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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
55/294

054

 喉が乾いていた。






 左手が俺達の話に呼応するかの様に、微かな熱を持っている。


 俺が、グロングス?神霊とやらに関わるだけでなく、俺がその神霊達の一員だって?


 「勿論あくまでも仮説の域を出ません。1つの仮説を組み立てる場合、そう仮定するのが一番合理的、という話です」


 此方を落ち着けようとするかの様に一息でゼレーニナが説明し、少し息を吐いた。


 「……………グロングスについて、他の記述は?」


 「ありません」


 広げたままの頁を、ゼレーニナの指がなぞる。


 「ウルグスに比べると、余りにも記述が少ないんです。私含め、殆どの学者や神論者達がグロングスについては些末の様な存在、または殆どの需要の無かった名称、程度にしか考えていなかったので」


 「ウルグスが何か力を授けたとか、グロングスをどうこうしたって記録は無いのか?」


 つい口からそんな言葉が出るも、ゼレーニナは頁から顔も上げずに「同じくありません」と答えるだけだった。


 興味がないのではない。こいつに取っては淡々と事実を述べているだけなのだから、不快に思ったり不満を覚えるのは今回に限っては筋違いだ。


 素っ気ない様に思えるが、逆に言えば冷静な分信用出来る。こいつはそういう奴だ。


 感想より数字が信用出来る様に、こいつの語る事実は信用出来る。


 「………ウルグス神霊教の、他の信者はどうなってるんだ?他の信者の記録は?」


 「ウルグス神霊教の他の教徒に関しては二極化している、と言うしかありません」


 「二極化?」


 「端的に言えば、ウルグス神霊教に対して興味や関心が希薄な教徒。そして、日常的に信仰や供物以外に関心が無くなってしまう狂信者の2種類です」


 ゼレーニナが開いていた本を閉じ、他所に押しやったかと思えば今度は積み上げられた本の山から、別の本を引っ張り出す。


 革で装丁された表紙には、共通語以外の言語が綴ってある。レガリスで出版された本では無いらしい、少なくとも俺には読めない言語なのは間違いない。


 「………お前、これ読めるのか?」


 「ニヴェリム語とカラモス語なら。他は幾らか怪しいですが」


 事も無げに言うゼレーニナに、内心舌を巻く。


 “ニヴェリム語”っていうとバラクシア連邦の北方国、リドゴニアの言葉か。ゼレーニナの言葉から考えるに、この本もどうやらニヴェリム語で書かれているらしい。


 東方国ペラセロトツカの“カラモス語”なら浄化戦争の際、作戦知識として隠密部隊に居た頃に叩き込まれたが、覚え込むのに随分と苦労したものだ。


 加えて作戦の為に急遽学習する事になったカラモス語を読むだけでなく、現地人の様に話す“あの男”に、技能とは剣だけでは無いと思い知らされた事を覚えている。


 そんなカラモス語だけでなく、ニヴェリム語さえゼレーニナは完全に使いこなしているらしい。他は幾らか怪しい、という言い方からしても、恐らくは他言語も覚えているのだろう。


 …………こいつはバラクシア全土に普及しているマグダラ語、つまり共通語だけでなく、北方のリドゴニアと東方のペラセロトツカの言語も話せると言う事か。


 昔聞いた事がある、頭の中に街1つ収まる程の計算用紙を持っている人間がごく稀に居ると。


 こいつは正しくその類いなのではないか?計り知れないとは正にこの事だ。


 そのまま広げられた頁には、先程の本とは違い様々な図解や模写が溢れている。文章もあるにはあるが、先程の本に比べると注釈や説明程度しかない。


 どうやら何かの彫刻や彫像、そして壁に刻み付けた文字等の資料らしい。


 その上、何と言うか、図解として映っている彫刻や彫像も良い趣味とは言い難い。不気味な鳥類や夢に出そうな空魚、他には理解出来ない生物の彫像。見ていて気分が悪いと言うのが本音だ。


 どうやら、件のウルグス神霊教の“狂信者”が丹精込めて作った彫刻の代表作らしい。


 帝国軍にかつて所属していた身からすれば、レガリスの帝国軍に見付かればまず間違いなく、発見次第速やかに焼却処分か粉砕破棄だろうな。運が悪ければ持ち主も同じ運命を辿るだろう。


