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自分はこの団において最も、現実を見なければならない役目だ。
それを踏まえた上で言わせて貰うなら、我が団がここまで持ち直せるとは夢にも思わなかった。
数字と統計、支出と収入を見ている人間からすれば、どれだけ立派な理想論と愛国心を振りかざし人格と道徳を語ろうとも、数字は増えないし機材の効率は上がらないし、燃料と塗料が倍になる事も当然無い。
よく団が盛り上がっている所に水を差す役だの、情が薄いだの言われてきたが、黒羽の団の会計及び経理総主任の自分からすれば団員達こそ、余りに感情的過ぎるというのが答えだった。
畑の作物を全て取り尽くせば翌年は食っていけない。それでなくとも作物を取りすぎれば、翌月や翌年の自分達が苦労する。
こんな簡単な理屈を、理解出来ない連中は自分が想像していた以上に多かった。
去年はその上で夏前の頃に入ってくるデイヴィッド・ブロウズの為に、宝石を磨り潰す程に無理と無茶をして“個人資産”という中流階級が羨む程の資産を用意した時の事を、未だに覚えている。
幹部を除いて一部の関係者が「その気になれば用意出来るのか」と、拍子抜けの様な顔をしていた事を。
とんでもない。
あれは、周りが想像している以上に博打じみた金策だったのだ。
博打じみているのは資金を用意する方法ではなく、あれだけの資産を短期間で用意すると言う方針だった。
あれだけの資産の用意、金策を用いた上でデイヴィッド・ブロウズが我が団に協力的でなければ、もしくは最初の任務の途中で帰らぬ人となれば。
あれだけの想いで資産を用意した意味がそんな些細な切っ掛けで無くなってしまったとなれば、その後の黒羽の団の運営がどれだけ悲惨な事になるのかは言うまでも無い。
他の人間がどこまでその事実を把握していたかは知らないが、自分個人としては“個人資産”を用意した後は夜もまともに眠れない程、思い詰めたものだ。
結果論で言えばあの方針は正しい判断だったし、現に経理総主任としては昼間から欠伸が出来る程に資産は潤ったが、結果論は結果論でしかない。
幾ら賭けに勝利して金銀財宝が懐に入ってきたとしても、決して賭場は金策になり得ないのだ。
現実を見なければならない者として、その点を履き違えるつもりは毛頭無かった。
まぁ勿論、幹部連中もその博打じみた策である事を理解した上でやらせていたらしいが。
あの幹部連中、と言うよりおそらくはアキムに、それだけの博打を成功させる自信があったのか。
それともそれだけの博打を打たなければならない所にまで、我が団が追い詰められていたのか。
何にせよ自分には、どれだけの事があっても打てない策なのは間違いなかった。
黒羽の団を長年引っ張っていける統率者と言うのは、ああいった人間にしか務まらないのかも知れない。
何にせよ自分の目から見ても我が黒羽の団は、あくまでも経理的な立場と資産総額と支出額から見て、ペラセロトツカとペラセロトツカ軍、それに伴う義勇軍を支持しつつレガリスと戦っていた頃の勢いを完全に取り戻しつつあった。
あくまで希望的観測、という注釈を付けと上での発言にはなるがこの理想的な状態から更なる成長、所謂“飛躍”も期待出来るだろう。
しかし、だ。
私は実質主義者の気はあるが、決して楽観主義者ではない。
何なら、時には悲観的な視点も必要だと日頃から思っていた。
現実的な視点と悲観的な視点は、類似する点や重複する点が多々あるからだ。
息を吹き返し、レガリスを脅かす抵抗軍として復興し、終戦後も決して灯火を絶やす事無く革命の業火を掲げる黒羽の団。
黒羽の団を取り巻く戦況、そして幹部達が忙しなく動いている所を見ると、素人の自分から見てもまたもやとんでもない任務にレイヴンを向かわせる気なのは間違いなかった。
壮大かつ苛烈、過酷になっていくだろう。
その勇ましさだけに注目し、喜び続けるなんて真似はしない。
今までと同じく決して油断する事なく、感情と希望ではなく数字と現実を見据え、今まで以上に気を張って我が団を運営していかなければならないだろう。
これからは、戦場で血を流すレイヴン達にも引けを取らない程に、我々も気を引き締めて行かなければならない。
我々が金策を誤れば、レイヴン達の戦う意味が薄くなってしまうかも知れない。レイヴン達の犠牲が陳腐な物になってしまうかも知れない。
剣と矢と血で戦っているレイヴン達と同じく、我々は違う戦場において数字と帳簿と金で戦っているのだ。
革命が近づいているのなら。歴史を変えられるかも知れないのなら。
我等こそ、戦場で寝起きするが如く気を張っていなければならないだろう。
自分は、この団で最も現実を見なければならない立場なのだから。




