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こんなに驚いた顔のユーリを見たのは、初めてかも知れない。
あれがゼレーニナ本人だ。
そう伝えた時、正しく“信じられない”という顔でユーリが振り返り、もう一度ゼレーニナを見てからまたも此方を振り返り、何かを言おうとして口を噤んだ。
まぁ無理もない。
技術班で散々言われている“塔の魔女”が、まさかこんなに若い、5フィート余りの少女だとは思わないよな。
実際に会う前から予測出来ていたなら、そいつも“魔女”だろうとしか言い様が無い。
少し頭を掻いた。
「………連れてきたぞ。ゼレーニナ、ユーリだ」
機嫌が悪い、という事を隠そうともしないゼレーニナにそう告げるも、牙でも生えてきそうな顔のままゼレーニナは此方を睨み付けたままだ。
認めたくは無いがゼレーニナとの初対面として、挨拶の前にやってはいけない事をやってしまったと言わざるを得ない。
少なくとも、顔に唾を吐く事の次にまずい事をやらかしたのは確かだろう。
自分でも分かる程に顔が苦くなった。
さて、どうしたものか。
人を不機嫌にさせるのは得意中の得意だと言う事は自覚しているし、ゼレーニナにかけては俺が手を出すまでもなく誰でも不機嫌にする事は容易いだろう。
問題は、求められる事象がその逆だと言う事だ。
容易い事がそのまま難解になった事を考えると、ゼレーニナの不機嫌を直すのは相当な手間か手数がかかると思った方が良い。
「あー、ユーリ、ゼレーニナだ」
未だ顔が戻らないユーリに、そうゼレーニナを紹介すると漸く思い出した様に咳払いをしてから、ユーリが向き直った。
訛りを消そうとしているのか、普段より幾らか抑揚に気を付けた発音でユーリが挨拶をする。
「失礼した。ユーリ・コラベリシコフ、会えて光栄だ」
そんな言葉を聞いて幾らかゼレーニナは目を細めたが、口を開かなかった。
相変わらず、入ってきたばかりの新兵を見定める様な視線だ。
「………こんなに、その、若いと思わなくて」
恐る恐る、と言った様子でユーリが言葉を繋げる。
そんな言葉を聞いてゼレーニナが少しばかり片眉を上げた。
この光景を見て、ユーリが来たのはゼレーニナが呼び出したからだと言われて、何人が信じるだろうか。
分かってはいたが、こりゃ面倒だぞ。
この2人をどう纏めたものか。そう思っているとゼレーニナが少し唇に指で触れてから、唐突に何かを話し始めた。
何か、と言うのは共用語、マグダラ語ではない言語だったからだ。
マグダラ語でも、東方のカラモス語でもない。
発音からして恐らくは北方の言語、ニヴェリム語だろうか。
抑揚と発音からして、何かを訊ねる様な言葉。
随分と手慣れた様子でニヴェリム語を話すゼレーニナに、隣のユーリは随分と驚いた顔をしていた。
この偏屈は、想像も付かない事や考えもしない事を平然とやってのける。
真夏に“暑いから”という理由だけで見た事も無い様な妙な機械を組み立てて、その機械から発せられる冷気で涼む様な奴だ。
まぁ、ユーリがリドゴニア出身なのは調べれば分かる事だろう。それに加え、ゼレーニナもニヴェリム語をまるで問題なく話せる事は分かっている。
当たり前にしろ何にしろ、初対面でいきなり母国語で話し掛けられるのはまぁ衝撃だろうな。
こいつの挙動には慣れてもらうしかない。
少しの間をおいて、恐らくニヴェリム語をユーリが返す。
その倍近い長さのニヴェリム語を、ゼレーニナが返す。
驚きが意外に変わった表情のユーリと、不機嫌が無愛想に変わった表情のゼレーニナが随分と話していたが、せめてマグダラ語で会話してくれないものか。
俺もそろそろ話題か本題に入りたいのだが。
ニヴェリム語の会話の最中、ゼレーニナがはっきりと此方に目線をむけながらニヴェリム語で何か長文を喋った。
そんな会話の後に、どこか気まずそうな顔でユーリが此方を振り向く。
こいつ、悪口言いやがったな。
「仕方無いので共用語で話しましょう。ブロウズは共用語以外には、カラモス語しか分かりませんし」
漸くマグダラ語を話したかと思えばこれだ。慣れてはいるが、何というか。
そんな言い方は無いんじゃないか。
そう言わんばかりの表情をしていたユーリが、口の中で言葉を噛み潰したのが如実に伝わってきた。
まぁ良い、話を進めよう。
「言われた通りにユーリを連れてきたぞ。そろそろ、お前が具体的にどう自律駆動兵を倒すつもりなのか、教えてもらっても良い頃合いだと思うが」
そんな俺の言葉に、ゼレーニナが少し鼻を鳴らした。
隣のユーリの表情が物語っている。
いつもこうなのか?
