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悪漢と兵士に服装以上の違いは無い、という言葉が路地裏にはある。
だが、彼等の人格が路地裏の悪漢と何れ程の差があるのかは置いておくにしても、少なくとも彼等は其処らの悪漢が避ける存在である事は間違いなかった。
帝国軍に入隊して、少なくない人数が訓練の濃密さに驚くと言われている。
そして、その濃密さに驚く人間の大半が金貨と安定目当てに入隊した貧困層、元悪漢だとも。
基礎体力錬成を含めた訓練生活、そして戦闘技術を教官から身を持って教え込まれている内に入隊した者達は気付き始める。
自分が今まで見掛けてきた、帝国兵や憲兵の横暴さには市民へ横暴に出られるだけの理由、そして何より“実力”があるのだと。
その気になれば言葉よりも暴力を行使する、もしくは市民が「帝国兵の権力なんて知った事か」と襲いかかってきた時に叩きのめす力、行使された暴力に対抗する力があるのだと。
暴力を備えた強者が暴力を備えない弱者から奪う、余りにもシンプルな仕組みに置いて、帝国兵達は筋力と武力によって弱者たる“市民”から、強者たる“兵士”という種族へと成長したのだと。
権力はあくまで後ろ楯でしかなく、ヤギとコヨーテを分ける物は評判でも噂でもなく、爪と牙であると。
今までヤギだった者がコヨーテの爪と牙を手に入れるには、吠えるだけ暴れるだけでは何一つ足りない事を、訓練を通して大半の志願者が思い知る。
そうして制服という毛皮、サーベルという爪、肉体という牙を手に入れコヨーテとなった兵士は、レガリスの此処彼処で日向を歩いている。
歩きながら思い付いた“徴収”と“聴取”を、ヤギ相手に実行しながら。
無辜のヤギが強欲なコヨーテの都合で一方的に引き裂かれる構図は、飛行船の飛び交う現代にまで残っている事はどれだけ文明化されようとも消える事の無かった生存競争の名残、生命に根付いた自然の摂理とも言えるだろう。
利益以外に興味の無いコヨーテに取って、牙も毒も無いヤギはテーブルに乗せる肉であり、テーブルに付く相手ではないのだ。
現代のレガリスにおいて利を求めてコヨーテこと捕食者こと強者となった者にとって、ヤギこと被食者に向ける慈悲と人格は稀有かつ一笑に付される程度の嗜好品でしかない。
そしてその“嗜好品”と利益が相対する先にあるのなら、結果は言うまでも無かった。
だが、ヤギとコヨーテの関係性がどれだけ文明化されようとも消えない自然の摂理と言うならば、それらは歴史を紐解いても分かる様にそれらの問題は空中都市や飛行船が空を駆けるよりも、遥か以前から人々と共にある問題でもある。
様々な学者から善悪こそ問われるものの、人類はその問題に対して長い歴史の中で対処法を確立していた。
コヨーテを前に、テーブルに乗せられない方法は大きく分けて2つ。
一つはコヨーテをヤギにする事。もしくは、コヨーテとしてテーブルに着く事だ。
様々な紆余曲折や前提の違いがあれど、歴史上の大半の問題がこの方法で解決されている。
そしてテーブルに着いたのならば、牙と爪以外の物も必要になるのは歴史が記す通りだ。
爪よりもペンが、牙よりも舌が強いテーブルもあり、ペンも舌も無いコヨーテ達がテーブルの席で血を流す事もあるが、それはあくまで爪も牙も生え揃っている事が前提であり、ペンも舌も役に立たずお互い傷だらけになりながらも牙を剥いて唸り合うテーブルも少なくなかった。
それが例え、国というテーブルだったとしても
そして、そんなテーブルにおいてヤギもコヨーテも選ばない、異質な第3の方法が存在する。
コヨーテをテーブルに着かせるのではなく、コヨーテをテーブルに乗せる事だ。