 「………これが件の“狂信者”が作った代物って事か」


 そう呟くと、ゼレーニナが此方を見つめながら少し声を落として言った。


 「一応聞きますが、この様な物を彫刻したり製作したり、と言った経験はありますか?」


 「ある訳無いだろ」


 即答した俺に、何処か安堵した様子のゼレーニナが再び頁を捲る。


 何枚も頁を捲った後に、図解が所狭しと敷き詰められた様な頁に辿り着いた。ニヴェリム語は読めないが、どうやら謎の紋様について書かれているらしい。


 凄く不恰好な、掌の様な紋様について幾つもの図解が集められている。


 ゼレーニナが再び顔を上げた。これについてはどうですか?そんな顔をしている。


 「……こう言った物も、作った事は無いし作る趣味も無いな。不気味だし大体夢に出そうだ、こんなもの」


 「この段落の頁は、狂信者達に共通している謎の紋様について調査・考察した段落になります。一定以上の水準に達した教徒………一定以上の精神症状を発症した狂信者が執着する、紋様の特徴についてです」


 顎に手を当てる。この不恰好な掌みたいな紋様について調べていると言う事か、俺みたいな素人には酷い出来の写し描き程度にしか見えないが………


 「この変な掌みたいな落書きがそんなに大事なのか?誉めるのは心外だが、さっきの彫刻とかの方が余程上手く出来てる様に見えたぞ。俺でさえ描けそうだぞ、こんなの。勿論描いたりはしないが」


 「いえ。今回に限っては技量は問題ではありません。むしろ、先程の彫刻より此方の紋様の方が、余程価値があります」


 開いた頁を見つめながら、少し熱の入った声でゼレーニナが言う。正直、中々に不気味だ。


 「ブロウズ、これを見てください」


 そんな俺の思いを知る筈も無く、ゼレーニナが頁の紋様の1つを指差す。


 どう見ても、やはり不恰好な落書きにしか見えない。まぁ落書きではなく何かに刻み付けられている様だが。


 「…………それで?」


 怪訝な顔でゼレーニナが此方を見上げた後、少し納得した様な表情に変わる。


 「あぁ、読めないんでしたね」


 この野郎。


 「これはペラセロトツカのある街で押収された狂信者の供物の図解です。持ち主は元貴族だとか」


 随分と熱の入った様子でゼレーニナは続けているが、駄目だ。どうやっても子供の落書きにしか見えない。辛うじてトライバル方式らしい事ぐらいしか、感じ取る物は無い。


 「それと、此方も」


 そう言いながらゼレーニナが隣の図解を指差す。同じく、不恰好な掌の様な物が刻み付けられているだけだ。


 「それで、これは?」


 正直大して興味が無くなってきているのだが、それでも一応聞く。


 「これは、リドゴニアの人里離れた辺境で押収された代物です。此方は先程の元貴族とはまるで縁の無い、独り暮らしの農民が製作・所持していたそうです」


 「………頭がおかしくなった奴等は、皆変な事を考えるって事か?」


 嗚呼、そろそろコーヒーが欲しい。こいつのサイフォンを借りられたら良いのだが。そんな事を考えながら適当に返事を返す。


 その瞬間にゼレーニナが弾かれた様に顔を上げた。


 思わず身を引く。何だ。どうした。


 「何だよ」


 「知ってるんですか?」


 「何がだよ」


 久々に会話が噛み合わない。だが、元々こいつはこういう奴だ。


 「…………一定以上の症状を発症した狂信者が、皆この紋様を描き始める事を知ってるんですか?」


 「何だって?」


 適当に返した言葉が偶然にも要点を言い当てたらしく、ゼレーニナは随分と意外そうな顔のまま、幾ばくか頬を緩めた。


 「そうです。この二人の狂信者は、リドゴニアの辺境とペラセロトツカの市街地という限り無く離れた土地に居ながら、かなりの共通点を持つ紋様を描き出した、という事なんですよ」


