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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
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 解き明かされた答えは、答え以上の謎をもたらす事がある。





 バスブルク収容所2代目所長、トビアス・マクレイにとって、研究と検証によって謎を解き明かした末に得られる謎は、新たなる難問であると同時に愛しい物でもあった。


 この研究の為だけに用意させた部屋の中で、マクレイが感嘆を交えつつ実験器具から骨の塊を取り出す。


 マクレイは決して科学者では無かったが、この骨を研究する為だけに専門施設でもないこの収容所へ、数名の専門家と学者を雇用していた。


 勿論、研究については自分が主導するものの素人だけでは幾ら設備が整っていても限界がある、とマクレイ自身が判断したからだ。


 あの自律駆動兵、グレゴリーとアナベルを発明した天才発明家、クリストフォロ・ピアッツィ。


 そのピアッツィからビジネスパートナーとして認められている、数少ない内の一人だったマクレイは相互援助の一環、厚意としてピアッツィの所有する最先端の研究設備、その一部を自身の収容所内にも設けていた。


 施設の運用、組織体制とは一切関係ない、マクレイ個人の“趣味”として。


 こうして様々な援助を受け、此方も様々な援助をしているとよく誤解されるが、トビアス・マクレイ個人としては決してクリストフォロ・ピアッツィと親密な訳では無かった。


 マクレイは、ピアッツィの要望通り“例えそのまま薪にしても、何処からも文句が出ない”労働力を、紙箱か何かの消耗品の様にピアッツィへ贈っているだけで、個人的には一緒に飲んだ事も無いし共に食事すらした事が無い。


 もっと言えば、西方国キロレン出身の家系であるトビアス・マクレイとしては、南方国ニーデクラの出身であるピアッツィと親密になろうなど、一度たりとも思った事がなかった。


 ただ奴は終戦辺りから暇にでもなったのか、異常な程に“使い潰せる”労働力を欲しがり、自分はそれを供給する。


 奴が予め言っていた通り、今まで一度たりとも送った“労働力”から続報は来なかったし、少し経つと前回の事が嘘の様に労働力を求めてきた。


 他の連中じゃ対応出来ないそんな案件を、マクレイは偶然にも“文句の出ない大量の労働力”に当てがあった為、供給していたら今の様な関係になったと言う訳だ。


 余程嬉しかったのか、それとも供給者を逃がしたくないのかは分からないが、ピアッツィは随分と良くしてくれる。


 元から帝国軍の予算は潤沢だと言うのに、その上で様々な援助と支援を施してくれる。


 勿論好都合ではあるが、マクレイとしてはピアッツィの余りにも高額の支援について、奇人が故の距離感を間違えている様な感性が滲み出ている様に思えるのも、また本音だった。


 マクレイが、実験器具から取り外した骨の塊を改めて眺める。


 拳の中に握り込める程の、骨を削り込んで造られたであろう骨の球体。


 その表面には、骨自体を覆い尽くす様に緻密な彫刻が施されており、マクレイは気にしないが他の人間が見れば気分が悪くなる様な彫刻である事は間違いなかった。


 しかし前述した通りピアッツィの支援が無ければこうした研究も出来ないのだから、ピアッツィの支援が好都合である事には変わりないが。


 偶然とは言え、まさか労働力の供給でこんなにも恩恵を受ける事があろうとは。


 大手の奴隷商でもない、収容所長でしかない筈のマクレイが“消耗品”の様に大量の労働力をピアッツィの元へと贈る事が出来るのには、当然ながら訳があった。





 1828年から1834年の6年間に及び、中央国レガリスと東方国ペラセロトツカ双方に多大な被害と犠牲を及ぼした、かの壮絶な浄化戦争が終結してから4年以上の歳月が過ぎようとしている。


 だが、中央国レガリスの辺境に位置するレカレンタ地区においてはまるで終戦など訪れていないかの様に、戦時中と変わらぬ風景と空気が漂っていた。


 バスブルク強制収容所。またはバスブルク強制労働施設とも呼ばれる、レカレンタ地区に名を馳せるその広大な収容施設では今も尚、無償かつ強制的な労働による物資生産と廃棄処理、改宗及び思想転換の再教育が行われている。


 1820年代、元々は悪質な反乱分子や犯罪者として裁くには難しい、もしくは非常に手間が掛かる危険分子を収容していたこのバスブルク強制収容所は、レガリスに数ある収容所の内の一つでしか無かった。


