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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
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「勘弁してくれよ」





 最初に口から出た、というより零れたのはそんな愚痴にも似た言葉だった。


 俺にあんな、軍船の衝角が乗り移った様な一撃を真似しろなんて言われても、当然ながらはいそうですかと応じられる訳が無い。


 加えて言うなら、そこではいそうですかと返せる奴の殆どが望まれた結果を出せないだろう。


 確かに俺は其処らの奴がそうそう出来ない事をこなしてきたのは認めるし、信じられない様な黒魔術も使ってきた。


 だが勿論、俺は何でも出来る訳じゃないしどんな魔法も使える様な、夢の魔法使いでも無い。


 どちらかと言うと、その役目は目の前で相変わらず無愛想な顔をしている、偏屈がやる役目だろう。


 そんな中、手元のウォーピックを眺めていたユーリがゆっくりと振り返りつつ、宥める様な口調で言った。


「ミスゼレーニナ、生憎だが幾らデイヴィッドでも無理だ。余りにもその、彼じゃ身体が細すぎる」


 そんなユーリの言葉に肩を竦める。


 俺だって戦士として鍛え込んでいるつもりではあるが、よりにもよって巨岩から掘り出した様なユーリに“細すぎる”と言われては、流石に返す言葉が無かった。


 “お前から見たら殆どのレイヴンが細すぎるだろうよ”という意見は抜きにして。


「デイヴィッドなら、もう少し鍛練を積めば血を燃やせる様になるだろうが…………そこまで鍛えるにしても、時間が掛かりすぎる」


 確かめる様にウォーピックを軽く振りながら、そう進言するユーリに相変わらずゼレーニナは無愛想、かつ冷ややかな眼を向けている。


 まぁ、こればかりはユーリが正しい。


「このウォーピックをくれるなら、俺が真正面から自律駆動兵と戦おう。少なくとも、そちらが期待している働きは充分に出来ると思う」


 ゼレーニナが鍛練に対してどの様に思っているのかは知らないが、それでもユーリの筋骨隆々な巨体が類いまれなる素質と血の滲む様な鍛練の積み重ねで成っている事は、充分に分かっている筈だ。


 そのユーリの巨躯と素質をもって漸くこなせる様な“離れ業”を、任務で必要だから一朝一夕で真似しろ、体得しろ、というのがどれだけ無茶な事なのかも分かっている筈。


 必要なら無茶をするのは吝かではないが、あからさまに無理な事を今からやれと言われるのは流石に論外だった。


 まさか、今から数日でユーリの様な体躯になって、煉瓦を握り潰せと言う訳でもあるまい。


 それは“無茶”ではなく“無理”と言うものだ。


 少なくとも、今回ばかりはゼレーニナではなくユーリに理がある。


 ユーリがあのウォーピックを振り回して自律駆動兵に対抗するなら俺は補助するし、“血を燃やす”ユーリの補助という役目なら俺にも色々と出来る事がある筈だ。


 少なくとも数日でユーリみたいな体躯になれる様、汗水垂らして鍛練に励むよりは現実的な対策だろう。


 しかしそうなると、クルーガーの言っていたスプーキーケトル、とやらの使い方を考えた方が良いかも知れないな。


 そこまで考えた辺りでゼレーニナが眉一つ動かさないまま、言い様によっては不遜とも言える雰囲気を崩さないまま口を開いた。


「“蒼の蜂蜜酒”(ブルーミード)を使います」


 一瞬の間が空く。


 少しだけ、ゼレーニナが片眉を上げた。


 どうやら俺達が何一つ反応を返さない事が、想定外らしい。


 ゼレーニナは随分と発言に自信があった様だが、生憎ここに居る2人はその発言の凄さが分かっていない。


 それが凄い事なのかも含めて。


 蒼の蜂蜜酒(ブルーミード)?禁制薬物の“青タバコ”と同じく、何かの隠語だろうか。


 ユーリなら何か知っているのか、とも思ったが隣の顔を見る限り知識量は俺と大差無いと思って良さそうだ。


「青い………酒?」


「青い酒ではありませんよ、ブルーミード。知りませんか?」


 ユーリが此方に少しばかり横目で盗み見る様な視線を投げた。


 知らないらしい。


 そんなユーリと俺の、というよりユーリを見て意外そうな顔をしていたゼレーニナだったが、不意に“あぁ”と言わんばかりの表情をした後に何やら巻いた発音の、恐らくはニヴェリム語の単語を幾つか発した途端。


 隣のユーリの顔が、目に見えて強張った。


 おい、どうした?


