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「本当に倒さなきゃならないのか?」
カラマック島、黒羽の団本部、会議室。
最近は幾らか空気が淡く、軽くなり始めていたこの会議室だったが、今日ばかりは数ヶ月前と同じ様に重苦しい空気が立ち込めていた。
「正直に言うと、私もアレとは関わりたくないのが本音だ。だが残念な事に、奴等をかわしたまま目標を排除出来る程、奴等も甘くないだろう。いつもの事と言えば、それまでだがね」
そんな重苦しい空気にも関わらず、幾らか剽軽な仕草で椅子に座っていたクロヴィスが肩を竦める。
そんな様子に、窓を背に立っているヴィタリーが随分と苦い顔で長く長く、溜め息を吐いた。
「…………俺だって納得が行かない訳じゃない。だがよ、俺達は“アレ”には酷い目にあってるだろ?前回……去年やった無茶で、アレの相手はもうカタが付いたと思ってたんだがな」
「前回の戦いは、レガリス中に普及させる事を防ぐ戦いだった。普及させない事と根絶はまるで違う事ぐらい、分かるだろう」
そんなヴィタリーの言葉に、アキムの言葉が幾らか重なる。
クロヴィスの隣に座っていたアキムが椅子を軋ませ、座り直した。
「確かに考えたくない相手だ。恐らく、というより確実に過酷な戦いになるだろう」
そんなアキムの言葉にヴィタリーのみならずクロヴィスまでもが目を向けたが、アキムに動じる様子は無い。
「だが、自律駆動兵を何体も従えた強制収容所を襲撃するなんて真似は現状、黒羽の団以外には殆ど不可能だ」
どこか飄々とした印象さえ受けるアキムのそんな言葉に、窓を背にして立っているヴィタリーの片眉が上がった。
自律駆動兵。
去年こと1838年、南方国ニーデクラ出身の発明家、クリストフォロ・ピアッツィが開発し発表した鋼鉄の自律兵器だ。
戦艦の様な分厚い装甲で全身を覆い、同じく装甲に覆われたディロジウム駆動機関と生命機関を、中心部に内蔵。
かつ、その動力で機械駆動の手足を俊敏に駆動させ、12フィート近い体躯を誇る鋼鉄の兵士が街路を駆け巨大な斧や刃を振り回す姿は民衆、そして上流階層や権力者に与えた衝撃は今も彼等の胸と眼に焼き付いている。
そして名称に“自律”と付いている事からも分かる様に、兵とは言いつつもその正体は人間では無い。
事前段階から高度に調教した鳥類を様々な特殊処理の後、内部の生命機関に組み込んだ“有機性階差機関”を主軸とした鋼鉄の生体兵器。
それが、自律駆動兵だった。
黒羽の団としては当然、不本意な形ではあるが現に自律駆動兵は襲撃してきたレイヴン達を叩き潰し、上流階級の悩みと悪夢の種だったレイヴンを完全に撃退するという輝かしい戦果からも、実力と有効性は保証済みだ。
故に、これ以上レイヴンの天敵たる自律駆動兵が普及しない様、上流階級の投資や支持によって更なる研究が進まない様、去年の秋頃にはワーディーボンディッツ地区において“雨の中の惨劇”と呼ばれる程の激戦によって、自律駆動兵が無敵でも万能でも無い事が証明されたのは、団員達の胸にレイヴンの有志と共に深く刻み付けられている。
「いつか何処かの、自律駆動兵を買い込んでる上流階級とまた戦うかも知れない。それが分かってたからこそ、我々は去年の秋頃から技術開発班に、専用兵器を開発させていたんだろう?」
声色に何処か楽観的な色を乗せたまま、クロヴィスがそんな言葉を繋げていく。
分かってはいたが、クロヴィスはアキムと同意見らしい。
そんな感想を抱きながらヴィタリーが何とも言えない表情と共に、窓際を離れて部屋の仲を歩く。
結論が合理的な事は分かるが、それはそれとして結論が気に入らない。
そんな感情を、歩く姿の一つ一つが物語っていた。
そんなヴィタリーをまるで意に介さない様子で、アキムが言葉を続ける。
「どちらにせよ、現状バスブルク強制収容所を襲撃、及び目標のトビアス・マクレイを排除出来るのは私達しか居ない。同じく、バスブルク強制収容所を襲撃出来るのもな」
こればかりは覆し様が無い。それはお前も分かっているだろう。
アキムの言葉の裏に滲んだそんな意味を、長い付き合いのヴィタリーが理解出来ない訳もない。
顔の苦さを、幾らか不機嫌の色に置き換えつつヴィタリーがアキムに目線を投げた。
「………自律駆動兵の事情は一旦置いておくとしても、だ」
