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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
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「クジラが空から大陸に落ちてくるのは、空からの贈り物とされていたんだ」






 木組みの椅子に座り何とか息を整えている間、ユーリが丁寧に語り続ける。


 額に吹き出した汗を、適当に拭った。


「皮も骨も、まだ生きているなら肉と血も有効に活用出来たからな。古代にはクジラが落ちてきた事を切っ掛けに、村が発展していき大きな町になった記録だってある」


 走り込んだ疲労とはまた違う、心臓の鼓動が急に倍の大きさになった様な感覚を、何とか呼吸で宥める。


 これだけの感覚を、呼吸程度で宥められるのかは分からないが。


「人々が大陸で生きていた時代………飛行船どころか蒸気機関すら無い、産業革命前に有効利用されていたクジラ達は大空を泳ぎ続けても満足に獲物が手に入らない、または休む時に森林などで身体を隠さないと攻撃されてしまう、等の理由で大陸から余り離れられなくなってきた老齢のクジラが殆どだと言われているんだ」


 得意な分野の話なのか好きな分野の話なのか、あるいはその両方か。


 訛りを抑えた、丁寧な口調のマグダラ語でユーリがクジラについて語り続ける。


「弱ったクジラが老齢の為に大陸や森で身を隠そうとした結果、森に居た他のサメ等に攻撃されたりそのまま事切れたりもしていたそうだ」


 天井を見上げつつ、かつての人々に少し想いを馳せた。


 クジラ、か。


 現代でさえあれ程の迫力があり、人々からサメ以上に恐れられているのだから、かつての人々には何れ程の存在だったのか想像に難くない。


「クジラは只でさえ巨大だから、それだけで充分な資源になる。それにこう言ってはなんだが、大陸に落ちた後も瀕死のまま暫く生きている事も少なくなかった筈だ。ならば、完全に事切れるまでは肉も中々腐らない」


「正しく、“贈り物”だった訳だ」


 何とか呼吸を整えながらも、そんな言葉を返す。


 単純に考えて巨大なクジラの体積がそのまま肉となって、空から“贈られる”のだから壮大な贈り物である事は間違いないだろう。


 瀕死のまま動かず、故に見失わず、故に腐らない。


 瀕死で落ちてきたクジラが、自分の様な素人でさえ当時の人々にとってどれほど都合が良いかは容易に想像がついた。


 ユーリが、僅かに口角を上げる。


「そして人々の文明が発達するにつれて、空を舞う老齢のクジラが大陸付近を通った際に事切れるのを待たず、毒付きの銛や矢を何度も投げ数日かけて仕留めた記録も数多く残っているそうだ」


「“贈り物”の範疇が広がった訳か」


 我ながら随分な皮肉だな、と胸中で溢した。


 早い話が、手が届くなら待ちきれなくなった訳だ。


 俗に言う“信心深い人々”は、自身の手や力が及ばないものを畏怖し、敬意を払う。また、逆も然り。


 自身の手が届く神など、神ではない。


 人々が声高に叫ぶ“敬意”とやらが、どういう理屈で成り立つか良く分かる話だ。


「クジラに投げられていた大型の銛は、次第に攻城兵器の…………バリスタ、に近い物で銛を打ち込まれる様になり、大陸に寄ってくる老齢のクジラは、事切れる事を待たず人々が仕留める様になった」


「遂に、人々がクジラを狩る時代になった訳だ」


 森の狩りで手に入るシカ、ニワトリの様にクジラ程の肉や皮、骨や内臓が手に入るなら人々が駆け出していかない道理は無い。


 仮に、信仰している宗教にそれを禁じる様な文言があったとしても背信を承知でそれに背くか、意図的に文言を曲解して狩りに勤しんだだろう。


 それでも上手く都合が付かないのであれば不都合な部分の文言に、“この部分は原典では記載が見つかっていない”だの、“我々の宗派の信条にはこの文節は含まれていない”だの、何かしら理由をつけて文言そのものを無視してでもクジラを求めた筈だ。


