272
「これで強制的にですが脳と精神に回路、マナを励起させる扉………門が出来た筈です」
「本来は、才覚と鍛練の末に一握りの者だけが体得出来る回路ですが、ブルーミードで門を無理に抉じ開けました。一度、勝手が分かれば後は鍛練次第で何とか使える様になるでしょう」
椅子に座って息を整えている俺に、ゼレーニナが事も無げに言う。
“他人事”の具体例として、辞書に乗せて後世に語り継げないのが残念でならない光景だ。
「先程の、血中のマナが励起する感覚を脳で覚えてください。数度繰り返して、意識的に励起出来る様にしておく必要があります」
「この後も繰り返し、今みたいに頭と心臓を沸騰させる練習をしろ、って事か?」
何とか動悸を抑えつつ、息を整えながらそれでも声を絞り出した。
自分の頭と心臓を毎日大鍋で煮詰めるなんて、それこそ頭の中が“煮えてる”奴の発想だぞ。
そんな思いを胸中に抱える俺を、何とも退屈そうな目でゼレーニナが眺める。
「……貴方にも分かりやすい例えを使うなら、そういう事になりますね」
どうやらゼレーニナには稚拙な例えだったらしい。
しかし何にせよ俺の解釈通り、これから俺は先程の様な頭と心臓を沸騰させる様な真似を、延々と練習しなきゃならない様だ。
それも、ブルーミード無しの素面のままで。
「“炉”が出来ていない所に無理をさせているので、強い負荷が掛かるのは仕方ありません。まぁ、無理は元から承知の上です」
承知の上、という言葉は他人が無理をさせる時にも使う言葉なのだろうか。
俺が言い出した事とは言え、本当に俺に無茶をさせる気らしい。
「こう言って良いのかは分からないが………」
隣のユーリが俺の肩に手を掛けつつ、恐る恐ると言った様子で呟く。
心底安堵している様にも、俺に同情している様にも見える様子でユーリが続けた。
「“血を燃やす”方法なら、俺は何度も経験があるから力になれると思う」
こんな状況にも関わらず、少し口角が上がってしまう。
勿論、“マナの励起”によってランバージャックで相手の胴を一振で両断したユーリなら、先程ブルーミードで“悪酔い”していた俺より余程造詣が深いだろう。
「瞬間的に………血を沸き立たせるには、ポイントがあるんだ。あくまで主観だが、きっと有用な助言が出来る筈だ」
本人は真面目に言ってるのだろうが、流石に毎晩テキーラを飲める大酒飲みと、初めてビールを飲んだ素人に同じ目線でアドバイスされても、正直どうしようもない。
俺に片手を掛けたまま、もう片手でよく分からない手振りをするユーリに、息を整えながらそれでも声を絞り出す。
「悪いが、後にしてくれ。まだ、酔いが抜けてない」
「すまない」
申し訳無さそうに直ぐ様謝るユーリに額の辺りを抑えながら、椅子から身体を起こそうとして止めた。
無理に歩いてふらつく、転倒でもしたら面倒だ。恥云々は大した問題では無いが、それで身体や意識に変なクセが残ると面倒な事になる。
身体に異常こそ無いものの、意識の方にクセが残ってるせいで難儀している奴を何人も見てきた。
笑える奴も、笑えない奴も。
「今回の作戦は、コラベリシコフ程で無いにしろ貴方がこのマナの励起を使いこなせる様になる事が条件です。少なくとも、必要な時にその励起が起こせる様でないとどんなウォーピックを持たせた所で、お話にもなりません」
俺が血反吐を吐いてでも、このマナの励起を使いこなせる事を前提に、天才サマの作戦は組まれている訳か。
卵を割らなければオムレツは作れない、卵を割るどころか卵も無いならそもそもキッチンにすら立てないと。
どうやらこの偏屈は、無茶をさせろと言えば、本当に無茶をさせるらしい。
勿論、異論は無いし俺から言い出した事なのだから、ある意味望んでいた結果ではあるのだが。
きっとこいつは重体の患者から“脚を切り落としてくれ”と頼まれ、そうするべきだと判断したら躊躇無く斧なり、鋸なりで切り落とすんだろうな。
部屋の一角、壁に立て掛けてある試作品らしき大型のウォーピックへ視線を向ける。
頑強性を重視した為だろう、ピック部分には一点に衝撃及び力が集中する様に形成され、ピックの対になる部分には重量を乗せる為と思われる膨らんだ様な部位が備えられていた。
膨らんだ対の部分も鎚としても使えなくは無いだろうがゼレーニナとしては、取り敢えず今回の為に設計しただけでそこまでの運用は考えていないだろうな。
だが少なくとも、頑丈過ぎる杭と頑丈過ぎる軸棒を溶接してネジ留めしてみた、なんて安い仕事で無い事だけは断言出来る。