分かりやすい、わざとらしいとさえ言える話題の転換だったが、アキムは何も言わず目線で先を促す。
「そもそも、本当にそのバスブルク強制収容所を襲撃して所長を暗殺する事が、民衆の決起を促す事になる、って確証はあるのか?」
そんなヴィタリーの様子にアキムが目線でクロヴィスに話題を振ると、意図的な咳払いと共にクロヴィスが口を開いた。
「我々が戦い続けてきた甲斐あって、前々から革命を信じた民衆達がレガリスの各所で政権打倒の為に動き始めている、という事は掴んでいたが前回のラクサギア地区の件、あの一件で民衆達の動きはより一層活発になった」
爆発的、と言い換えても良い。
そう続けるクロヴィスを仕草で肯定しつつ、アキムが目線で先を促した。
「現に小規模ではあるが、民衆と憲兵による幾つかの衝突は既に起きている。帝国軍、憲兵の不当な扱いに実力行使で立ち向かう民衆、いわゆる自警団が幾つも組織されているとの報告だ」
先程までは幾らか飄々としていたクロヴィスの声色に、芯が入る。
それを聞くヴィタリーに、座る様子は無かった。
どうやら今の所は、というより今日は座って聞く気分では無いらしい。
「現在、レガリスで確認されている自警団の活動は多岐に渡る。民衆の陽動による撹乱、抜け穴による有用な逃走経路の共有、不当な罪や不当な徴収から逃れる為の私的な避難所………レガリス全体の空気が変わってきている事は、誰の目にも明らかだろう。勿論、帝国軍の目にもな」
ヴィタリーが、鼻を鳴らす。
事実、現在のレガリスを漂う空気が隷属ではなく革命へと傾いている事は、誰の目にも明らかと言えた。
ペラセロトツカの無条件降服による浄化戦争の終戦以来、遂に途絶えたと思われていた革命の灯火が奇跡の様に息を吹き返しては燃え上がり、レガリス中へと燃え広がっている。
「今や幾つものグループが自警団を名乗り、武器を集め、圧政に抵抗しながらも革命を目指す、または革命に備えている。まぁ、中には自警団の名目を借りただけの、ギャンググループと大差無い連中も居るがね」
そんなクロヴィスの言葉に、アキムが「華が咲く所には、必ず雑草が生えるものだ」と付け足した。
力とは刃であり、騎士が握れば誇り高く、野盗が握れば穢らわしい。
そんな古い言葉がヴィタリーの脳裏を過るが、特に口には出さなかった。
先程のアキムの言葉に小さく肩を竦めていたクロヴィスに、古い言葉の代わりに別の話題を投げる。
「ギャンググループと言えば、他のギャングはどうなんだ?スナークスみたいな、自警団上がりの様な奴等は自警団の発足を歓迎するだろうが………他の連中はそうも行かないだろ。帝国軍に便乗して儲けている連中も、数多く居た筈だ」
クロヴィスが、外見以上に金が掛かっている高級な椅子の背凭れに体重を掛けた。
今更と言えば今更だが、正しく世間話の様な雰囲気だ。
「確かにギャンググループも、余り自警団に良い顔をしているとは言い難い。革命に関する利害を抜きにしても、連中からすれば“顧客”が武器を持って荒事に備えるのは都合が悪い筈だ。まぁ、自警団達に武器を売って小銭を稼いでいる様な連中も、居るには居るみたいだがな」
「武器、か。そいつらが卸してる武器の品質は?ブラックマーケットでの、俺達の利益に影響は無いのか?」
クロヴィスの発言に、ヴィタリーが静かに言葉を挟む。
カラマック島で密造された武器によるブラックマーケットでの利益は、黒羽の団の資金源としても無視できない比率を占めている。
それが余所者、言ってしまえば素人の密造武器によって此方の利益に大きな影響が出るとなれば、対処しない訳には行かなかった。
しかしヴィタリーの静かながらも気迫のある問いに対し、クロヴィスの返答は相変わらず軽い。
「問題ない。幾つかはマシな武器を提供している所もある様だが、大半が利益目当ての紛い物だ。小銭稼ぎに使われているだけで、最近は顧客もそうそう騙されなくなっている。我々の製造した武器までもが低品質と思われない様、多少売り方を工夫する必要はあるだろうが………その程度の問題だ」
恐らく、クロヴィス自身も真っ先にその点を考慮、危惧したのだろう。
既に対処が済んだ話題特有の、穏やかにも思える語気で話すクロヴィスに、ヴィタリーが小さく安堵の息を溢す。
「何にせよだ」
やや強引な、恐らくは意図的なアキムの発言により室内の視線が引き付けられる。