 まぁ、言うまでもなく銛と矢であの巨大なクジラを仕留めようとするならシカとニワトリを狩るどころか、サメ狩り以上に危険な狩りである事は言うまでもないのだが。


 自分の立場で言うのも何だが、その時代に空を泳ぐ巨大なクジラを仕留めて扱いきれない程の肉や骨を人々にもたらした者こそ、正しく“英雄”と呼ばれるに相応しい人間だっただろう。


「一説には、クジラに銛を打ち込むバリスタは戦争において攻城兵器に転用されたのであって、元々はクジラを狙うものだったそうだ」


「攻城兵器に転用?バリスタがか?」


「あぁ」


 ユーリの訛りを抑えたマグダラ語に、楽しそうな色が滲む。


 空を泳ぐクジラを狙う、銛を放つバリスタが攻城兵器から転用されたのではなくむしろクジラ用に使われていたバリスタの銛を矢に変えて、攻城兵器に転用されたのが始まりだったと言う訳か。


 実際の歴史がどうだったかは別にしても、正直に言うと結構興味をそそられる話題ではあった。


 まぁ、巨大な標的を打ち砕こうとする目的が同じなら同じ様な兵器になるのは当然の話か。


 勿論大空を飛び回るクジラじゃなく大陸にそびえ立つ城を狙う訳だから、放つのは銛ではないだろうが。


 少し息を吐く。呼吸が整ってきた。


「クジラに比べたら、城を狙う方がマシだろうな。少なくとも城は動かないから矢は当てられる」


 そんな俺の言葉にユーリが納得した様に頷く。


「確かにそうだな。それに城が相手ならクジラと違って、矢に毒を塗る必要も無い」


 そんなユーリの言葉に顔を幾らか上げた。毒、か。


「矢に毒を塗る必要も無い、ね。矢に塗った程度でクジラが落ちる程の毒なんて、瓶に入れたら瓶に穴が空きそうだな。その時代には、テリアカも無いだろうし」


 あれだけの巨体を、肉体の傷ではなく毒で落とすとなると生半可な毒では無いだろう。


 毒虫が自分より小さい虫に使う毒は、小さな虫相手には仕留める程の威力があっても人に対しては刺された場所が腫れる程度で済むように、人が死ぬ程の毒であの強大で頑強なクジラが直ぐに死ぬとは到底思えなかった。


 毒の威力を過信した、若い猟師の話がある。


 死亡事故さえ起きている有名な毒虫の針で作った毒矢を、若い猟師はオオニワトリに不意に命中させた。


 矢の刺さったオオニワトリが悶え苦しみ、暴れまわるのを見て勝利を確信した猟師は一旦退いて毒が回るのを待ち、後に毒で倒れたニワトリの亡骸を探しに行ったが亡骸は見つからず。


 猟師が首を捻っていると翌週、そのオオニワトリが“毒矢が刺さったまま”人に襲いかかった所を、別の老練な猟師に仕留められたと聞かされて心底驚いたという話だ。


 この話の教訓は、簡単だ。


 死亡事故が起きている事からも分かる通り、その有名な毒虫の毒が弱かった訳ではない。そのニワトリの体内にかの万能解毒剤、テリアカが流れていた訳でも無い。


 理由は一つ。


 その毒は人に用いられたなら死に至らしめただろうが、野山を駆け回り獲物を食い漁り、鉤爪で引き裂くニワトリに用いるには足りなかった、というだけだ。


「勿論、矢に塗る程度の量であのクジラを刺さった途端に島に落とす程の毒なんて、まず無い。人間相手には相当強い毒である事は違いないが」


 ユーリの声が、考え込みそうになった思考を不意に引き戻した。


「もしそんな毒があったら、今頃テリアカは瓶と皮下注射器じゃなく樽とポンプで売られていただろうな」


 仮にテリアカを樽で持っていても、そんな毒が相手ではまず間に合わないだろう。


 ユーリが少し此方の様子を見る様な素振りをしてから、ユーリが話を続ける。


「打ち込んだ毒の量にもよるが…………当時のクジラを狙っていた人々が銛に塗る様な、所謂一般的な毒ではクジラを絶命させるまでに数日掛かる。それも見かける度に投げた上で、だ」


