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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
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 任務の直前に、ホットサンドを食べられる様になれ。





 訓練時代、かつて現役のレイヴンからそう言われた事があった。


「悔いの無い様にって意味ですか?」


 そう聞き返すと、そのレイヴンが小さく笑って首を振る。


 不思議そうな顔をしていた自分に、そのレイヴンは何とも言えない顔をしながら呟いた。


「お前が任務の直前に、ホットサンドでも食おうぜと言えるレイヴンになったら、ウィスキーの一杯でも奢ってやるよ」


 腹一杯になるから走り辛いとかだろうか、それともそんな小粋な事を言えるぐらいの人間になれと言う意味だろうか。


 あの時の自分は、そんな事ばかり考えていた。


 誰も居ない訓練場で1人、鍛練用の武具で仮想の敵を切り裂かんばかりに空を振り抜く。


 ならどうせだし箔を付けるのも兼ねて、自分がレイヴンになったら話のタネに任務の直前にホットサンドを頼んでやるか。


 そんな事を考えていた事を、覚えている。


 当時は過酷な訓練の方が気になって、その程度の意識でしかなかった。


 実際にレイヴンになり、来週にはカラマック島を離れる今なら分かる。


 まだ現場の地区に向かってさえいない今でさえ、よく眠れない程に気が張り詰めているのに任務の直前にホットサンドなんて、到底食べられそうになかった。


 それどころかこの調子じゃ、任務の前日にまともな飯が入るかどうかさえ怪しい。


 レイヴンとなり、普段よりマシな部屋を貰ったかと思えばそれもつかの間、いよいよ自分の初任務が言い渡された。


 他のレイヴン達と組んで、目標を排除する分かりやすい暗殺任務だ。


 自分なんかより、過酷な任務に挑んでいるレイヴンは数多く居る事は分かっている。


 それでも俺はこれから訓練場では無い町並みを駆け、屋根を走りスチームパイプの合間を滑り抜け、屋根から屋根へと自身の全てを駆けて飛ぶのだ。


 言うまでも無いが、その上で鍛えられた帝国憲兵どもを実際に排除し、目標を抹殺したら速やかに脱出して崩落地区へと戻る。それも、相手や追手を撒いた上で。


 前々から分かりきっていた任務だし、自分はこの為に長年鍛えてきた。何なら、こういった任務に出る為にあの選抜試験を含む過酷な訓練に耐えてきたのだ。


 分かりきっていた任務が分かりきっていた形で来ただけなのに、いざその時が近付くと自分は信じられない程に緊張していた。


 それも、まだカラマック島から離れてすらいないのにこのザマだ。


 このまま崩落地区へと向かったら、そしてそのまま任務の日が近付いたら俺は一体どうなってしまうのだろうか。


 既に、幾らか食欲が無い気がする。


 親友のマイルズは俺が話す前から俺が思い詰めてる事を察して、「いよいよ初任務が来たのか」と心配してくる始末だ。


 呼吸と足運びを意識しながら、架空の敵を相手に鍛練用の武具を構え直す。


 こうして現にレイヴン達の一員となり、任務に赴く事になった今なら分かるが、もしこれから自分が死ぬかも知れない戦場に赴くという事は想像以上の重圧だった。


 言ってしまえば任務中の俺には、死ぬかもしれない機会など腐る程ある。


 帝国憲兵に切り殺されるかも知れない。ディロジウム銃砲で手の届かない箇所から撃たれるかも知れない。隠密行動をしくじるだけで、山程の憲兵が来てディロジウム銃砲の一斉掃射で俺を穴だらけにするかも知れない。


 それでなくとも、移動術の最中に少し手や足を滑らせればそれだけで俺は路面に頭蓋を叩き割られて死ぬ。


 移動術の最中に撃たれたらどうなるかは言うまでも無いし、何なら戦闘途中の負傷でそもそも移動術が不可能な程の重傷を負うかも知れない。


 息を荒げながら、架空の敵の動脈を切り裂いて失血死させた辺りで鍛練用の武具を静かに鞘に収め、長く長く息を吐いた。


 今まで眺めていた任務に赴くレイヴン達が、どれだけの重責と重圧の元に涼しい顔をしていたのか。


 勿論、帝国兵とて必ずしも愚鈍ではない。


 実力者は必ず居るだろうし、それこそ装甲兵はレイヴンでも苦労する熟練者だ。


 鍛練用の武具を握り締めていた手に力が入る。


 この団のレイヴン達がどれほどの強者なのか、こうしてレイヴンとなった今なら身に染みて分かった。


 そして。


 息を意識的に鋭く吐ききって、武具を構え直す。


 そのレイヴン達からも畏怖されていた、あの男。


 デイヴィッド・ブロウズが、何れ程の“強者”だったのかを。


 俺はこの任務で、人を殺す事になる。それはレイヴンとして当然の事だし、俺はその覚悟の元にレイヴンとなった。


 だが、殺す覚悟がある事と実際に殺せるかどうかは別問題だ。


 向こうも当然、殺す覚悟はある筈だ。何なら、罪無き人々を実際に殺しているかも知れない。もしくは、圧政に抗う人々を。


 此方を殺す覚悟がある人間、それも武装し鍛えた人間を、所謂“戦士”を殺す事が俺に出来るのか?