 大分停滞していた頭を何とか回転させる。辺境の土地に居た狂信者と、遠い市街地に居た狂信者が、似た様な紋様を書き始めたと。


 まぁ少しは面白いが、それがどうしたと言うのか。同じ記号を書く奴がそこまで珍しいとは思えないが。


 「…………それは、凄い事だな」


 取り敢えずで返事をするも、俺の返事の空虚さに気付かないゼレーニナが益々熱を帯びる。


 「全くです、何一つ共通点の無い遠方に居る二人が、かなりの共通点を持つ紋様を書き始めたんですから。狂信者に取ってはかなりの意味を持つ紋様なのは間違いありません」


 食い入る様に頁を見つめながらそう呟くゼレーニナに、不気味な物を感じながら頭を掻く。


 かなり凄い事らしい。テネジア教徒でも、遠方同士で同じ紋様を描くぐらいあると思うんだがな。


 「まぁ、ウルグス神霊教の間で流行ってる紋様なんだろうな」


 取り敢えず話を合わせようとそう呟くと、ゼレーニナが顔を上げた。とんでもなく、失望した顔をしている。


 クソ、しくじったらしい。


 「………………………ブロウズ、意味を理解せずに話を合わせましたね」


 顔が苦くなるのが自分でも分かる。


 「悪かったよ。けど同じ紋様を描いただけで何がそんなに凄いんだ?テネジア教徒だって、リドゴニアだろうとニーデクラだろうと、キロレンだろうと同じ文言を書いてるぞ。聖書の通りにな」


 そう肩を竦めながら返すと、ゼレーニナはとても大きな溜め息を吐いた。まぁ随分と株が下がったらしい、知った事ではないが。


 「……良いですか、この紋様を書いている二人は確かに、ウルグス神霊教という共通点はありました。ですが、逆に言えばそれだけなんです。神霊ウルグスに関しては現在、テネジア教の聖書や聖典に類する物は1つも確認されていません。ただ、恐ろしい逸話を残す伝承が幾つも語り継がれているだけです。狂信者が書き綴る物、刻み付ける物を除いて、ですが。ウルグスについては半分以上が不明瞭のままなんです。ただ、古代から伝説として伝承されている強大なフクロウ、それがウルグスです。シンボルの様な物は何一つ………あぁ、骨に関係がある描写は少数ありましたが。とにかく、聖女テネジアと比べると遥かに不明瞭な部分が多い神なんです」


 止まらずにゼレーニナが喋り続ける。どうやら随分刺激してしまったらしい。あの時、間に合わせで返事なんてするんじゃなかった。


 「聞いていますか?つまりですね」


 クソ、まだまだ喋るつもりだ。勘弁してくれ。


 「ウルグス神霊教は何一つシンボルの様な物を残していません。それなのに、一定以上の………略します、狂信者達は皆誰から教えられた形跡も無いのに、皆共通した紋様を描き始めるんです。彫刻したり、塗料で描いたりと方法に違いはありますが」


 頭を必死に回す。つまり、狂信者達は知らない筈の紋様を皆共通して描き始めるという事か。何も教えられていないのに、示し合わせた様に同じ紋様を刻み始める、と。


 「成る程な。知らない筈なのに示し合わせた様に同じ紋様を、と言う訳か」


 「そうです、文化圏も違えば言語圏も違う筈の遠方の二人がどうやって文献の無い同じ紋様を描き始めたのか…………」


 ゼレーニナが唇に指を当てる様にして考え込んでしまう。よし、やっと落ち着いたか。


 最初は普通に話が上手く行っていたから忘れていた、こいつは本来こういう奴だったな。


 「……俺も、いつかこんな紋様を部屋一面に描く様になる、て事が言いたいのか?」


 そんな俺の言葉に、唇に指を当てていたゼレーニナがふと思い出した様に本に向き直り、頁を再び捲っていく。


 「この紋様については、共通点が多くとも実際に狂信者達が描く紋様にはかなりの差異があるんです」


 「聞けよ」


 もっと早くサイフォンからコーヒーでも淹れるべきだったか、全く。


 「紋様の中にはかなり違う物もありますが、やはり少数に過ぎません。大半の紋様はかなりの共通点を持っているんです、その共通性や共通点を抽出したリドゴニアの学者が再現した紋様があるんですが………」


 「学者も狂信者の落書きを追っている訳か。賢い連中の考える事は分からんな」


 目の前の奴も含めてな。


 「ありました、この頁です」


 改めて目の前に両開きで本が広げられる。片方の頁を丸々1つの紋様の図解に使い、もう片方の頁は全て注釈や説明らしきニヴェリム語で埋まっている。


 随分と注意書が付いた大きな図解、そしてそこに大きく鮮明に描かれた紋様。


 息を呑んだ。


 「凄く、似ていませんか?」


 そんなゼレーニナの言葉も遠く聞こえる。ぼんやりと左手をその頁に重ねる様に翳した。





 そこには、左手の痣とかなり酷似した紋様が鮮明に描かれていた。





 「……これが、狂信者の紋様なのか?ウルグス神霊教の………」


 喉が渇いていくのを感じながら、何とかそう呟くとゼレーニナが頷く。


 「狂信者達が書き残した文献から統合的に判断すると、この紋様は狂信者の証というよりはウルグスに囚われたもの、もしくはウルグスと繋がったもの、という意味を見出だしている教徒が数多く居た様です」