「…………それ、ちゃんとクジラは手に入るのか?数日掛かるなら、空の真ん中とかでクジラが力尽きたら何もかも無駄になるんじゃないか?」


「そういった事も勿論あっただろうが、大陸の周りを彷徨く様になった老齢のクジラは毒で弱ると、最後の最後まで大陸ひいては森林等の中で休もうとする。結局、そのまま森林の中で事切れる事になるが」


 少し鼻を鳴らした。成る程、“贈り物”とはよく言ったものだ。


 老いたクジラにとっては大空で大きな獲物を得られなくなり、休む時でさえ他から攻撃される為に大陸の辺りを彷徨っているというのに人間達から毒まで打ち込まれるのだから、控えめに言っても納得いかない結末だろう。


 だが人間からしたら、老齢などで弱ったクジラが手の届かない大空から自分達の手の届く大陸に寄り付いてくるばかりか、人間達に毒を打ち込まれて事切れる寸前になってさえ大空の何処かで事切れずに、わざわざ自分達の手が届く大陸に落ちてきてその身を“差し出してくる”のだから“贈り物”という他ない。


 椅子からゆっくりと立ち上がるとユーリが心配した様子で気遣おうとしたが、手で制した。


 そろそろ、もう一度苦労する頃合いだろう。


 近くに立て掛けてあった大型のウォーピックの元に歩いていこうとして、不意に頭の中に引力が発生した様な気分になり足を止める。


 素早く近寄ってきたユーリが有無を言わせぬ動きで、俺を椅子に座らせた。


 クソ、まだ駄目か。


「今日はもうやめておいた方が良いんじゃないか?一度は成功しているんだ、時間だって別に追い詰められている訳じゃない」


 そんな言葉と共にユーリが、部屋の一角に目をやる。


 視線の先にはこの為だけに用意した、特殊合金の装甲板が枠に固定される形で鎮座していた。


 少し息を吸う。


「もう一度だけ成功させたら今日は止めるさ」


 ユーリが何か言おうとしたが、直ぐに口を引き結ぶ形で沈黙した。


 それを悟られない様にした様だったが少し不自然なのはどうしようもなかったらしい。


 本当に大丈夫なのか?ユーリの眼が、そう語っているのが分かる。


「クジラの毒が効いてきたのかもな」


 ユーリは口角一つ上げなかった。


 この冗談はやめよう。


「言ってみただけだ」


 俺が苦し紛れにそう言うと、ユーリが何処か納得した様な表情を見せる。


 拍子抜けとも表現出来る様な表情だった。


「ああ、知っている訳ではないのか。すまない、もしかしたら知っている上で言っているのかも知れないと思ってな」


「何がだ?」


 知っている訳ではない?何の話だ?


 俺がそう返すとユーリが手近な、大きな椅子を引っ張ってきて座りながら再び話し始めた。


 まぁ、もう暫く話しても良いか。


 先程のふらつき方からしても、もう一度挑むまで回復するには暫くかかるだろう。


「お前は冗談で言ってるんだろうがクジラの毒、という物は実在するんだ。古来から秘伝される、リドゴニア北部の希少な毒草と別種の毒草の蜜を用いて製造されていた麻痺毒は、クジラでさえ数時間から2日足らずで大陸に落とす程の毒だったそうだ」


 少し顔を上げた。


「数時間から2日足らず?そんなに強い毒があるのか?」


「言っておくが銛や矢で打ち込める程度の毒の量で、だ。その毒に侵されたクジラはもう毒を塗った銛を投げずに放っておいても、いずれ大陸に落ちてそのまま心臓が止まると聞いた」


「クジラがか?」


「クジラがだ」


 ユーリが座っていた椅子が、幾らか軋む。


 幾ら強力な毒とはいえ、あの強大なクジラを長くても2日足らず、早ければ数時間で死に至らしめる麻痺毒だと?


