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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
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「マノラ婆ちゃん、本当に断るのかい?」





 小型ディロジウム原動機の稼働音が響く中、タトゥーマシンがそう呟いた若者の背中に吠えるコヨーテの柄を描いていく。


 マノラ、と呼ばれたラグラス人の老婆は迫力のあるコヨーテに太い牙を描きながら、咥えていた紙巻き煙草から紫煙を吹かした。


「お断りだね。あんな子供の絵本みたいな柄、絵本の頁を千切って縫い付けりゃ良いのさ。わざわざアタシに頼まなくても、他にやってくれる奴が居るだろうにあのバカも何でアタシに頼むかね」


 険しい目をしたまま吐き捨てる様に言う老婆、マノラに背中を彫らせていたラグラス人の若者が呆れた様に笑う。


「マノラ婆が上手いからに決まってんでしょうよ。分かってんだろ?」


「ならアタシがその手のチンケな落書きを入れる事を嫌う、ってのも分かってる筈だろうに。子供に見せて喜ばす様な柄を一生背負う事が“今時”だってんなら、アタシは生涯“時代遅れ”を貫くさね。本来タトゥーは祈りや誇り、覚悟や信念を掛けて刻むもんだ」


 時折、片手で傍の灰皿に灰を落としつつタトゥーマシンを扱うマノラの手、及び描かれる線はまるで点線でもなぞっているかの様な気軽さ、迷いの無さだったが、ラグラス人の若者の背中へと引かれる流麗な線は偏りも歪みも無かった。


 背中にタトゥーを入れられつつ、若者が笑う。


「相変わらず頑固な婆ちゃんだなぁ、信念と覚悟ってどう違うのさ?大体、その“チンケな落書き”を入れたがる奴はこれからどんどん増えてくるぜ。カラフルな花畑だの、可愛いぬいぐるみだのを入れてくれって若者がこれから主流になるのに、本当に“時代遅れ”のまんま生涯を終えるつもりかよ?」


「あんまり生意気言ってると、年寄りの手が滑るよ。背中のコヨーテがクソを漏らしても良いのかい?」


 稼働音と共にタトゥーマシンで背中を彫るマノラがそう呟くと、若者が「分かった、分かったよ」と観念した。


 自身が生涯背負うものを描いている絵師の機嫌を損ねるのは、得策ではない。


 古代には、そう言った刑罰もあった事を踏まえれば尚更だろう。自身が受け入れられない絵柄を生涯背負うなど、想像するだけでも恐ろしい話だ。


 最も、日頃から口の悪いマノラ・セラやその友人に取って、そんな恐ろしい脅し文句はもはや漫談の一つでしか無かったが。


 そういったマノラの性格、性分を若者も分かっている。


 マノラ・セラは団内でも戦前から所属する中々の古株だった。


 ペラセロトツカ出身で団に入る前から稼業として兵士にタトゥーを入れていた事、王族に仕えた記録がある程の先祖代々伝わる刺青師の血統である事、そしてその血統と評判に恥じない技量を備えていた事から、黒羽の団、ひいてはカラマック島では有数のタトゥー技師、刺青師としてタトゥーの依頼が後を絶たない。


 流石に近年は筋の良いタトゥー技師が団にも増えてきた事から、島中のタトゥーを全て一人で彫る様な事は無くなったが、それでも依然として評判は高かった。


「そういやまたマクセルの奴が言ってたぜ、どうしてもあの絵柄を入れて欲しいってよ」


「あの絵柄?」


 彫られている背中を動かさない様にしながら、小さな手振りで若者が壁を指す。


 若者指した壁には数種類のトライバルの紋様、全身のタトゥーデザインが額縁に入れて高い位置に飾られていた。


「あれだよあれ、あの額に入れて掛けてある柄。トライバルのすんげーやつ。超シブいから腕だけでも入れてくれって言ってたぜ。似た様なトライバル入れてる奴も居るけど、やっぱマノラ婆みたいなシブさが出てないからマノラ婆に頼みたいってよ」


 所々に古代文字を織り混ぜた様なデザインの、緻密なトライバルの紋様。


 額縁に飾られたタトゥーは、図面から見るに胸に背中、腕に肩、腹に腰、と上半身の大半を覆うデザインになっている。


 腿から膝、足首に至るまでの図面も飾られている辺り、下半身にも同様の古代文字を織り混ぜた緻密なトライバルで覆うデザインの様だ。


 そんな物々しくかつ神々しい、流麗とまで言えるデザインが数種類、壁に掛かっているのを見てマノラが皮肉めいた笑みを溢す。


「笑わせんじゃないよ、アレはあんなガキに入れる柄じゃないね。あんたも知ってんだろ、ありゃ運命や宿命、はたまた因果や宿業を背負う事を覚悟した戦士のみが許される、神聖な柄なんだよ。お前の祖父がタマに居る頃より前、飛行船が発明される遥か前から代々受け次がれてきた、歴史ある紋様なのさ。アタシだってこのクソ長い人生で、数人にしか彫ってないんだよ。今更、其処らのガキのオシャレで彫ってたまるかってんだ。アタシにゃ生半可な連中に彫らない様、あの紋様の誇りを保つ義務と責任があるのさ。それこそ、祖母の代からね」


 タトゥーマシンで背中に描きつつ話す軽薄な口調とは裏腹に、マノラの言葉には芯が入っていた。


 先程の脅し染みた漫談を抜きにしても明らかに語り口が違う事から、内容が伊達では無い事が伺える。


「その数人の1人がユーリか?あの“偏屈なノスリ”がマノラ婆の認めた“宿命を背負った戦士”だってのかよ?」


「ユー坊は立派な戦士さ。アタシがユー坊の生い立ちと全てを聞いて実際に見極めた上で背負える、背負うべきだと見込んだからこそ、あのタトゥーを入れる話を持ち掛けたんだ。あの子には、あの紋様と紋様の意味を背負うだけの強さと覚悟があった。生憎とまだ人を見る目は確かなんだ、ムカつくガキに彫る時以外は耄碌しちゃ居ないよ」


 そんな、マノラの言い方に若者が苦笑を溢した。


 口が悪いのは置いておくにしても未だにこの調子で喋り続ける様なら、思っていた以上にこの老人は長生きしそうだ。


「じゃあエルベルトは?エルベルトはレイヴンだし、もうメチャクチャに強いぜ。エルベルトなら背負えるんじゃねーの?」


「レイヴンだから何だってんだい。アタシゃ、レイヴンだからユー坊に入れた訳じゃないよ。殺しと喧嘩が上手いだけの、生半可なガキに入れたりしたらあの紋様に殺されちまうよ」


「殺される?タトゥーにかよ?」


「信心“浅い”あんたにゃ分からないだろうがね、あの紋様は相応しい者に力を与える代わりに、相応しくない者を食い殺しちまうんだ。エルベルト程度じゃ背負いきれずに押し潰されて、食い殺されるのがオチさ」


「偏屈な婆ちゃんだなぁ、全く。レイヴンでもダメなら、どんな奴なら良いのさ?」


 マノラが手を止め、咥えていた煙草を傍らの灰皿に置く。


 そうさね、と静かに煙を吐いてからマノラが口を開いた。


「………安寧やら栄誉やら、自分の全てを(なげう)ってでも戦わなきゃならない。何も報われない、誰にも救われないとしても生涯、そんな宿命や宿業を背負い続ける。そういった奴なら背負えるかも知れないね、きっと紋様も力を与えてくれるだろうさ」






「………救われないし報われないのに戦うって、そんな奴居るのかよ?」


「はん、若いねぇ。全く」

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