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世界には生以上の死が数多く存在し、死以下の生も同じく存在する。
しかし人々は口々に、死こそ最悪の結果だと、もしくは死こそ最上の結果だと語る。
それを、ある者はこう評した。
生まれて、生きて、老いて、死ぬ以上の世界を知らないからだ、と。死を生きる事の底と蓋にしているのだ、と。
生と死を理解する者にとって、この世界には生を謳歌する以上に救われる死が数多く存在する様に、死以上に残酷な生も数多く存在する。
人類がこの空に生を受けて以来、様々な者が不老、そして不死を望んできた。
望む者の中には歴史に名を残す者も数多く、残さない者は更に多く。
だが不老を訝しむ者は多く、不死を嗤う者は更に多かった。
不老など有り得ない、と。不死など絵空事だ、と。賢しく見せる為に、そう吹聴する者も数多い。
見せた通りの中身があったかは、別として。
しかし、その一方。
不老と不死を、真の意味で悔いる者は少なかった。
不老と不死を真の意味で畏れる者は、更に少ない。
その悔いと畏れを説く者こそ、罰として不老と不死を自らの手で罪人に与える者達だった。
“彼等”は不死に著しく近付く事、また不老となる事はその者を魂を人で無くなる程に腐敗させるとして、不老と不死は死に勝る天罰、誅罰として語り継いできた。
人の身には償えぬ、贖えぬ罪を犯した者への罰として。
人としての死を奪われる、または人として生きる事を奪われる、という罰を。
彼等は狂気と盲信、そして命を淀ませる程の黒く冷たい祈りによって、仮初ではあるものの人の身を超えた力を手にしていた。
人の身に赦されない罪を犯した者を、裁く為に。
一方、黒く冷たい祈りによってもたらされる、淀みの力を恩寵とする者も居た。
人々が祈りの末に辿り着いた、聖なる祝福として。
仮初の不死と不老を含む、淀みの力を選ばれし者にのみ許される、荘厳かつ研ぎ澄まされた力として背負う者。
祈りによってもたらされる穢れと濁りを、怨敵や宿敵を討つ矛とする者達は、破滅や悲劇の運命を変えるべく力を求めた。
奇しくも黒く冷たい淀みを罰とする人々と同じ、狂気と盲信、黒く冷たい祈りによって。
そして、淀みを罰とする者も、淀みを矛とする者も、人々は口々に語った。
神霊ウルグスの名を。
人々は血の滲む様な気概と気迫で祈った。
神霊ウルグスの名に。
ある者は不敬に罰を願って。
ある者は怨敵を打ち倒す矛を願って。
ある者は絶望の末に全ての破滅を願い。
ある者は恩寵と誅罰による、世界の安寧を願った。
狂気と魂を込めて、骨を削りながら。
ウルグスはそんな教徒達の前に虚無の中から不意に現れ、湧き立つ教徒達に嗄れ声で淡々と語った。
不老の者など居ない。不死の者など居ない。
例え、どれだけ不老に近づいた物が居たとしても。不老としか思えぬ者が居たとしても。
縮尺が違うだけだ。目を近付ければ砂山が山脈に見える様に、水たまりが湖に見える様に。
世界の誰にも脅かせない完全なる不老と不死を成した者が居るとすれば、それは死者に他ならない。
お前達に、下す罰など無い。
お前達にあるのは、手に入れた力に対する代償だけだ。
力を得た者、また力を人々に与えた者、冷たい濁りに触れた者の全てをウルグスは虚無に呑み込んだ。
数多の者が虚無の中で力の代償に喘ぎ苦しみ、悔いる傍らで虚無に佇むウルグスは、その双眸を濁りに取り分け深く触れた者に向けた。
黒く冷たい濁りに深く触れ、因果と宿業を身に纏い、運命に翻弄され、望む望まざるに関わらず濁りに侵された魂を、益々淀ませていく者に。
ある者は濁った魂の淀みが溢れ出したかの様に、黒い蜜を吐いた。
またある者は、魂の淀みが滲み出したかの様に黒い蜜の涙を流した。
溢れ出した、深く濁った魂の色をウルグスの蒼白い双眸が捉える。
ウルグスが、微かに微笑んだ。