 当たり前だが、聞いた事が無い。そんなに強い毒なら、人に使われてそうなものだが。


 そしてもし使われていたなら、少なからず隠密部隊時代にそういった毒の名前ぐらいは聞いているだろう。


 隠密部隊に居た頃、使う使わないは別として様々な毒の話を聞いた。


 ペラセロトツカで使われた毒、リドゴニアで使われた毒は勿論、キロレンやニーデクラで使用された毒の話も。


 “確実に標的を抹殺したい”隠密部隊にとって、テリアカが普及した現代の都市部では大半の毒が標的の確実な毒殺には向かない、有用と思える水準に達しない毒が殆どだったが。


 その為、テネジアの祈りを捨て帝国の影で血と泥の中を歩む隠密部隊でさえ、毒を使う部隊はかなり少ない。


 だが即効性の毒を刃や矢に塗って戦闘中、剣戟の最中に相手を弱らせたり、テリアカを使えない事情や所持出来ない事情がある相手に用いたりと、状況によっては毒も有用となる為、自分が所属していた部隊では隠語を用いて時折、即効性の出血毒や麻痺毒を用いていた。


 だからこそ現代において戦場で使われる様な毒、人及び兵士に対して有用な毒については少なからず知見がある。


 銛で刺さる程の量で、2日と立たずにクジラを大陸に落とす様な毒なんてあったなら確実に噂だけでも俺の耳に入っている筈だ。


「そんな毒は聞いた事が無いが…………実在するなら相当強い毒の筈だろう」


「あぁ、相当強い、俺が知っている中では一番強い毒だ。リドゴニア、下手したらバラクシアで一番強い毒かもしれないな」


「それこそテリアカが樽で必要だな」


「聞いた話だが、古代から伝わる秘伝の毒だから現代のテリアカでは万能解毒………酵素、が対応出来ないからこの毒に侵されるとテリアカでも解毒、中和が追いつかないそうだ」


「テリアカの解毒が追いつかない?」


 少し眉根を寄せた。


 半世紀近く前にバラクシアで生み出され、去年にはランゲンバッハ女史によって体力の無い女性や子供でも使用出来る様、更に改良された万能解毒薬テリアカ。


 そのテリアカはバラクシア中で確認されている各種様々な毒物、及び毒性に対して人々には致命的な量でさえ中和する。


 万が一、根治こそならなかったとしても毒性や毒物による中毒症状の大幅な改善が見込める、正しく現代技術の結晶だ。


 ユーリの眼を見た。


 現代の技術力によって生み出された万能解毒薬、テリアカでも効かないという事はテリアカによって付与される抗体や耐性では中和、代謝する事が出来ないという事になる。


 少なくとも、レガリスの連中に“テリアカの効かない毒がある”などと言えば山程の反論が来る事は間違いないだろう。


「ユーリ」


「何だ?」


 話しかけると、ユーリは殊更に椅子を軋ませながら此方に身を乗り出した。


 眼の前に居るユーリの体重が何ポンドかは知らないが、あの椅子に巨岩から彫り出した様なユーリの巨体は些か荷が重いのでは無いだろうか。


 今更な話ではあるが。


「何と言うか率直に言って良いなら、そんな物があるのならもっと噂になる筈だろう。レガリスの連中にだって頭の回る奴は居るし、目鼻が利く奴も居る。それこそ帝国軍にもな」