 心臓がベルの様に鳴っているのが自分でも分かる、蹴飛ばされた様に動悸が激しくなっていく。


 「………これが、グロングスの証という説は?」


 「統合的に判断すると、幾らか有力な説ではあります。狂信者からすればウルグスの僕となる事こそ、大義であった筈。短絡的な節は否めませんが先程の話を含めれば、グロングスになる為にひたすらあの紋様を崇めていた……と言えなくもありません」


 椅子に体重を掛け、左手を握り締める。


 この痣が、あのフクロウに目を付けられた証?フクロウに触れられた証という事か?


 それとも、俺がグロングスだと言う証なのか?


 「……あくまで、有力な仮説に過ぎません。私も本格的にこの分野に着手・研究したのはここ最近の事ですので。恐らくはまだ偏りがあると思います」


 そんなゼレーニナの声が遠く聞こえる中、握り締めた左手をずっと見つめていた。


 「ですがその理論を通すならば………貴方は、狂信者達が喉から手が出る程欲しい紋様を手に入れた事になります」


 頭の中で、ウルグスと出会った夢の事が何度も繰り返されていた。そして、俺が変わってしまったあの瞬間も。


 肺の奥まで冷え込む様な、崖から覗き込んだ様なあの空気。暗い雨が降り注ぐあの夢。


 「代償は?」


 「はい?」


 俺の不意な言葉に、ゼレーニナが虚を突かれた様に言葉を返してくる。


 「グロングス………神霊ウルグスの力に、何か代償を支払う様な記述はあったか?」


 「代償………ですか」


 思い返していた。痣を焼き付けられたあの瞬間。


 言葉は無くとも、あの時ウルグスは俺に何かを聞いた。俺に何かをもたらす事、そして俺から何かを削り取る事。その上で、俺に力を求めるか聞いてきたのだ。


 只1つ言える事は、あの時俺は選択した。得る代わりに失う事を。とてつもない力をもたらす代わりに、とてつもない何かを支払う事を。


 俺は何を得て、何を失うのか。何一つ分からなかった。


 「……伝承によると、ウルグスからグロングスに求める代償はとても重く、その代償は生涯分かる事は無い、または支払って初めて気付くと言われています。一説によると、ですが」


 握り締めていた左手を広げて、翳す。


 俺は、何を失う事になるのか。それとももう失ったのか?


 あのナッキービルの庭園で黒魔術を使った時、俺は確かに一線を超え、歪んでしまった。それだけは確かだ。


 「今の所、有力な情報はそこまでですね。後々は判明次第、また伝えますが」


 ゼレーニナが革表紙の本を閉じた。どうやら今回の用件はこれで終了らしい、確かに言われた通りの用件ではあったな。想像の何倍も重い話ではあったが。


 「サイフォンを貸してくれ」


 そう言って椅子から立ち上がると、ゼレーニナもどうやら話の終わりを察したらしく少し鼻を鳴らした。


 「コーヒーを淹れるなら二杯淹れてください」


 本や文献を纏めながら、顔も向けずにゼレーニナがそんな言葉をかけてくる。相変わらずというか何というか。


 まぁ、今回ばかりはコーヒーを淹れるぐらい吝かではない。一人じゃ間違いなく手が届かない情報が手に入ったのだから。


 「あぁ、そう言えば。あのウルグスの図解なんだがな」


 「何です?」


 サイフォンに向かおうとして、そう問いかけるとゼレーニナが本を抱えたまま、意外そうな顔を向けてくる。


 「あのウルグスの図解に出てきたフクロウ、全然似てなかったぞ。色も何もかも全然違う、眼の色なんて実際は青だったしな」


 そんな俺の言葉に暫し呆然とした後、ゼレーニナが眼を細めて可笑しそうな顔をする。


 吹き出すのを何とか堪えているらしく、顔を背けたりして何とか耐えている様だ。


 「どうした?」


 余りにも意外過ぎるゼレーニナの笑いに少し気後れしながら、言葉を返す。


 こいつ、笑ったり出来たのか。何と言うか、てっきり頬が固まっているとばかり思っていたが。


 「いえ、何もブロウズが可笑しい訳では無いんですが」


 それでも可笑しそうにゼレーニナが言葉を続ける。







 「神霊の挿し絵に“似てない”なんて言えるのは、貴方ぐらいでしょうね」

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