肩を竦めて表情で返す。
いつもこうだ。
ゼレーニナが一息吐く仕草と共に、椅子から立ち上がった。
「付いてきて下さい。コラベリシコフもです」
工房の様な一室に、分厚い金属板が大きな枠に固定される形で直立していた。
金属板の色合いから醸し出される異様な雰囲気に、俺もユーリも怪訝な顔をしている所へゼレーニナが何やらツルハシの様な物を担ぐ様にして持ってくる。
その顔は例に漏れず、機嫌が良さそうだ。
やや体格に不釣り合いな大きさの“それ”は、一見すると全て金属で構成されたツルハシの様に見えたが、良く見ると重心やグリップを含め様々な調整や加工が施された、“ウォーピック”である事が見て取れた。
よく見ればそのウォーピックは急遽製作したのか急遽加工したのか、調整や加工の節々に試作品特有の粗削りの風味、色合いを残している。
「仔細は省きますが」
そんな言葉と共に、重そうな様子でゼレーニナがユーリにそのウォーピックを手渡す。
親戚の姪でも相手にしている様な顔でウォーピックを受け取ったユーリに、少し息を吐いてからゼレーニナが言葉を続けた。
「貴方達には、そのウォーピックでここに用意した自律駆動兵の装甲を打ち破ってもらいます」
平然と言うゼレーニナに、顔を見合わせた。
こんなウォーピックで装甲を打ち破る?それも、あの自律駆動兵の装甲を?
確かに見た所、この大型のウォーピックは見える箇所の殆どが相当頑強に造ってある様だが、とてもそんな仕掛けがある様には見えない。ゴーレムバンカーの様な、炸薬で稼働する様な機構も見当たらない。
「………………あー、ゼレーニナさん?」
「ミス・ゼレーニナと読んでください」
恐る恐る、と言った様子で声を掛けたユーリの言葉をゼレーニナが直ぐ様訂正する。
相変わらず老獪な教授の様な言葉に、少しユーリが口を噤んだ。
少し溜め息を吐く。
「そのウォーピックには何か、炸裂機構とか組み込んであるのか?」
口を噤んだユーリの代わりに口を開くと、ゼレーニナがすかさず此方に大きな目を向けた。
隣からは何も言われなかったが、表情を見る限り俺と聞きたかった事は同じらしい。
「いえ。この新開発のウォーピックに関しては頑強性を最優先に設計されていますので複雑な機構、及び駆動機関は一切組み込まれていません。最大効率でピック部や先端部から衝撃を対象へ伝達する様、重心含め設計されていますがね」
少し片眉を上げただけで、直ぐに無愛想な顔に戻ったゼレーニナが淡々と説明する。
そんな言葉に何か口を開こうとするユーリより先に、言葉を紡ぐ。
「ならそんな何の機構も組み込まれてないウォーピック程度で、自律駆動兵の装甲は打ち破れないだろ。こんなウォーピック程度で打ち破れるなら、ユーリがとっくに打ち破っている筈だ」
そう。確かに装甲にはウォーピックが有効なのは疑い様の無い事実だが、だからと言ってあんな炸薬機構を使って漸く打ち破れる様な、戦艦の如き装甲を大型とは言え手持ちのウォーピックで破れる訳が無い。
実際に試した訳では無いが、ユーリがかつて「剣も斧も切り付けたがまるで効かない」と言っていた事を考えれば、ユーリでも無理だろう。
「………“こんなウォーピック程度”?」
ゼレーニナの表情が険しく、そして鋭くなる。
無愛想な顔に不機嫌が上塗りされるも、正直に言って良いなら見慣れた光景だった。
ユーリが興味深そうにウォーピックを掲げ、手の中で重心を確かめる様に幾らか回す。