 確かに他の収容所よりは大型だったものの、取り立てて騒ぐ様な事も無ければ、話題に登る様な事も無い。


 何なら、反乱分子や危険分子が収容されている事を近隣の住民は余り良く思っていない、その程度の評判だった。


 そんなバスブルク強制収容所が、レガリス内で話題に登り始めたのは1826年頃。


 東方国と中央国、両国内で濃密な戦火の気配が、道を歩くだけで嗅ぎ取れる程に漂い始めた頃。


 浄化戦争開戦の兆しにより、ペラセロトツカのみならずレガリス国内の様々な地区においても危険分子や反乱分子、不穏分子の急激な増大が認められた際、名前が上がったのがバスブルク強制収容所だった。


 当時、2代目所長として選ばれたばかりだったマクレイは仕事熱心だった事も相まり、帝国から送られてくる収容対象者を適切に対処、管理出来る様に不明瞭だった規則や勤務体制を一新。


 そして悪質、凶悪な危険分子や反乱分子にも対処出来る様、自ら率先して「我々は修道者ではなく、此処は修道院ではない」「寛容とは脆弱であり、憐憫は贅肉である」といった方針を看守達に繰り返し叩き込んだ。


 結論から言うとバスブルク強制収容所から始まったこの文言は、後にレガリス内の全ての収容所で掲げられる事となる。


 また、マクレイは後に全収容所で採用されることになる強制収容所の組織体制や罰則などを、バスブルク強制収容所で最初に制定していった。


 収容所が大型だった事から大人数を収容出来る事、規律の厳格さと対処の適切さを帝国軍から高く評価されたバスブルク強制収容所は、漂う火種と広がる戦火に乗じる形で拡大していく事となる。


 そして遂に開戦した浄化戦争と共に、収容しなければならない者の数が想定を越える形で急増し、強制収容所を急遽増設しなければならない事態に陥った際にも、所長たるマクレイは敷地内の施設を一時的に換装して収容者の急増に対応しつつ、率先して労働力を供給して外部収容所の増設及び増築に当たるなど、献身的とも言える働きを見せた。


 組織体制、罰則、規律の徹底、収容者の効率的な活用と管理により、多くの利益と国内労働力をもたらしたバスブルク収容所及びマクレイ所長は、帝国軍及び憲兵から莫大な支持と共に潤沢な予算や様々な権力を託され、益々活発に活動する様になっていく。


 本格的な戦争により、悪化していく治安維持にも対応するべく収容対象者となる反乱分子や反体制分子の分類が、帝国軍の指示により大きく拡大された事や一部の収容者はそのまま臨時的もしくは恒常的な労働力に転用出来た事が、増長と拡大に拍車を掛けた。


 戦時中、レガリス国内に存在していた有数の基幹収容所と、それに付属する無数の大小様々な外部収容所。


 収容者を収容する為の強制収容所を、よりにもよって収容者が労働力となって建てるという皮肉な状況の中で、“有数の基幹収容所”であるバスブルク強制収容所の所長であるトビアス・マクレイは、豊富な労働力と厳格な規律意識、そして帝国軍からの高い評価と優先的に回される予算により上流階級からも一目置かれる程の存在となっていた。


 そうして、遂に浄化戦争が終結し4年以上が経つ現在。


 増長と増築を繰り返したバスブルク強制収容所は、付属する外部収容所も含めレカレンタ地区において、莫大な権力を誇っていた。


 終戦に伴って情勢が安定した為、幾つかの外部収容所は閉鎖または転換となったが、それでも大半の外部収容所は戦時中程の稼働率ではないにしろ労働と生産、改宗等の思想教育を現在まで続けている。