 俺がそんな言葉を返す前にユーリが幾つかのニヴェリム語、恐らくはゼレーニナと同じ単語を繰り返し、質問する様な言葉を返す。


 そしてそれに対して、了承とも肯定とも取れる言葉をゼレーニナが返すと、かなり強く、かつ重い語気でユーリがニヴェリム語を返した。


「デイヴィッド、これはダメだ。今回ばかりは流石にお前でも、無茶が過ぎる」


 その上で此方に向き直った途端、肩でも掴まんばかりの勢いで此方に詰め寄るユーリに、驚きの感情と共に見返す。


 ユーリも“ブルーミード”とやらには心当たりが無さそうだったが、それはあくまでもマグダラ語での話だったらしい。


「お前は確かに逞しい戦士だし其処らの連中じゃ、どう足掻いても敵わないだろう。現にお前は、どれだけの強敵が立ちはだかろうと蹴散らしてきた。レイヴンだって殆どの奴が敵にしたくない男の筈だ」


 説得する様な口調のユーリに、思わず気圧されてしまう。


 俺の戦果を讃えているとも取れるその声には、説得する様な声音がはっきりと滲んでいた。


 本当に俺の事を案じているのだろう、そこまで言い切ったユーリが僅かに苦悶する様な顔を見せつつ、俺の肩に手を添える。


「だが………こればかりは、こればかりは勧められない。余りにも無茶だ」


 そう言うユーリの表情は、真に迫っていた。


 胸中と脳内に沸き上がる様々な疑問を一旦飲み込み、少し考えてから口を開く。


「………その“ブルーミード”ってのは何なんだ?お前もゼレーニナも、知ってるみたいだが」


 ブルーミードが本当に酒かどうかは置いておいて、このユーリの反応を見る限り少なくとも気軽に飲めるものじゃ無さそうだ。


 何かを説明しようとして言葉に詰まる様な素振りを見せた後、ユーリがゼレーニナに視線を投げた。


 少しの間の後、納得した様にゼレーニナが口を開く。


「“蒼の蜂蜜酒(ブルーミード)”は下層空域、また下層付近の中層空域付近にのみ生息しているヒツギバチ、そのヒツギバチ特有の特殊な酵素を含有してる蜜、所謂蜂蜜をサメやクジラ等の大型魚類の血液などで加工した、大陸時代より前の古来から伝わる薬液………内服薬の様なものです」


 苦い顔をしているユーリを尻目に、少し頭を掻いた。


 内服薬、か。薬とは言うものの、材料からして既に幾らか物々しい。


 サメやクジラ等の血液などで加工、ときたものだ。


「つまり何だ、そんな名前こそ付いてはいるが、別に蜂蜜酒(ミード)では無い訳か?」


「マグダラ語の蜂蜜酒、という名称はヒツギバチの蜜を加工する手順と実際の蜂蜜酒の製造過程に、幾つかの共通点が見られる事から(なぞら)えた名称ですね」


 相変わらず愛想の見えない顔をしたゼレーニナが、落ち着いた口調のまま言葉を返す。


 蜂蜜を加工して薬液を拵える事を、蜂蜜酒作りに例えた結果の渾名か。


「東方国ペラセロトツカ及びカラモス語では“蒼の取引”、北方国リドゴニア及びニヴェリム語では“悪魔の碧眼”と呼ばれています。レガリス、及び西方国キロレンでは危険性が周知されていない為か、マグダラ語ではそれほど物々しい名前はついていませんね」


 まるで書類でも読んでいる様な声音で続けるゼレーニナ。


 南方国のニーデクラ、ノルダム語ではどうなんだと話を投げるも「ノルダム語ではこのブルーミードを指す言葉や名称はありませんね。少なくとも、私は聞いた事がありません」と退屈そうに話題を流された。


「論点はそこじゃあ無いだろう。デイヴィッドに何をさせる気かを説明するべきじゃないのか?そのブルーミードがどんな意味を持つのか、という事もだが」


 そんなユーリの言葉に、話題が引き戻される。


 苦い顔をしたままのユーリに淡々とした調子を崩す事無く、ゼレーニナが口を開いた。


「………コラベリシコフと同じ事を貴方に体得させるには、先程も言われていた様に更なる鍛練と素質が必要になります。個人的には、肉体の素質から考えてブロウズがどれだけ鍛えようとも体得に至る事は難しいとは思いますが」


