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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
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 胸に溜める様に息を吸った。






 深すぎない程度に息を吸った程度で時間を掛けて息を吐いていく。


 凪いだ水面の様に魂を落ち着ける為、または研ぎ澄ませる為に山小屋の一室で昼過ぎからひたすらに瞑想していた。


 様々な想いが意識の中に沸いてはウツボの様にのたうち回り、頭の中に轍を残しては消えていく。


 もうじき、正式に任務が言い渡されて自分とデイヴィッドを含めた多くのレイヴンが戦地へと赴くだろう。


 コールリッジの邸宅で戦った、機械仕掛けのあのおぞましい鋼鉄の巨人。


 たった一体でレイヴン達を何人も叩き潰して踏みにじった自律駆動兵が何体もうろついている、悪夢の様な強制収容所へと。


 パトリックとスヴャトラフへの献花、葬儀が瞼の裏に湧きあがっては頭の中でのたうち回り、火傷の様な後を残していく。


 そんな頭の中の跡に無理に対処しようとせず、再び静かに息を吸っては時間をかけて吐いた。


 彼らは帰ってこない。正者が故人に出来る事は、悼む事と讃える事、侮辱しない事。それだけだ。


 そして彼らは、重要な任務において誇り高く散った。


 それ以上の事はないのだ。


 影ばかり追っていると、日陰から出られなくなる。それは故人が望む答えではない。


 むしろ、散っていった彼らの為にも強制収容所の自律駆動兵を打ち破る事に集中するべきだろう。


 意識の節々から脅威の記憶が湧きあがる。

 記憶を追いかけては駄目だ。押し込めるのではなく、受け流さなくては。


 水面に波紋を立てない様に。立てても波紋を咎めない、水面が静まるのを待つ。


 気長に、穏やかに。簡潔に、明瞭に。


 余計な事を考えない、いや。余計な事を見逃してやる。


 決して無理に空白で塗り潰す事はせず、消えないのなら消すのではなく丁寧に片付けていく。


 張り詰めた弦を正しい張りに戻す。過剰に張り詰めない様に整えながら、その上で不要な弛みを取る。


 精神の圧力を全て抜き取るのではなく、精神の正常な圧力に戻すのだ。休息や解放ではなく、調律。


 戦場で血が纏わりついた剣や斧を丁寧に清めた後、静かに研いで次の戦いに備えるのと同じだ。


 もう血を洗い落とし刃を休める段階は終わった。


 今は刃を研いで、近い内に来る戦場へ備える段階だ。


 少しの間の後に、波紋の無い水面の様に整理していた頭で任務の事を想う。


 自律駆動兵の事や多数の死者、パトリックやスヴャトラフ、そして前回“以上”の任務内容。


 弦を休め、張り直し、研ぎ澄まし、調律した甲斐あって、それでも水面は揺れない。


 これから前回以上に危険で過酷な任務に赴く事になる、と正しく理解した上でも水面も荒れず、頭の中は澄んだままだった。


 これで良い、と胸中で呟く。


 今までの任務も十分に過酷で斧の刃を敵の件で削る様な戦いだったが、これからは更に“人間の頭に斧を振り下ろすだけでは勝てない”戦いにも挑んでいかなければならないのだ。


 ならば、肉体と刃をこれまで以上に研ぎ澄ますのは当然の事として魂と精神も、明確な意志と共にそれこそ刃を打ち破る程に研ぎ澄まさなければ。


 我々の長年の悲願と積み重ねた血によって、レガリス、ひいてはバラクシアの革命は遂に佳境に入った。


 それに伴い革命の戦火は浄化戦争の戦火に勝るとも劣らない程、苛烈になっている。


 日々の鍛錬を怠らないのは言うまでもなく、これからは指先一つどころか頭で思う事一つ取っても研ぎ澄まし、磨き上げなければ。




 ミス・ゼレーニナ…………あの底知れない小柄な“塔の魔女”が、塔で涼しい顔をしながら“悪魔の碧眼”をデイヴィッドに飲ませた事を今でも思い出す。また、デイヴィッド自身もそれを必要ならばと平気で飲んだ事も。


 誤解や齟齬を恐れずに言うと、勝利の為なら、またそれが避けられない試練ならば、命を落とすかも知れない霊薬を迷う事なく飲み干すデイヴィッドの姿は、世界を司る膨大な叡智を授かる為に躊躇なく片眼を捧げた戦神、フラヴゴロルの様だった。


 今でも、思い出すだけで肝が冷える光景だ。


 もし万が一の事があれば“魔女の塔”で、あの日デイヴィッドは悪魔に魂を吸われて死ぬか、死を望む事すら出来ない生涯を送る事になったのかも知れないのだから。


 だが結果から言えば、デイヴィッドは宣言通り“上手くやった”。


 命を落としかねない霊薬に打ち勝ち、一握りの選ばれた戦士の如く血を燃やす事に成功し、既に数度とは言え駆動兵の装甲を人の手で打ち破るという目的を達成している。


 少しではあるが、まだ任務までは日にちがあるので鍛錬を続ければ更に技法を習熟出来るだろう。



 だが。



 冷静に、物事と思考を割り振って組み立てる。


 無視出来ない事実として、圧倒的に鍛錬の日数が足りない。それに加えてデイヴィッドは戦場において、まだ“意図的に血を燃やした”経験が無い筈だ。


 これは言うまでもなく危険な因子であり、この危険性によって今回の任務を失敗に陥らせる可能性が、十二分に考えられる。


 加えて言うなら、デイヴィッド・ブロウズの死亡も含めて。


 自分なら意図的に血を燃やした経験も数多いが、それでも今回の様な自律駆動兵相手に真正面から激突する、それも装甲をこの手で打ち破る前提の作戦は初めてだ。


 危険度で言えば、此方だって十分に高い。


 そしてそれらを踏まえて言うのなら、結果論ではあるがデイヴィッドと自分が自律駆動兵と真正面から打ち合う、また装甲兵を相手にする様に真正面から打ち破る、というのは、自分1人があの小柄な魔女の手助けを借りながら、他のレイヴンを自律駆動兵から守るべく奔走するよりも、生存率も成功率も高い作戦と言えるだろう。


 そう考えれば、あの場で躊躇なく悪魔の碧眼を飲み干して血を燃やす事に成功したデイヴィッドは、今回の任務に関して大きく貢献した事になる。


 浄化戦争を含めて数多の窮地を潜ってきた判断力と覚悟は、やはり伊達ではない。あくまで結果論で言えば、だが。


 再び胸に溜める様に息を吸った。


 今回の任務、最終的な方針決定こそしていないがまず間違いなく自分とデイヴィッドを主軸に、数多の自律駆動兵と衝突する、何なら撃破する話になる筈だ。


 この団にはデイヴィッドを良く思わない者も多い為、デイヴィッドが主軸になる事に色々と紆余曲折もあるだろうが上層部、ひいては幹部達なら絶対にこの作戦が効果的と言う事に気付くだろう。


 ここで気付けるからこそ、黒羽の団は浄化戦争の後もこの現代に至るまで生き残り、再び革命の炎を灯したのだから。


 レイヴンが正式に何人投入されるのかは分からないが、同じ答えに行き着くのなら向こうも分かっているはずだ。 


 様々な作戦も思惑も、任務の方向性もあるだろう。


 何なら、他のレイヴン達も技術班が開発・改良した武器で、あの悪夢の様な巨人に立ち向かうだろう。


 だがそれでも、ほぼ間違いなく。






 今回の任務の成否は、自分とデイヴィッドに全てが掛かっている。

次回更新日は2026年の4月1日です。

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