“260”
それからも、様々な説明を受けた。
スプーキーケトルの泡に奇怪な色が付いているのは意図的な物であり、着色料によるものだとか。
化合の際に発生する高熱で、自律駆動兵の機関部等に攻撃出来ないか、とも考えているとか。
確かに前回、自律駆動兵の“グレゴリー”や“アナベル”を破壊した時の様に、奴等は手足を破損させた程度では止まらない。
胴体部分を破壊し、自律駆動兵の中枢たる内部の有機性階差機関を無力化しなければ、奴等は文字通り限界まで戦うだろう。
しかし逆に言うなら、有機性階差機関さえ無力化してしまえば、何も自律駆動兵を粉微塵になるまで破壊する必要は無い。
中身の特殊調教された鳥類さえ何とか出来れば、何も破壊する必要は無いのだ。
もしも有機性階差機関が、呼吸の際に吸入口でも使ってるならそこから毒を吸入させる、または物理的に粘性の物で塞ぐ、燃料の気化や燃焼によって吸入を阻害する事が出来れば、窒息によって内部の有機性階差機関は機能を失う。
駆動、判断している内部の鳥類さえ生物として死滅すれば、自律駆動兵はそのまま巨大な鋼鉄の棺になる。
しかし内部の鳥類は、呼吸自体を内臓した特殊ボンベとバルブで解決しており、基本的に外気を取り込む事無く解決している為、その手段は使えなかった。
“生命稼働薬剤”と言われる薬剤を充填し、そのチューブから食事と水も摂取している為、服毒云々の方法もまず無理だろう。
だからこそ、あのスプーキーケトルが化合により発泡した際の高熱で装甲を破壊せずとも、内部の鳥類を損傷させられないかと考えたらしい。
内部まで“火を通す”のは、現状では必ずしも通じる手では無いので更に何か考えなければならない、なんて話も出た。
多少俺の方でもスプーキーケトルを現状からどう改良したら、効果的かを考えてみたが具体的な改良案は浮かんでこない。
まぁクルーガーが考えて思い付かない事に、俺が具体的な解決策等を思い付けるとも思わなかったが。
結局、ゼレーニナに要請する用事を抱えたまま、技術開発班の一画で随分と話し込んでしまった。
話してる途中でシマワタリガラスが話している俺の肩に留まり、まるで俺を急かす様に鳴かなければもっと話し込んでいただろう。
思わず「おっと」と言葉を溢すと、クルーガーは何かを察したらしく「おや、そう言えば先約があるんでしたね。失礼しました」と苦笑を溢した。
また何やら考え事をしながら道を歩いて帰っていくクルーガーの後ろ姿を眺めながら、頭を掻く。
何にせよ、あの偏屈に協力を要請しなければならないのは事実だし、名残惜しくもあるが切り上げるとするか。
表面に配管が織り込まれたかの様な造形の、所々に駆動機関が見える奇妙かつ巨大な塔。
亡霊か悪魔でも住んでいるかの如く、技術開発班の連中から恐れられている、または避けられている曰く付きの場所だ。
“魔女の塔”なんて呼ばれている灯台以上の高さで聳え立つそんな塔の足元で、肩に留まっているカラスに仕草だけでこの場を離れる様に指示する。
グリムを飼うぐらいだ、カラスは嫌いじゃないだろうが道すがらに出会ったカラスを塔の中に連れ込んで良いかは、断言出来る自信が無かった。
今の所、一応はカラスを入れない様にしている。取り敢えずは、塔の中に入らせない方が無難だろう。
武骨な両扉を開き、様々な工作機械から漂う機械油の匂いの中を歩いていく。
今日は微かなディロジウムの匂いもするな。
そんな事を考えながら、昇降機の硬い呼び出しレバーを引いた。
轟音と共に降りてきた昇降機に乗り込んで使い込まれて動きが滑らかな稼働レバーを引くと、またもや轟音と共に昇降機が上がり始める。
さて、どうしたものか。
まるで亡霊か悪魔の様にこの塔は技術開発班の面々から恐れられていたが、“魔女の塔”なんて異名からも分かる通り人々が真に恐れているのは塔ではなく、塔の中に住み着いている方だった。
ニーナ・ゼレーニナ。
偏屈で変人、無愛想かつ底の見えない天才。
新機構を開発しただの、その機構を組み込んだ新型航空機“ウィスパー”で帝国軍を恐怖に陥れただの、奴について語れる逸話は幾つもある。
だが、ゼレーニナの実力と脅威を端的に表す逸話を挙げるなら、“その技術力と頭脳だけでこの団では幹部達に並ぶ強権を持っている”という逸話が、彼女の異質さを説明するのに最も適しているだろう。
この島に来て以来、かくいう自分も随分な目に合わされた事は否定しないし、する気も無い。
しかし不本意ながら技術開発班の大半の連中より、あの偏屈の頭脳に値打ちがあるのは客観的に見ても明らかだった。
それもあのクルーガーを含めて、の話だ。
少し左手と、左手の痣を眺める。
………ふと思ったが、クルーガーは他の連中よりゼレーニナと親しい様だが、グリムの事は知っているのだろうか?