「正直な意見で助かるよ」


 相変わらず、随分な言われ様だ。まぁ、下手に濁すよりは余程分かりやすいが。


 しかしそうなると、益々俺にはあのウォーピックで装甲を突き破る様な芸当は難しいのでは無いか。


 そこまで考えた辺りで、俺の考えを見透かしたかの様にゼレーニナが言葉を続ける。


「そこでブロウズには“ブルーミード”を一瓶ほど飲み干してもらいます」


 隣のユーリの肩に、見て分かる程の力が入ったが意外にもユーリは何も言わなかった。

 目を細める。


「………それで、そのブルーミードを飲むと俺はどうなるんだ?ユーリみたいに筋肉が膨れ上がるのか?」


 ゼレーニナは恐らく意図的に、俺の言葉を黙殺した。


 全く違うらしい。


「………端的に言えば、本来はそこのコラベリシコフの様に素質と鍛練の末に体得出来る“血中マナの励起”を、ブルーミードを服用した事による肉体と精神の誤認を利用し、貴方の肉体及び精神へ強制的に発生させる事を目的とした薬剤です」


 歯軋りでもせんばかりの表情でユーリがゼレーニナを睨み付けるが、それでもゼレーニナはまるで動じない。


 強制的に発生させると言う事は、こいつがしきりに言っていた“マナの励起”とやらを、無理矢理に起こさせるという事だろうか?


 そうですね、と唇に指を当て考え込む様な素振りを見せた後、ゼレーニナが改めて説明する。


「コラベリシコフの例えを用いるなら、彼は肉体に充分な強度と大きさの炉を持ち、それを自分の意思で燃やして圧力を得る事が出来ると考えてください」


 まさかゼレーニナからそんな例え話が出るとは思っていなかったので幾らかは面食らったが、取り敢えずは頷いた。


 充分な大きさの炉、か。


「そしてブロウズにも炉を燃やして欲しいのですが、コラベリシコフは貴方の炉がまだ充分でなく、火を入れる事に耐えられないと言いたいのです。まぁ、私もその点についてだけは同意見ですが」


「確実に身体が持たない、そもそも炉を燃やすだけでも本来は命懸けなんだぞ」


 付け加える様に言うユーリの言葉には、説教の色が多分に入っていたがゼレーニナには何処吹く風だ。


 ゼレーニナが言葉を続ける。


「なのでブルーミードを用いて、彼の炉が充分で無い事を承知の上で火を入れます。ブロウズには、炉が焼け付く寸前まで燃え上がる形で戦ってもらう事になります」


 そんな言葉と共に、大きな双眸が真っ直ぐ俺を捉えた。


 炉が焼け付く寸前まで戦え、か。仮に次の任務が無かったら、これが最後の任務だったとしたらこいつは遠慮なく焼き付くまで戦わせるんだろうな。


 そんな皮肉めいた考えが脳裏を過った。


「幾ら何でも無茶だ」


 そんな考えを断ち切るかの様に、ユーリが断言する。


 加えて1歩、ユーリが俺を庇う様に前へと踏み出した。


「仮に悪魔の代償………ブルーミードで炉に火を入れる事が出来ても、凄まじい負荷と反動が来る筈だ。そこまでやった上で俺程は使いこなせないだろうし、力も俺程は出ないだろう。最悪、心臓と精神が持たないかも知れないんだぞ」


 そう言い切ったユーリの言葉に耳だけ向ける形で聞きながら、胸中で俺は自嘲にも似たものを溢す。


 成る程。漸く話の筋が見えてきた。


 目の前に居る、俺の数十倍も頭の良い偏屈が何故、俺に無茶をしてもらう事になる、などと言ったのか。


「貴方程の力は出せずとも構いませんよ」


 涼しい顔のまま、ユーリの言葉などまるで意に介さない様子で淡々とゼレーニナが言葉を紡ぐ。


 よくもまぁ、そこまで平気な顔が出来るものだ。仮に俺が同じ会話を同じ顔で受け答えしろ、と言われて果たして出来るかどうか。


「彼の体重と筋肉量から計算して、上手く行けば“炉”が不充分な事を差し引いても瞬間的に7割か、それぐらいの力は出せるでしょう。それなら装甲を打ち破るには事足りる筈です」