「テーブルなど知った事か」とコヨーテを蹴り飛ばし、引き裂き、晩餐としてテーブルに乗せるという選択肢。場合によっては、その者はテーブルすら噛み砕くだろう。
捕食者として名高いコヨーテを交渉どころか威嚇すらせずに引き裂いて喰らう、理外の強者にのみ選ぶ事が出来る災厄染みた手段。
当然ながら、それにはコヨーテとは比べ物にならない程の鋭い爪と牙が必要となる。
テーブルに着ける程の強者のペンと舌を無視して、強者を引き裂いて蹴散らすという芸当は鍛練と訓練を積んだ“程度”の強者では、到底選べる選択肢では無かった。
先述した帝国兵になる事でさえ、人々が驚く程の鍛練と訓練が必要となる。
ならば、その帝国兵を噛み砕いて吐き捨てる程の強者になる為には、どれだけの鍛練と訓練が必要になるのか。
少なくとも民衆と兵士が思い付く“過酷な修練”の大半をこなし、民衆と兵士が思い付かない程の才覚と信念、場合によっては更に狂気か信仰、もしくはその両方が必要となるだろう。
数々のテーブルにおいて厄災染みた結果をもたらしてきた選択肢ではあるが、国という広大かつ強大なテーブルに対してこの第3の方法を選んだ者達は、例えその結果が望ましくなかったとしても歴史書において大々的に取り上げられた。
それほどの選択肢を選べる程の強者が歴史上においてさえ稀なのもあるが、何よりその全てが人々の記憶、歴史、土地にとてつもない傷跡を残していくからだ。
望ましい結果を得られなかった者達でさえ、希少性とその脅威故に深い傷跡を残した恐ろしい捕食者達として、歴史に悪名を残している。
ならば数が更に絞られるであろう、その第3の方法を選んだ上で国に対して望ましい結果を得られた理外の捕食者ともなれば、果たしてどうなるか?
結論から言えば、例外なく歴史において転換点となっていた。
ある者は地図に線を引く様に幅広く国家を襲撃、征服し蹂躙した結果、文明及び文化の不可逆的な交流を起こし新しい文明を開花させている。
またある者は小国故に四方八方から爪も牙も生え揃ったコヨーテに囲まれ、牙を剥かれたがそのコヨーテ達を全て食い荒らして王となり、新たな大国の主として君臨した。
そしてある者は、自らの手で自身の大陸と大国の全てを焼き尽くしたが故に、その骸に群がる小国達が火花を起こし、歴史的な大戦争を引き起こしている。
その結果、様々な国家の在り方が一様に変貌したのは、歴史書の記す通りだ。
加えて言うならば捕食者を食らう捕食者、テーブルが通用しない理外の強者は、歴史に記されている者“でさえ”賛美と誹謗、敬慕と罵倒、信奉と背信を背負い、もしくは背負わされ続けた挙げ句、唐突に終焉を迎える。
様々な逸話と共に壮絶な最期を迎えるか、まるで飽きたかの様に呆気なく事故死するか、同じく病死するか。
あるいは、唐突に姿を消すか。
理外の強者が穏やかに看取られて息を引き取る様な事だけは、殆ど無かった。
どんなに誇り高くとも、野生の獣が老衰で息を引き取る事が無い様に。
皮肉屋が書いた物語かの様に、筆者が穏やかな結末に飽きたかの様に、安寧とは無縁の結末を迎える事が殆どだった。
だからこそ、理外の強者が現れた時に賢者達はその結末を予期して待ち望むか、もしくは結末を予期して恐れ戦く。
それが、賢者達の対応だった。
だが賢者よりも更に聡明な者ならば、知っている。
分野に関わらず、世界の真実や根幹は明るい日向の歴史や書物に記されない、もしくは史実だと信じられていない、暗鬱で血腥い日陰にこそあるのだと。
歴史に記される事のない、歴史に記される事すら許されない、歴史を歪める程の強者は記されている者達よりも更に壮絶な物を背負い、時には吹かれた煙の如く唐突に姿を消す事を知っている。
もしくは世界中が震撼する程に陰惨で、壮絶結末を迎える事を。




