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グリム、と呼ばれているヨミガラスは今日も悠々と黒羽の団を眺めていた。
黒羽の団内を飛び回り、聞き集めた会話を取捨選択し、主人の求めるであろう情報を渡すのがグリムの役目だ。
最近のグリムの主人は、珍しく精力的に活動していた。こんなにも精力的に動いているのはグリムの記憶を遡る限り、かなり稀な事だ。
カラマック島の密林に入り、比較的安全な水場で水を飲む。ついでに樹木に張り付いていたウデナガエビを仕留めて、解体して啄む。
普段は主人から充分な食物を貰っているが、久し振りに仕留めたエビの味は悪く無かった。
人間達はエビが部屋に出ようものなら、悲鳴を上げて逃げ惑う程にこの昆虫を嫌うが、野生のカラスからすれば数ある獲物の一つでしか無い。
人間達は毒も無い、鋏があるだけのエビを何故こんなにも嫌うのだろう。見た目が不快らしいが、カラスから見れば昆虫など食べ易いか食べにくいか、仕留めるのが困難かどうか、毒があるか無いか程度の違いしかない。
一体他の昆虫と、何が違うのだろう。他の昆虫は平気で触って眺めるというのに。
まぁでも、主人は普通に眺めているし何なら普通に触っているので、きっと“個性”というやつなのだろう。
そんな風にグリムは結論付けて、再び飛び上がる。
こんなにも忙しくなったのは、ある人間がこのカラマック島に来てからだ。
デイヴィッド・ブロウズ。鋭い眼をしたキセリア人だ。
森でオオニワトリに危うく捕食されそうになった所を助けられてからは、グリムは随分とデイヴィッドを気に入っていた。
主人以外の話し掛けて良い人間だという事も、気に入る理由ではあったが。
あの人間が島に来てから主人を含め、様々な人間が大騒ぎして忙しなく動く様になった。
グリムからすれば、世間話を報告しては主人に退屈な顔をされていた頃に比べれば、随分と充実した毎日を過ごし、すこぶる満足というのが本音だ。
少なくとも動き回り、騒いでは喚き散らす人間達を見るのは思ったより楽しかった。意味を理解出来ていると、尚更楽しかった。
そしてそこで政治や情勢に関係のある会話を拾い上げて主人に報告すると、主人が興味深そうにするのも、また楽しかった。
そんな一切合切を含めて、ヨミガラスのグリムは随分とデイヴィッドに感謝しているし、また気に入っていた。
主人がデイヴィッドを呼び出してこい、と言い出した時には二つ返事で引き受けたぐらいには。
しかし最近、ある事からグリムはデイヴィッドに不可解な物を感じていた。
見間違いだと、グリム自身も思っていた。間違いの筈なのだ。主人から教えられた知識と認識から考えても、そんな事がある訳ない、と分かっている。
自然の世界には、人間には知覚出来ない世界がある。名前や外見といった認識や取り払った先にある、生命としての“存在”だ。
生物は、見た目を誤魔化しても“存在”を変える事は出来ない。ヒトはサカナになれないし、サカナはトリになれない。
例え空を泳ごうとも、空に羽ばたこうとも、服を着込もうともだ。
主人、ニーナ・ゼレーニナは《ヒト》だ。ラグラス人の色をしているヒトだ。
ヘンリック・クルーガーも《ヒト》だ。キセリア人の色をしたヒトだ。
一方、オオニワトリは《トリ》だ。シマワタリガラスも《トリ》であり、かつ自身と同じ《カラス》だ。
ヒトではない。トリとヒトは違う。
見た目も勿論違うが見た目以前に、“存在”として違う。
トリなのか、ヒトなのか、ましてやサカナなのか、ムシなのか。
例え、ヒトがトリの皮を被って歩いていても、グリムはそれを《トリ》とは思わない。変な《ヒト》にしか見えないのだ。
そんな奴は見た事無いが、きっとサカナがヒトの皮を被って空を泳いでいても、人間達はそれを《サカナ》と呼ぶだろう。
主人や人間達が“レイヴン”と呼んでいる、あの風変わりな人間達もそうだ。革を着込み、カラスの様なマスクをしているが、誰もあれを《ヒト》ではなく自分の様な《カラス》とは思わない。思わないのだが………
それでも、グリムは何度も眼を瞬いた。
視線の遥か先には、クルーガーと話しながら歩いているデイヴィッドが見える。
グリムが、またも眼を瞬く。
そしてまたもやデイヴィッド達を見つめながら、グリムは自身の認識の齟齬について考え込んでいた。
クルーガーは《ヒト》だ。そして、デイヴィッドも《ヒト》の筈だ。
問題は、何度見てもデイヴィッドが自身と同じ、《カラス》に見える事だった。