前回、ゴーレムバンカーを渡された俺が“自律駆動兵に対抗しうる数少ない特殊兵器”として扱われた様に、今度はこのウォーピックを死に物狂いで振り回す俺達が“切り札”として扱われる訳だ。
唸りを上げて迫る戸棚の様な斧をかわした時の、骨まで冷え込む様な恐怖が脳裏に蘇る。
胸中で悪態を吐いた。
俺は相変わらず二度とやりたくない事ほどやる羽目になる性分らしい、全く。
しかし、“マナを励起する”か。
「もっと他の呼び名は無いのか?」
「はい?」
息を整えながら言う俺に、ゼレーニナが意外な顔をする。
もう一度息を吸った。
「“マナを励起する”なんて言い方は正直、色々と面倒だ。こう、ややこしいしな。何か、良い呼び名は無いのか?もっと呼びやすい名前は」
「………私としては、不都合なことには思えませんが」
子供の我が儘でも見ている様な冷めきった目で見てくるゼレーニナに対し、目の前で「呼び名、か」とユーリが見て分かる程に考え込む。
灼熱だの運転だの、しまいには悪魔がどうの取引がどうの、とユーリが呟き始めたがどれも納得の行く名前じゃなさそうだ。
まぁ、俺も同意見ではあるが。
“例のやつ”なんて呼び方もそれはそれで気に入らないしな。
ユーリがゼレーニナに、何かをニヴェリム語で話し掛けた。
ゼレーニナが、俺に言葉を返した時と同じく子供の我が儘に付き合う様な顔でニヴェリム語を返す。
どうやらニヴェリム語の単語からも発想を得ようとしているらしいが、上手く行ってないらしい。
そう言えば、ユーリは血中のマナを励起させる事を“血を燃やす”と言っていたな。
燃やす、か。
「“燃焼”とでも呼ぶのはどうだ?」
そんな俺の言葉に、ゼレーニナが覚めきった目のまま呆れた様に目を細め、ユーリが俺に対して僅かに気まずそうな顔をする。
俺もそこまで自信があった訳では無いが、コンバッションと呼ぶのはやめておいた方が良さそうだ。
ゼレーニナがニヴェリム語でユーリに何か言ったかと思えば、ユーリが同じくニヴェリム語でゼレーニナに返す。
呆れた様に鼻を鳴らすゼレーニナから見て、恐らく俺が気遣われたと見て良いだろう。
しかしどうしたものか。まぁ呼びにくいだけで具体的な不便がある訳では無いから、無理して決める必要が無いのも事実ではあるが。
まぁ、暫くは良いか。
「俺が相応しい………呼びやすい名前を幾つか見繕っておこう。後日、デイヴィッドに俺から伝えるよ」
正直な所、思った以上に真剣に受け取られて少し気恥ずかしい部分もあったが、呼びやすい名前を考えてくれるのは有難い事にではあった。
そんな事を考えながら息を落ち着けていると、無理をしなかった甲斐あってか漸く身体が楽になり椅子から立ち上がる。
ユーリが心配した様子で此方を気遣おうとしたのを、仕草だけで断った。
「まぁ、やるべき事は分かった。自律駆動兵への対処法は、それで行くとしよう」
少なくとも手段は出来た、勿論想像していた様な手段では無かったがこの際それは良い。
もう1つの懸念点も一応話題に出しておこう、こいつ相手ならそんな必要は無いだろうが。
「“本番”までに、俺達に合わせたウォーピックを作るつもりか?」
何を今更。ゼレーニナが分かりやすくそんな表情を見せたが、俺の隣のユーリが幾らか気になる様な表情になっている事に気付いたらしく息を吐いた。
隣のユーリが何かを言おうとして口を噤むのとほぼ同時に、ゼレーニナが話し始める。
「貴方と、そこのコラベリシコフに合わせた専用のウォーピックを期限までに製造・用意しておきましょう。その試作型を幾らか改良して細部を詰めるだけですから、そう大きな変更は無いと思います」
淡々とゼレーニナが言葉を言いきり、必要な事は言いきったと言わんばかりに口を閉じた。
事実、そう思っているのだろうが。
「俺の装備を作るのなら、またこの塔に顔を出した方が良いか?ウォーピックの微調整が必要なら遠慮なく呼んでくれ」
余りに一方的な色合いの言葉にユーリが些か戸惑ったものの、それでも礼節を忘れない様、不躾にならない様に言葉を投げる。
そんなユーリの様子が、心底理解出来ない様子でゼレーニナが片眉を上げた。
「貴方の情報と特徴、過去の記録はもう把握していますのでこの塔に来る必要はありません。無駄に来られても迷惑ですしね」
何故そんな下らない事を聞くのか、と言わんばかりの表情で言うゼレーニナに、ユーリが申し訳無さそうにも見える様子で幾らか眉を潜め、顎を引く。
何とも言えない光景だ。
「そろそろお引き取り下さい」