 おおよそ7割の力を出す為に、俺は不充分な炉に火を突っ込んで、焼け付く寸前まで燃え上がって戦う事になる訳か。


 そしてそこまでやった上で相手にするのは、あの悪名高き自律駆動兵と来た。


 笑い話としては申し分無い。


 いや、そうでもないか。


「………命を燃やして、そのまま敵に浴びせる様なものだ。幾らデイヴィッドでも、そんな事をすれば只では済まないぞ」


「無理と無茶は承知の上です。ですが現状、私が聞いた情報の中で要求通り、貴方達が自律駆動兵の装甲を打ち破る画期的な方法となると現状、これしか方法はありません」


 苦い物を口に流し込まれた様な表情でユーリが顔を背け、何とも言えない顔をしている。


 それでも何か、考え込んだ様な仕草の後に絞り出す様にして口を開いた。


「本当に他の方法は無いのか?」


 そんなユーリの言葉にゼレーニナが小さく鼻を鳴らす。


 それは最早、冷笑とさえ言える様な表情だった。


「凡庸で非効率な方法なら、技術班に幾らでもありますよ。生憎と、そちらは私の担当ではありませんが」


 そんな言葉に、ユーリが片眉を上げる。


 必要は無いとは分かっていたが、それでもユーリより1歩前に出た。


「……………他に手が無いってんなら仕方無い、それで行こう。ブルーミードとやらは用意出来るのか?」


 ユーリが悲痛な表情で此方を見ているのが、顔を向けるまでもなく伝わってきたが当のゼレーニナはと言うと、俺が言う事を聞くからか、それとも“技術品”であるブルーミードについて質問されたからかは分からないが、口角に満足そうな色を滲ませている。


「ええ。本来、ヒツギバチの蜜と同様に蜜を加工した薬液、ブルーミードは非常に貴重な代物ですが、幸いにも幾つか試験的に製造したものが残っています。数本は実験に使う為に開封しましたが、まだ未開封の成功例が2つほど残っている筈です」


 それを使いましょう。そう続けるゼレーニナに、ユーリが正しく“魔女でも見る様な眼”を向けていた。


 悲痛な面持ちのまま、巨大な体躯に似合わない程にユーリがそれでも説得しようと此方に声を掛けてくる。


「デイヴィッド…………無茶だ、単なる走り込みや戦闘訓練とは訳が違うんだぞ。肉体のみならず精神にも取り返しの付かない傷が付くかも知れない」


 心底心配している様子のユーリには正直に言って胸が痛んだが、それでも心は決まっていた。


 肩に掛けてくれたユーリの手を、丁寧に肩から離す。


「上手くやるさ」


 そう返してもユーリの悲痛な面持ちは変わらなかったが、目を閉じて幾らか溜め息を吐いた。


 遂に、俺の方の説得を諦めたらしい。


「………分かった、そこまで覚悟しているなら俺はもう止めないさ。どうか、メグジュールの加護があらん事を」


「ああ」


 そんな俺達のやり取りを聞いていたゼレーニナが、腕組みをしながら何とも拍子抜けの様な顔で少し首を捻った。


 まぁ、こいつは自身の未来を神に祈る様な経験や習慣が無いんだろう。


 かつての所業を考えると、俺も決して人の事が言えた身では無いが。


「結論が出たのなら、話を進めても構いませんか?」


「構わん、俺はもう止めない。だが、俺もデイヴィッドが悪魔の………ブルーミードを試す場に居ても良いか?無駄だとしても傍に居たい」


 ユーリが真剣な眼差しでそんな言葉を投げるも、予想通りゼレーニナが何とも拍子抜けの様な表情を見せる。


「まぁ、構いませんが」


「すまないな。例え助けになれないとしても、デイヴィッドは友人なんだ」


 ユーリの率直な物言いに、少しだけ口角が緩んだ。


 この団でこんなにも俺の事を気遣ってくれる人間が、果たして何人居る事やら。


 皆無とは言わないが、お世辞にも多くは無いだろう。


「別に心配ありませんよ。他の人間ならまだしも、彼ならそう簡単には死なないでしょう。どのみち、ここで身が持たずに滅ぶ様じゃ話になりませんか」


 淡々とそんな事を言うゼレーニナに、ユーリが幾らか目を見開いた。


 ユーリが俺の方を見る。


 少し肩を竦めた。


「だとよ」


 そう告げるとユーリが、随分と苦い色を滲ませながら口を開いた。


「成る程な、何故あんなおぞましい名前で呼ばれているのかと疑問だったが、漸く合点が行った」





「魔女、か」 

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