確かに試作品の色は残ってこそいるものの、丁寧かつ本格的な作りである事は否定しないし、仮にこのウォーピックで装甲兵を叩き潰せと言われたら俺もユーリも、2つ返事で引き受けるだろう。
だが、とまで考えていた辺りで渋い顔のままのゼレーニナが口を開いた。
「最新鋭の金属技術による特殊高密度合金と形成方法によって、そこのコラベリシコフが“全力で”打ち込んでも一切損傷しない、対駆動兵装甲用の最新鋭ウォーピックです。勿論、細部はまだまだ試作品ですがね」
「全力?」「全力で?」
ゼレーニナのそんな言葉に思わず、俺とユーリの声が重なる。
全力で打ち込むなど当たり前の話だろう、まさか敵を前に手を抜いて振るう訳でもあるまいし。
いや、必要以上の疲労を抑える為にか?いやそれだとしても、装甲兵を前に手を抜く理由が無い。
なら尚更、ゼレーニナが言ってる言葉の意味が分からなかった。
「……ミス・ゼレーニナ、俺は普段から任務では全力で武器を振るっている。加えて言うなら、以前にも全力で自律駆動兵にランバージャックと、アイゼンビークを叩き付けた事があった。それでも奴の装甲には殆ど効果が無かったぞ。関節や弱い箇所も含めてな」
ユーリも同意見らしい。まぁ、ユーリはそもそもレイヴンが自律駆動兵と初めて衝突する事になった任務の、唯一の生き残りだ。
それこそ最初は、あの深く彫り込んだ岩の様な筋肉の全てを使って斧とウォーピックを叩き付けたのだろう。
その上で当時のユーリは撤退を選択した。
俺に言わせるなら、その時点でレイヴンの中に炸裂機構無しで自律駆動兵の装甲を打ち破れる者など居ない。
炸裂機構の次に威力のある武器が叩き付けられた上で破れなかったのなら、どんな武器を用意しても無理だろう。それが例え、この大型のウォーピックだとしても。
しかしそこまで言われた上で尚、ゼレーニナの眼は妙に冷ややかだった。
「私の言う全力とは歯が割れそうな程に食い縛ったり、血反吐を吐いたりという程度の話ではありませんよ」
歯を食い縛って血反吐を吐く程度の事は、全力では無いらしい。
レガリスに、いやバラクシアに居る9割以上の人間が全力を振り絞った経験が無いまま生涯を終える事になるが、ゼレーニナはそれをどう考えているのか。
「………俺としては、全力だと思うが」
ユーリも同意見らしい。
と、そこまで話した後でゼレーニナが少しばかり唇に指で触れながら、考え込んだ。
そして何か、説き伏せる様な長文をニヴェリム語で話し始めると隣に居るユーリの表情が、少しずつ変わっていく。
信じられない。そんな顔のユーリが、何やら随分と丁寧な話し方のニヴェリム語を返した。
そんな言葉に頷いてから、ゼレーニナがさぁやってみろ、と言わんばかりの仕草と共に分厚い金属板の方を指し示す。
しかし先程と違ってユーリは随分と神妙な顔で、手元の頑強なウォーピックを見つめていた。
「ユーリ?」
俺がそんな声を掛けるも、ユーリが此方を手で制する。
離れていろ。
目線と手振りだけで此方にそう伝えてきた後、ユーリがウォーピックを持ったまま器用に上着を脱いで手渡してきた。
元々、ゼレーニナが組み立てたディロジウム暖房のお陰で室内は快適な温度に暖まっていたとは言え、明らかに理由は室温では無い。
深い呼吸の音と共にユーリがウォーピックを握り直し、静かに振りかぶる。
まさか本当にやるつもりか、とは聞かなかった。