面倒な様子を隠そうともせずにゼレーニナがそう言い放ち、ユーリが困った様に此方を見た。
いや、困っているというよりは戸惑っていると言う顔か。
「こういう奴なんだよ、お前に失礼があった訳じゃない」
俺のそんな言葉にユーリは何とも言えない顔をしていたが、当のゼレーニナはもう完全に此方に興味を無くしたらしくそのまま踵を返し、工房の様な部屋を出ていってしまった。
もし次回ユーリとゼレーニナが会う事があれば、出来る限り立ち会った方が良いだろうな。
少しして、俺達2人も轟音と共に昇降機で降りていく頃には日が暮れようとしていた。
しかし大変な日だったと言う他無い、ヒツギバチと血液で作られた“悪魔”の名を関する霊薬を飲んで死にかけたかと思えば、次からは素面で同じ事が出来る様に練習しておけと言われたのだから。
隣のユーリは今の所寡黙を保っており、内心がどうにも読めなかったが少なくとも上機嫌には見えなかった。
今日の事を考え込んでいる様にも見える。考え込む内容がゼレーニナが失礼だったという話なら、此方には返す言葉も無いが。
「まぁ、何だ。魔女と呼ばれるのには理由があるんだ」
よく考えると話題も理由付けもおかしい気もしたが、何か話が出来ればそれで良い。
そんなつもりで取り敢えず話を振った。重要な話だとしても、先程のマナが励起するだの何だのという話はどうしてもする気になれなかった。
ユーリが、少しばかり意外そうな色を含みながら口を開く。
「ミス・ゼレーニナは上流階級に何か引け目があるのか?」
唐突な質問に、幾らか虚を突かれた。
確かにゼレーニナの塔の内部は上流階級というか、貴族が中途半端に口を出した様な内装をしているが…………
しかし上流階級に引け目がある、なんて意見は何故出たのだろうか。
「さぁな。何故そう思うんだ?」
軽い気持ちでそんな言葉を掛けると、今度はユーリが不意を突かれた様な顔をする。
意味が分からなかった。少なくともその表情は、俺がするべきだと思うのだが。
ゼレーニナと上流階級に、何の確執があると言うのだろうか。
そこまで考えた辺りで不意にユーリが何かを思い付いた、というか思い出した様な顔になり「すまない、ニヴェリム語は不得手だったな」と丁寧に謝られた。
どうやら、俺がニヴェリム語での会話が理解出来ない事を失念していたらしい。あの時の会話に起因した内容、か。
同じ内容でもゼレーニナに「読めないんでしたね」と言われた時とは大違いだな、等と思っているとユーリが遠くなりつつある“魔女の塔”を、警戒する様に振り返ってから口を開いた。
「何故隠しているのかは分からないが、彼女はまず間違いなく………元、上流階級だと思う。もしかしたら、貴族だったかも知れない」
「何だって?」
つい声が大きくなったが、それでも疑問は収まらなかった。
ユーリは平然と歩きつつも声を落とし、辺りを警戒する様に目線をやりながら話し続ける。
「上手く隠していたが…………彼女のニヴェリム語は、節々に上流階級の名残が見える。話し方も、上等な表現が出そうになる度に何とか凡庸な表現へ言い換えている様な、僅かな間があった。恐らくはリドゴニア出身で無いと気付けない程の、微かな違和感ではあったが」
今更ながら、恐らくゼレーニナがリドゴニア出身であると言う事はニヴェリム語で流暢に会話した時点で、察していたのだろう。
何なら、俺よりも確信を持っていたのかも知れない。
しかしそんなユーリが言う情報だとしても、にわかには信じがたい情報だった。
ゼレーニナが、上流階級出身?
「生まれの恵まれなかった者が上流階級のフリをしようとして表現や綴りを間違える様に、上流階級出身の者が中流階級辺りのフリをしようとすると、どうしても節々に癖が出るんだ」
顎に手をやった。
マナーを知らない奴が上品ぶって、フィンガーボウルの中身をスプーンで飲む様な物か。
そしてそれの逆、となると食後のカトラリーを迷う事なく“正しく”皿に置いてしまった様な物だと。
歩きながら、ユーリの双眸が此方に向けられる。
同じく歩きながら、先程のユーリと同じく俺も背後のゼレーニナの塔を振り返った。
隠す事には理由がある。
丁寧に、念入りに隠されている事、そして賢い奴が隠しているなら尚更だ。
まして隠しているのはあの“塔の魔女”ことゼレーニナ。
「先程の様子からしても、その………2人が他の人々より、親しい仲だと言う事は分かっているつもりだ。だがお前も分かっている通り、親しい者にも話さない隠し事には必ず理由がある」
ユーリの眼に、力が入る。
「警戒した方が良い」