「現にレガリスの幾つかの地区においては、帝国が管理している施設が妨害工作、または襲撃を受けている。それも、武装した民衆の手によってだ。先日の収容所襲撃の件においては、ギャンググループこと“スナークス”の関与も確認されている。望んでいた程の結果は、得られなかった様だがな」
アキムの言葉の先を、ヴィタリーが目線で促した。
「レガリスの自称“自警団”達は今の所、帝国管理の施設の中でも前の戦争で捕縛された戦争捕虜、拘束されたペラセロトツカの義勇軍、そしてレガリス内外で確認された危険分子や不穏分子、反乱分子を収容している強制収容所に目を付け、収容所からの収容者解放を目標に定めているらしい」
語り続けるアキムの言葉をクロヴィスが補足する。
「少し前は刑務所の襲撃、囚人の解放も計画していた様だが、計画のみで終わったそうだ。まぁ、考えてみれば現在の刑務所には不当でない理由で収監されている罪人も数多く居るからな」
襲撃は正当な罪人さえ解放してしまう、と思ったからこそ戦争捕虜等が収容されている強制収容所を目標としたんだろう。
そんな語り口のクロヴィスを、アキムが咳払いで窘めるのではないかとヴィタリーは思ったが、補足情報は元々話すつもりだったのかアキムは視線を少し投げただけで、特に咎める様子も無く話を戻した。
「バスブルク強制収容所を襲撃する事が、民衆及び民兵達の決起を決定的にするのは間違いない。こう言っては何だが、民衆からの我々に対する支持も、相当増える筈だ」
2人掛かりで説得されてるみたいだ、とヴィタリーが苦々しく胸中で呟く。
今回の件においてレガリスの情勢や民衆の状況について、諜報班を主導して情報を集めていたのはクロヴィスだったのだから、一方的な説明になるのは仕方ないと言えば仕方ない話ではあったが。
別に理解していなかった訳では無いが今回の件は、ヴィタリーが思っていた以上に決まっていた話らしい。
長く長く、殊更に長くヴィタリーが溜め息を吐いた。
「…………一応聞くが今、バスブルク強制収容所を目標とする明確な理由はあるのか?元々、もっと長い研究期間と準備期間を持たせた上で万全の準備と共に向かう予定だったろ」
「勿論、今狙う理由はある」
ヴィタリーの言葉に、クロヴィスが直ぐ様答えた。
この質問も想定済みか。
そんな言葉がヴィタリーの胸中を過るもそんな事は露知らず、クロヴィスがまたも悠々と話し始める。
「他の収容所の襲撃を機に、バスブルク強制収容所から幾つかの地区の収容所へと、自律駆動兵を貸与する話を我々の諜報員が掴んだ。来週から一定期間の間、それでも数体以上は残るとは言えバスブルク強制収容所に配備される自律駆動兵は、平時に比べれば少なくなる筈だ。突くならその期間だと、私は思う。と言うより、率直に言って狙うなら今しか無いだろう」
そこまでクロヴィスの話を聞いた辺りで、不意にヴィタリーはある事に気付いた。
先程まで、アキムとクロヴィスに完全に主導権を握られた上で会議している様な気分だったが、この件を完全に主導しているのはクロヴィスだ。
先にこの話を聞いたアキムが、この提案に賛同している点や補強した点も少なくないだろうが、この強制収容所襲撃計画の根幹を練ったのは殆どクロヴィス1人と見て良い。
アキムとの違いは、説明された順序だけだ。
「だからこそ今回ヴィタリーには」
「言いたい事は分かった」
クロヴィスの話を遮りながらヴィタリーがそう呟くと、クロヴィスが幾らか顔を上げた。
同じくアキムも顔を上げる。
「去年から万が一に備えて自律駆動兵の対処を訓練させていたレイヴンを、今回の件で投入しろってんだな?」
そんなヴィタリーの言葉に2人はあからさまな反応こそ見せなかったものの、クロヴィスだけは隠しきれない様に幾らか顎を引いた。
自律駆動兵を生身の人間が相手にするなど、例えレイヴンであってもそのリスクは決して二つ返事で引き受けられるものではない。
最も、ヴィタリーが命じればレイヴン達は二つ返事で死地に飛び込んでいくだろうが。
「技術開発班にも、改めて話をした方が良いだろうな。レイヴン達にも訓練こそさせているが、正直に言えば相手を破壊する為の武器や兵器は、クルーガー頼りなのが現状だ」
そんな言葉と共に、ゆっくりとヴィタリーが首を回した。
加えて、改めて死地に向かわせるレイヴンも選別しなければならない。当然ながら、レイヴンだからと言っても今回は事情が異なる。