先程の一瞬のやり取りは、冷静に考えるとクルーガーもグリムの事を知っていた様なやり取りに聞こえなくも無い。
こう考えてみるとあのグリムがどれだけの人に認知されているのか、少し気になる話だ。
相手はでかいカラス程度にしか思ってないのに、向こうからしたら情報収集の真っ最中なので不用意な会話も全て収集出来るのは、相当な利点だろう。
それに、元々シマワタリガラスの時点で知能は高い事、情報共有が高い水準で可能な事を考えるとグリムが更にカラスを使役、または情報収集に協力させている可能性もやや突飛ながら否定しきれない。
そんな事を考えていると、揺れと共に轟音が止まり上層階に付いた事が分かった。
まぁ、優先して考える様な事でも無いか。
そんな思いと共に赤いボタンを押し、音と共に上がったシャッターを潜って部屋の中に入る。
当然ながら、返事は無い。だが、昇降機の位置からして留守とは思えなかった。
「ゼレーニナ、居るか?居たら返事しろ」
今の所、返事は無い。もしかしたらあの昇降機以外の階段や、別の昇降機で降りたのかも知れない。
この塔の内側には日頃使っている大型の昇降機の他にも、大小様々な貨物リフトや簡易型の昇降機も備わっていた。
考えてみれば、他の昇降機で下に降りるのも充分に有り得る選択肢だ。
俺があの大型昇降機ばかり使うだけであって、あの偏屈は別の昇降機を使っている可能性だって充分にある。
いや。
少し頭を掻いた。
考えた所で、今はどうしようもないか。
貴族の様な気品と工房の様な武骨さを漂わせている部屋の中を歩きつつ、幾つかの部屋を潜っていった。
そして、書斎に入ったその時。
椅子に座ったまま、机に着いたまま、手元には分厚い本を広げたまま。
此方に、とんでもない顔を向けているゼレーニナが目に入ってきた。
「こんな所で何をしているんです?」
俺が何を言うでもなく面食らっていると開口一番、ゼレーニナがやや間の抜けた声を溢す。
何故そんなに驚いているのかは分からないが、ここまで相変わらずの対応をされると、最早安心するな。
「………お前に任務を手伝わせる様、幹部連中から命令されたんだよ。似合わない役だが、仕事は仕事だからな」
肩を竦めながらも、言葉を返した。
そんな俺の言葉を聞いて尚ゼレーニナは驚きを隠せない様子だったが、少しして納得の混じった溜め息を吐いた。
「成る程、そういう事ですか」
漸く合点が行った、と言わんばかりだったゼレーニナの表情に眉を潜めていると、面倒臭い事を隠そうともしないままゼレーニナが語り始めた。
「……幹部連中がバスブルク強制収容所を気に掛けている事は予め知っていましたし、自律駆動兵に対する具体的な対抗策を一つでも形に出来ないかと、クルーガーまで呼び込んで対抗策を考え込んでいた事は知っています」
そこまで言いきったかと思えば、ゼレーニナが呆れた様な目線を此方に向ける。
どうやら幹部連中が強制収容所を襲撃する計画を立てている事、それに伴って複数体の自律駆動兵を相手取る事、効果的な対抗策を技術開発班が総出で模索している事は既に知っていたらしい。
「そこから、きっと私に本格的な協力を要請する為に私の元へ協力要請の為の使者を送ってくる事も、ある程度は予想していました」
「協力要請の為の使者、ね」
否定出来る訳では無いにしても、随分な捉え方もあったものだ。
呆れた様な目線を俺から切り、ゼレーニナが小さく溜め息を吐いた。
「まさか、貴方が送られてくるとは思いませんでしたが」
「奇遇だな」
そんな言葉を返すと今度は不機嫌そうな目線が返ってくる。
ゼレーニナが手元の本を閉じ、適当に机の端に寄せつつ椅子を微かに軋ませた。
「大体、何故貴方なんです?本来貴方は幹部連中の特別任務の為の要員であって、交渉や説得には無縁の筈ですが」
奇遇だな、と繰り返しそうになった言葉を飲み込む。
