしい”というものだ。
今ならその言葉の意味が良く分かる。
幸いにも、ギャング“スナークス”は元々貧困者やラグラス人が組織した自警団から始まった組織らしく、他のギャングと違って禁止薬物を扱う事を固く禁じているらしい。
勿論、ギャングと言うからには綺麗事だけではなく様々な犯罪には手を染めているだろうが、中には民衆の代表者だと呼んでいる者も少なくない。
路地を歩いているだけで、葉巻を咥えた憲兵に背中を蹴られる世の中だ、真の民衆としての一つの形がスナークスなのかも知れない。
幸運な事にアイルガッツ刑務所で外科医、内科医としてスナークスの役に立った事はどうやら相当好評だったらしく、私はスナークスにもそれなりの融通が聞く立場となった。
噂ではミーガンが相当私を推薦してくれたらしい。私の意見を最大限尊重してほしいとも。
勿論、スナークスと“取引”と言うからには向こうには旨味を渡す必要がある。非公式の枠は越えられないが、必要とあらばスナークスのメンバーには私が提供出来る最大限、医療や治療を提供していくつもりだ。
今度こそ、私はこの改良型テリアカと医療の力でトラバイン地区で苦しんでいる人達、そしてレガリス中の苦しんでいる人を救って見せる。
あのクソ女が予定していた様な、貴族だけが買い漁って肥え太る様な値ではなく、困った庶民が直ぐに手の届く価格で。
私はこの“刃”を、誇り高く奮って見せる。