そんな事を考えていた矢先。
「あー、ヴィタリー」
クロヴィスが何とも言えない顔と声音で、呼び掛けた。
「何だ?」
「その事について何だが、一つ提案がある」
「どんな提案だ?」
何の気無しにそう答えたヴィタリーが、不意に眉根を寄せる。
恐る恐る、と言った表情のクロヴィスはまだ良い。その隣に居るアキムが、どうにも笑いを堪えているような顔をしている事がヴィタリーとしては、どうにも気になった。
嫌な予感がする。
「今回の件は、かなり大事になる。レイヴンの選抜もそうだが、作戦としてもかなり大規模になる可能性が高い。と言うより、ほぼ確実になるだろう」
「あぁ。俺もそう思っているさ、それがどうした?」
何とか笑いを堪えている様なアキムの隣で、クロヴィスが目線をヴィタリーから逸らした。
「今回の件については……………ゼレーニナにも協力を呼び掛けようと思っている」
「何だって?」
思った以上の大声にクロヴィスが幾らか縮こまり、アキムがとうとう吹き出す。
ゼレーニナ。あの曰く付きの変人かつ問題児のニーナ・ゼレーニナに、直接協力を呼び掛ける事がどれだけの事か。
今更この幹部会において、ゼレーニナがどれだけ厄介な存在か、また才覚と能力を引き換えにどれだけの問題を起こし、また問題を抱えているのか、改めて説明するまでもない。
「あー、言いたい事は分かる。だがヴィタリー、今回の件はただでさえ過酷な任務だ。前回と違って、今回はまだ対処法や装備の開発にも対処する余裕がある。少しでも可能性を広げられるかも知れないだろう?」
クロヴィスのそんな声にも、ヴィタリーは特に同意する気にならなかった。
そんな事は分かりきっている上に、論点ではない。
「そりゃ協力するなら役に立つだろうが、現実問題あのクソガキをどう協力させるんだ?開発資金を引き合いに言う事を聞かせようにも、そもそも話が通じねぇんじゃどうしようも無いだろ。一番話せるクルーガーでさえ、奴に言う事を聞かせるのは一苦労なんだ。今回の件に協力しろ、なんて言っても二つ返事で聞くとは思えねぇよ」
ヴィタリーが如何にも面倒臭いといった口調でそう言葉を紡ぐと、クロヴィスが気まずそうに指で顎を掻いた。
考えたら分かる事だろう、そう言い掛けたヴィタリーが言葉を紡いでいた口を噤む。
そうだ。その程度の事は考えたら分かる筈だ。
考えたら分かる程度の事を、急に言うとは思えない。
そして何より、アキムがあんな笑い方をする時は、大抵何かがある。
「技術開発班の誇る人格者、ヘンリック・クルーガーでさえあのゼレーニナには話を通すのは一苦労だろう。それは私達も分かっている話だ」
アキムが、何処か愉快そうな口調でそんな言葉を並べていく。
そんなアキムの話し方に、ヴィタリーは益々眉根を寄せた。
言葉が信頼出来ないのではない。ヴィタリーの今までの経験上、アキムがこういった話し方をする時はとんでもない提案や発想をする時だからだ。
「だが、幸いにも近年はあの気難しい変人相手にも、話を通す方法が見つかっている。上手く行けば私達に妙な条件無しで協力させられるだろうし、装備の開発も滞りなく依頼出来るだろう」
ヴィタリーが胸中で、悪態を吐くのを堪えた。
あの変人をまともな条件で協力させる?装備の開発の依頼?
「あのクルーガーでさえ手懐けられないのに、誰にそんな真似出来るってんだ?ウォリナーに頼んで研究費用の一切を取り上げでもしない限り、あのガキは言う事聞かねぇぞ。前にウォリナーが似た様な事を言ったが、それでも奴は言う事聞かなかったらしいしな」
そこまで言い切って腕を組んだ辺りで、ヴィタリーはアキムの口元に皮肉気な笑みが幾らか滲んでいる事に気が付いた。
そして、察する。
「正直に言って彼女には時代を変える程の才覚があるが、まるで人には従わない。幹部にもな。だからこそ、クロヴィスも提案するのを躊躇したんだろう。君はまず確実に、気に入らないだろうからな」
何とも皮肉気な口調でそう語るアキムに、ヴィタリーが片手で顔を抑えた。
何を言いたいのか、全て分かったからだ。
「だが1人だけ、彼女が話に応じる者が居る。どんなに興味の無い話だろうと、気に入らない話だろうと、話に応じる相手がね」
そう語り続けるアキムへ、何とも言えない声を上げながらヴィタリーが呻いた。
「おい、嘘だろ」
「アイツ、そこまで手懐けてたのか?」