非常に同感ではあるが、同じ言葉ばかり繰り返すのもそれはそれで引っ掛かった。
別にこいつの前で何かが引っ掛かろうと構わないし、こいつの機嫌を取ろう等とは夢にも思わないのだが。
「どこぞの無愛想が他の連中と全く絡まないせいでな、よりにもよってこの俺が“比較的話が通じる相手”として、幹部から直々に交渉役として任命された訳だ」
そんな俺の言葉に分かりやすく、ゼレーニナが眉を潜めた。
だが、流石にこればかりは俺の非でも落ち度でもない。
「今度からは、グリム以外の友達も作るんだな」
只でさえ不機嫌そうな目付きが殊更に不機嫌な色を帯びたが、少しして諦めた様にゼレーニナの目線が丸くなる。
一息ついて、丸くなった目線が俺を見据えた。
「まぁ、他の話が通じない面倒な連中よりは良いでしょう。少なくとも、貴方は追い返せば素直に帰りますしね」
呆れた教師の様な口振りだったが、少なくとも話は聞いてくれるつもりらしい。
ゼレーニナが退屈そうに頬杖を突く。
「それで?私に何をしてほしいんです?」
「………自律駆動兵に対する対抗策の考案に、協力してくれ。具体的に言うなら、技術開発班でクルーガーの手助けをしてやって欲しい。考える頭は多いに越した事は無いだろ、お前みたいに頭が回る奴なら尚更だ」
あのクルーガーにもしゼレーニナが協力するなら、素人目に見てもかなり頼もしい頭脳になる事は間違いない。
少なくとも要請した価値は充分に得られる結果の筈だ。
だがそんな俺の言葉を聞いたゼレーニナが、わざとらしい大きな溜め息を吐いた。
「コックが多すぎるとスープが台無しになる、という言葉を知らないんですか?クルーガーの下に付いている連中なんて、レンチとナット、ボルトの規格を間違えないのが精一杯の連中ばかりです。それぐらいなら、むしろクルーガー1人に付き従わせている方が遥かに統率が取れて、無駄な問題を生まずに済みます。どうせ、私が解決案を出してもクルーガーの方を感情的に擁護する連中が大半でしょうしね」
長々と言い切ったかと思えば、まるで今その光景を見てきたと言わんばかりの表情でゼレーニナが目を細める。
想定内と言えば想定内の返事だったが、だからと言って何か効果的に言い返せる訳でも無かった。
どうしたものか。
「お前とクルーガーの間に、俺を挟んでもか?」
「この団でさえ恐れられているグロングスを間に挟んで、とても事態が好転するとは思えませんが。やるだけ無駄でしょう」
「どのみちこのままじゃ現状に変化は無い、やるだけやってみたらどうだ」
「お断りですね。貴方が来た所で何になると言うんです?」
「少なくとも、お前は俺相手ならこうして口を利くだろう?少しでも話は通じる可能性はある」
ゼレーニナが俺を睨み付けるが、此方も此方でゼレーニナの大きな眼を真っ直ぐ見返す。
今の所、此方に身を引く道理は無かった。
「…………まぁ、無駄とは思いますが体裁上の問題もありますしね」
相変わらず偏屈な言い方ではあるが、取り敢えずは話をするつもりになったらしい。
まぁ良い、善は急げだ。折角話す気になったのなら、取り敢えず聞けるだけでも話を聞いておこう。
最悪、俺が聞いた話の殆どをクルーガーやその辺りの連中に投げ渡すだけでも、何か進展があるかも知れない。
「話すつもりになったのなら早速、聞くが…………率直に言って、新しい対抗策は何か思い付いてるのか?」
これからの会話をよく記憶しておかないとな。
ここから先が上手く行かなければ俺が全てクルーガーに説明する羽目になる。
そんな思いの俺とは裏腹に、爪でも見る様な仕草と共に随分と退屈そうな口調でゼレーニナが口を開いた。
「レイヴン達に普及させる観点から言えば、クルーガーが今発明している物以上の発想は今の所ありませんね」
「何だって?」
思わず声が出た。色んな答えは予想していたが、俺が予想していたどの答えとも違う答えがゼレーニナの口から零れ落ちる。
他の発想が無い?