 おが屑と廃油が頭に詰まっている様な連中が、数え切れない程居るのも確かだがな。


 そう締めくくるとユーリが鼻を鳴らす。


「目鼻が利いて頭が回るお前が居るんだから、そんな事は分かっている」


 僅かながら笑みが溢れ、此方も微かに鼻を鳴らした。


 こいつ。


「だが、それなら尚更だろう。テリアカが効かない毒なんて物が本当にあるのなら、レガリスの連中が黙ってない筈だ」


 掛けられた言葉に悪い気がしなかった事は置いておくにしても、それはそれとして筋が通らない事に変わりは無い。


 テリアカが通じない毒なんてものがあるのなら、率直に言って使われない訳が無いのだから。


 言うまでもなく、俺は他人を確実に殺せる武器を手に入れた人々がその武器をどう扱うかを、よく知っている。


 両手の指を賭けても良いが、“万が一にも人々が傷付かない様、こんな危ない物は誰の手も届かない空の底に捨てよう”なんて言う人間が少数である事は間違いない。


「単純な話だ。そのクジラの毒は、現存していないんだ」


「現存していない?」


 ユーリの言葉に、首を捻った。


 先程まであれだけ話していたクジラの毒とやらが、現存していないとはどういう事だろうか。


 訳が分からなかった。


 テリアカの効かない毒がレガリスに広まっていないのは、現存していないから?


 現存していないという事は、製造されていないと言う事だろうか。


 しかしそれなら尚更に製造されていないのが府に落ちない、先述の理由からも製造を止める理由は無い筈だ。


 椅子を軋ませた。


 原材料が無いのだろうか。いや、今更レガリスが必要な物を用意出来ないとも思えない。


 あの瘴気層間際に生息してるらしいヒツギバチの蜜でさえ、金と手間を掛ければ手に入るのだから。


 その事に掛けてはレガリスはバラクシアでも随一と言って良い、そのレガリスが用意出来ないとは思えない。


 逆に言えば、役に立たないとなればこれだけ巨大な廃鉱山、ひいては浮遊大陸でさえ地図から消してしまうのだが。


 椅子を軋ませる。


「何だ、クジラ毒ってのは神話の話か?」


 そんな俺の言葉に、少しの間を置いてユーリが口角を上げる。


 笑う事無いだろうと言いかけたが、すぐに考えを変えた。


 そう思う気持ちは分かる。自分もそう考えたさ。


 ユーリの眼と顔は、そう語っていた。


「確かにクジラの毒は神話に例えられる事もあった。壮大で荘厳なクジラは元々、神々の血肉から生まれたとされているからな」


 そう語るユーリの言葉を聞いて、ザルファ教でクジラがどう語られていたかを思い出す。


 ザルファ教、氷骨神話においてクジラは神々が民に分け与えた血と肉が祝福されて生まれた存在だ。


 大陸に落ちてくるクジラが、正しく神々の贈り物だった訳か。


「だからこそ、神々に祝福されたクジラを大陸に落とす事は神の化身を空から地に落とす事でもあるから、そのクジラの毒は“神殺しの毒”とも呼ばれていたんだ」


「神殺しの毒とはまた大きく出たな」


「他にも“神々が堕落した神に使う毒”とも呼ばれていたし、人がその麻痺毒を受けると直ぐに身体が麻痺して起き上がれなくなり、そのまま事切れる事から“魂喰らい”、“魂を奪う毒”なんて呼ばれても居た」


「魂を奪われる、か」


 余りそう言った発想は無かったが、確かに麻痺で身体が動かなくなっていく様は古来の人々から見れば、魂が抜けていく様に見えただろう。


 古来ならテリアカや解毒薬も見つかっていないだろうし、強力な麻痺毒から助かる事も滅多に無かった筈だ。


「だが勿論、クジラの毒は神話ではない。製造されてない理由は、単純に原材料が希少だからさ」


「希少な物ならこのカラマック島で沢山見てきたと思うが」


 この島に来てからフカクジラの骨やヒツギバチの蜜、希少な物を色々見てきた自分としては、大半の希少性は金額で解決出来るというのが結論だった。


 まぁ金額はともかく、黒羽の団の調達班の実力でもあるのは否定しないが。


「お前も色々見てきただろうが、今回は訳が違う。リドゴニアの、それも北部の高山にのみ確認されている、絶滅が危惧されている希少な毒草が必要なんだ。目が覚める様な青色の葉と華に、緑が散った随分と綺麗な毒草だとか」