 俺には自由に身を捧げる覚悟がある、というのは簡単だ。


 だが、それは向こうにもあるだろう。


 眼に砂を掛けようとも、足を踏みつけようとも指をへし折ろうとも、相手を殺す技術と実力だけが物を言う世界で俺は、本当に生き残れるのか?


 この立場になれば分かる。表に上がらない、自分が知らないだけで俺と同じ環境の人間が、俺と同じ様に葛藤し、そして人知れず“自分より実力の上回る相手に当たった”という理由だけで消えていった者が、確実に居る筈だ。


 戦い、生き残るだけで勝者であり強者となり、逆に言えば強者で無ければ、敵と戦った時点で生き残る事すら許されない世界。


 思い切り、相手の胴を割る想定で武具を振り抜く。


 何一つ反則は無く、どれだけ不公平だろうと姑息だろうと狡猾だろうと、勝負に敗れたら死ぬ。


 そんな残酷かつ、無慈悲な世界であの男は、あのデイヴィッド・ブロウズは“英雄”と呼ばれる程の戦果を挙げ、そして生き残ってきたのだ。


 どれだけの強者とぶつかろうとも、それこそ帝国兵を捩じ伏せてきた我々レイヴンと切り結ぼうとも、街が出来る程の人間を殺してでも彼は生き残ってきた。


 どれだけの姑息にも狡猾にも、そして言い訳の聞かない武力においても尚、数えきれない殺し合いの末に生き残った彼が何れ程の存在かは言うまでもない。


 個人的に言わせてもらうなら“英雄”などという言葉では、到底表現しきれないのは確かだろう。


 こうしていざ命のやり取りをするべく、剣を握る立場になると尚更に身に染みる。


 日頃、技術開発班で俺やミスタークルーガーと平然と過ごし、茶会の最中も口を開けば皮肉ばかりで、高い酒でも女でも買える筈の立場でありながら何故か時折、辛気臭い事を言っていた彼が、何れ程の高みに居たのかを。


 憲兵、帝国兵、装甲兵、ブージャムの様なストリートギャングに加えてペラセロトツカ軍の屈強な兵士達、義勇軍、挙げ句にはレイヴンまで。


 その全てを切り裂いて撃ち抜いて踏み潰し、必要とあらばへし折って食い千切ってきた、あのブロウズがどれだけの存在なのかを。


 悪運も確かにあるだろう。だが、悪運だけでは到底説明が付く話では無い事も確かだ。


 それ程の男が、レガリスを揺るがせる程の男が、赦されざる黒魔術とカラスまで従えて、漸く成せるのが革命なのだ。


 そんな男だからこそ、俺など頭から齧って吐き捨てそうな程に屈強なレイヴン、“偏屈なノスリ”ことユーリ・コラベリシコフや、“血塗れのカワセミ”ことラシェル・フロランス・スペルヴィエルとも対等な立場で語り合う事も、信頼し合う事も出来る。


 空想の敵の兜を打ち、その隙に空想の喉を直ぐ様切り裂く。


 そうして鍛練用の武具を振り抜いたかと思えば、夜にも関わらず目の前の少し離れた屋根に1羽のカラスが留まった。


 カラス、か。


 かつてブロウズと共に、森の中を歩いていた時の事が脳裏に蘇る。


 自分とブロウズが実際に向き合ったのはあの時が初めてだったが、考えてみれば随分な初対面もあったものだ。


 あの時、平然とカラスを従えていたブロウズが何れ程の強者、“怪物”だったのか。果たして俺は、真に理解出来ていただろうか?


「なぁ」 


 屋根に留まったまま、此方を見つめるカラスに語り掛ける。


 カラスを肩に従えて人ならざる、人を越えた存在の様に歩いていたブロウズの姿。


 あれほどの英雄かつ怪物が血塗れで殺し合う様な世界で、俺は本当に戦っていけるのだろうか。


 俺は果たして、本当に誇り高きレイヴンとして戦い抜けるのだろうか。


「俺、ホットサンド食える様なレイヴンになれると思うか?」






 カラスは、何一つ返事をしなかった。

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