「ケトルがどうのと騒いでる、あの装備についても………特殊な粘剤による、自律駆動兵への行動阻害剤は悪くないアイディアだとは思いますが、もう少し比率と成分を調整しないと粘性の強度で相手を引き留めるという点に絞って考えても、相手の温度から粘剤が強固に固まるかどうか、無視出来ない疑念が残りますね。率直に言って、及第点とは言いがたいのが総評です」
頬杖を突いたまま、ゼレーニナが細長い息を吐いた。
スプーキーケトルに関しても調整不足、か。
こう言うと賛同する様で癪だが、確かに現段階では俺としても現場で使うには後一歩足りない、という評価ではある。
やはり、レイヴン達が現場でどう使うかについては実際に現場に向かう俺達に負けない程の、構想と発想が頭の中にあるらしい。
そうだ、そう言えば。
「ゴーレムバンカーについてはどうなんだ?ほら、炸薬筒で杭を打ち出す、あの」
手振りを交えて説明しようとする俺に、ゼレーニナがまたもや退屈そうな眼を向けた。
「基本構造に進歩が見られませんね。どうせ、出来ても素材と比率の更新による軽量化が精々でしょう。効果的ではあるでしょうが、飛躍的な進歩とは到底言えません」
随分と点が辛いが、ゼレーニナはゼレーニナなりにクルーガー、及びクルーガーの発明した装備を評価しているらしい。
しかし、ゼレーニナ程の頭脳を持ってしてもこの総評と言う事は、思った以上に行き詰まった問題かも知れないな。
頭を掻いて考えそうになった辺りで不意にある事に気が付いた。
レイヴン達に普及させる?
「なぁ」
「はい?」
此方から呼び掛けるとゼレーニナから、何ともつまらなそうな返事が返ってくる。
正直に言って、凄く気が進まないがこの際私情は抜きにして質問するしか無いだろう。
真面目な話には違いないのだから。
「レイヴン達に普及させる、と言ったな」
「ええ。そのつもりでしたが」
足でもぶらつかせそうな程につまらなそうな声音で返すゼレーニナ。
あぁ、結局はこうなるのか。そんな自虐的な思いと共に、口を開いた。
「一般的なレイヴン達に普及させるのが無理だとしても、その…………俺みたいな奴に使わせる想定なら、何かあるんじゃないか。其処らのレイヴンには無理な方法が」
あからさまに退屈そうだったゼレーニナが、眉を上げた。
そこまで言うなんてどうしたんです?
言うまでもなく、大きな眼がそう語っている。
分かってるよ。こんな言い方が似合わない事ぐらい。
だが、似合わないのなんて今更だろ。
「俺でも無理か?」
重ねてそう言うとゼレーニナは頬杖から頬を離し、両腕を机に置いて少しばかり考え込む様子を見せた後に、何とも言えない口調で言葉を紡いだ。
「………まぁ、貴方がそこまで言うなら無くはありませんよ」
あぁクソッタレ。ゼレーニナの意外そうな言葉を聞きながら、胸中で悪態を吐く。
何で俺は損する方にばかり歩いちまうんだ、全く。
「少し、無茶をしてもらう事にはなりますけど」