「絶滅危惧種………」


 少しだけ納得が行った。仕入れるのが手間なのではなくそもそも、仕入れる商品が無いという訳か。


 現存していないのも納得の行く話ではある。


「正直に言って、絶滅したんじゃないかと思っている。まぁともかくその希少な毒草と、別の毒草の蜜を組み合わせて作られるのがその“神殺しの毒”という訳だ」


「絶滅したと思っている、って事はお前も見た事は無いのか?」


「祖父はこの植物も“神殺しの毒”も実際に見たらしいが、俺は祖父からその話と毒の作り方を聞いただけだ。余りにも綺麗だから一目見れば絶対に分かるそうだが、俺も生憎と見た事は無い。それにその頃は、その、何だ。余りに宗教や神話に興味が無かった頃だったからな」


 バツが悪い様な、なんとも言えない顔でユーリが眼を背ける。


 そう言えば黒羽の団に入る前、元々のユーリは無宗教だったか。


「ライサに話を聞いて、漸く祖父が話していた事が理解出来たんだ。あの頃はとても強い毒の作り方がある、としか思っていなかったが」


「祖父は作り方を知っていたのか?テリアカが効かないらしいが、万能解毒薬に頼りきりになる前の、本来の正しい薬学としての解毒剤みたいな物は本当に無かったのか?」


「少なくとも自分は聞いた事が無いな。恐らくは祖父も無かったと思う」


「正しく現存してない、か」


「聞いた話でしか無いが………現代のテリアカで解毒出来ないのは、希少な毒草と毒草の蜜が組み合わさって生まれる毒素は、テリアカの解毒酵素じゃ対応出来ないと聞いたな」


 半世紀近く前に発明されたテリアカは、バラクシア中で確認されている各種様々な毒物、及び毒性に対して人々には致命的な量でさえ中和する。


 しかし、逆を言うなら。


「つまり万能解毒薬、テリアカが発明された半世紀前に現存していなかった毒素は、テリアカの酵素では中和、代謝出来ない?」


「まぁ、そうなるな」


 少しだけ天井を見上げた。


 クジラの毒、神殺しの毒とやらは現存こそしていないらしいが、本当にテリアカで解毒出来ないとなると問題だな。


 万に一つの可能性とは言え解毒薬、解毒方法が存在しない毒があるというのは、無視できない。


 希少な絶滅危惧種の毒草を使う必要があるとは言え、これからも解毒不可能な毒が製造されないという保証は無いのだから。


 それに、希少な毒草を代替する方法や同じ毒素を別手段で抽出、合成する方法がいずれ確立される可能性だってある。


 隠密部隊の頃の、血腥い記憶が脳裏を過った。


 また、部隊で毒を扱っていた頃の記憶も。


 アレのおかげで俺は、戦場がどれだけ過酷になろうとも俺達はテリアカとは無縁の存在で居られた。


 毒を用いられる側ではなく、毒を用いる側で居続けたあの頃。用いた毒が通じない可能性はあれど、毒を用いられる可能性だけは考慮せずに済んだあの頃。


 しかしテリアカの万能解毒酵素でも中和、代謝出来ない毒素が出てきた、というより存在していたとなると随分とまずい事になる。


 例えその毒素が作られる確率、その毒素が自分が用いられる確率が落雷に等しい確率だとしても、その確率を超えて落雷を浴びた人間は等しく焼き焦げる事になるのだから。


 そして経験上、血腥い宿業を背負った人間にとって落雷が自分に落ちる様な、“普通は思いもしない事に遭遇する確率”というのは決して低い確率では無かった。


 左手の痣を見やる。


 それに俺は、とうに落雷以上の数奇な因果も背負っている。


 左手を固く握りしめ痣を淡く、蒼白く発光させながら息を吐いた。


 立て掛けられたままの、この為だけに用意された大型のウォーピックを見やる。


 大分、回復してきた。


 これならもう一度試すぐらいは出来るだろう。


 再び椅子を軋ませ、立ち上がった。


 そろそろ、身体の調子は問題なさそうだ。






 本題に戻る頃合いだろう。

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