全力でやっても無理だとお前も言っていただろう、とも言わなかった。
上着を脱いでいるとは言え、ユーリの肩と背中の巨岩の様な筋肉が服の上から見ても分かる程に、盛り上がったからだ。
鍛えている者なら分かる。目の前で起きている事が、どれだけの鍛練と素質の末に起きる事なのかを。
見せ掛けでも伊達でもなく“人と殺し合う為の”筋肉をここまで鍛える事が出来る人間が、何れ程希少な存在なのかを。
駆動機関の吸気か排気を思わせる、噴き出す様な呼吸と共にユーリが体重と筋力、それ以上の物を乗せて装甲板にウォーピックを打ち込む。
様々な例えを用いる事が出来る光景だったが、敢えて俺に言わせるなら“砲弾”か“臼砲”だった。
そんな人間離れした筋肉量が鍛練で磨かれ、殺し合いで研ぎ澄まされた末の一撃が正しく“砲弾”の様な轟音を纏い、大型軍船の衝角の様な迫力と共に装甲板へと激突する。
戦艦から切り出した様な重厚な合金、自律駆動兵を想定された装甲板が悲鳴とも爆発とも言えない、船に穴が開く様な大きな金属音と共に激しく歪んだ。
自分でも分かる程の音と共に、息を呑む。
理屈と順序の全てを頭で理解した上で、それでも目の前の光景が信じられなかった。
合金製の装甲板が、炸薬も無いウォーピックの一撃で歪むだと?
確かにゼレーニナは最大効率で衝撃を伝えるとは言っていたが、それにしても純粋な筋力のみであの戦艦の様な強固な装甲が歪むとは………
双方の規模を抜きにすれば、金槌で戦艦の側面を叩いて穴を開けるに等しい行為だ。
そこまで考えた後で、合金製の装甲板が歪んだだけでなくピック部分の半分近くが装甲の裏側へと突き出している事に、漸く気付いた。
内面まで、貫通している。自律駆動兵の内部機構が想定されているであろう、装甲板の内面へと。
金属板を固定していた大きな枠に足を掛けて、ユーリが突き刺さっていたウォーピックを引き抜いた後も自分の眼で見た物が信じられなかった。
一切の炸薬及び炸裂機構を使う事なく、規模の差こそあれど1人の人間が筋肉で振るう武器によって、あの自律駆動兵の装甲を突き破っている。
まるで蒸気か何かの圧力機構がユーリの中に備わっているかの様な、とてつもない瞬発力だ。
ユーリ自身が炉となって燃えている様な、とまで考えた辺りで以前、コールリッジの任務において似た感想を抱いた事を思い出した。
そうだ。
コールリッジが、展開したランバージャックの一振で上下に両断されたあの時。
骨割りの域を越えたその凄まじい結果についてどうやるのかユーリに訊ねた時。
彼は、「血を燃やすんだ」とだけ言っていた。
あの時は単なる言い回しの一つとしか思わなかったが、今と同じ事をしていたのだとしたら。
それならば。
ここまで来て漸く、何故ゼレーニナが血中のマナの話をしていたのか、何故ユーリを此処に呼び出す様に俺に命じたのか、理解出来た。
理解したかったか、と聞かれたらとても頷けないが。
装甲板から引き抜いた後も興味深そうに、破損していない事に感動するかの様にウォーピックを眺めているユーリから視線と意識を切り、ゼレーニナに視線を向ける。
ゼレーニナも俺の視線と意図に気付いたらしく、微かに頷いた。
冗談だろ。そんな思いと共に、口から小さな咳が零れる。
「あー、まさかとは思うが」
「理解が早くて助かりますね。ええ、そうです」
「貴方には死に物狂いで、これと同じ事をやってもらいます」