 最も、改宗と思想教育を終えて無事に収容所から解放された者など、最早“稀”と言って良い程しか居なかったが。





 終戦後にピアッツィから厚意と支援の話が出た時、当初マクレイとしては正直に言って金にも権力にも困っておらず、持て余しているのが本音だった。


 身も蓋もない言い方をしてしまえば金と立場により並大抵の事は出来る上に、そこまで熱意を注ぐ様な事が仕事以外にある訳でも無い。


 高い家も高い酒も、立派な物から下らない物までその気になれば揃えられるマクレイとしては、最早権力にも金にも大した魅力を感じなかった。


 だがそれも、ある日強制収容したペラセロトツカの亜人が隠し持っていた、小さな骨の彫刻を手に入れるまでの事だ。


 浄化戦争が終戦して少し経ったある日、看守の一人から報告があった。


 看守の話では収容していた収容者を一人、労働中に現場の判断で処分したと言う。


 現場の判断で処分する事など、取り分け珍しい話では無かった。何なら、前述の理由でマクレイ自身はむしろ推奨していた程だ。


 マクレイの興味を引いたのは処分した事ではなく、看守から聞いた当時の状況だった。


 いつも労働中、収容者の1人が何かを呟きながら太い指程の小さな骨を眺めている事に気付いた看守は、周りへの警鐘も含めてそれを強い語気と共に奪い取ったそうだ。


 だがその瞬間、収容者が聞いた事も無い様な声を上げながら看守に襲い掛かったと言う。


 それも、ディロジウム拳銃ことボルトピストルを腰に下げサーベルまで握っている看守に。


 警鐘や刑罰を意識するより前に、自身の危機を感じて看守はその収容者を咄嗟にサーベルで斬り付けたらしい。


 サーベルで切り裂かれ血塗れになった収容者は、小柄なキセリア人の女性だったにも関わらず歯を剥いて猛獣の様な咆哮を上げながら、身体にサーベルの刀身が食い込んだまま襲い掛かったと言う。


 咄嗟にサーベルから手を離しディロジウム拳銃で頭を撃ち抜かなければ、危うかったかも知れないと看守は気分の悪そうな顔で語っていた。


 人間が、あんな顔で襲い掛かってくるのを初めて見ましたよ。


 何かの暗号かも知れませんので、例の骨は一応取ってありますがご覧になりますか?


 気分悪そうに青ざめたまま呟くそんな看守の言葉に、恐れ知らずのマクレイは興味本意で頷いた。


 看守から、件の骨を受け取った時の事をマクレイは未だに覚えている。


 マクレイの指よりも太い程度の骨。


 その骨を覆う様に彫刻された、稚拙ながらも執念を感じさせる奇妙な紋様。


 生来、芸術関連にはお世辞にも明るいとは言えないマクレイだったが、それでもその禍々しい奇妙な彫刻は浄化戦争の終戦以来、正直に言って退屈していたマクレイの心臓を高鳴らせた。


 その奇妙な骨は決して適当に彫刻したのでもなく、一目で分かる様なありきたりな意味を持たせようとした様子も無い。


 周りの看守達や関係者が気味悪く思う中、マクレイただ1人だけが奇妙な彫刻に惹かれていった。


 その意味も、分からぬまま。


 その不気味な彫刻の意味を様々な言語とシンボルで解き明かそうと考える内に、次第にマクレイは暇さえあればその奇妙な彫刻を手の中で転がす様になった。


 反抗した収容者の遺品を手元に置く事で、権力と脅威を誇示している様に見えなくも無かったが、そんな理由で無い事は看守も分かっている。


 今マクレイ所長の部屋に、修道会の連中が踏み込んだら取り繕えないぞ。


 そんな事を看守達が噂する様になった頃、不意にピアッツィが何気無い一瞬から、マクレイが奇妙な彫刻に夢中になっている事を知った。


 また、その奇妙な彫刻から何故人を凶暴化させる程の影響が出ているのか、探求したがっている事も。


 ピアッツィは、大衆の殆どが畏れるであろうその影響を何一つ畏怖せず、解き明かそうとしているマクレイに日頃の感謝を別にした上で非常に好感を持った。


 そしてある日ピアッツィは、マクレイに語りかける。


 その様な彫刻に興味があるなら私はそれと同じかそれ以上の物を用意出来る、と。


 当初マクレイは半信半疑だったが、結局の所ピアッツィは厳重な小包に隠した上で限り無く穏便な方法を取りつつ、幾つもの彫刻を収容所、加えて言うなら所長の部屋へと届けた。


 今までマクレイが見つめていた奇妙な彫刻よりも更に大型かつ奥深い、幾つかの骨の彫刻やそれらを組み合わせた不気味な装飾品、気分が悪くなる様な彫刻で彩られたコイン型の骨のタリスマン。


 小包には、そんな不気味で奇妙かつ、肌寒くなる様な代物が幾つも入っていた。




 そのままピアッツィから研究設備を厚意として収容所内に設けさせて以来、来る日も来る日もマクレイは研究と観察に耽っている。


 この奇妙な彫刻が施された骨でのみ確認出来る、不可解な発熱や振動はどうやら人が至近距離まで接近する、または携行すると何かの条件に符号して発生するらしい。


 雇用した研究者と学者の間でも判断が別れるこの現象を、マクレイは人間の精神性に感応するのだろうと関連付けていた。


 研究者と学者達の目には、看守と同じくこの骨の彫刻が畏怖の対象として映っている事実も、興味深い。


 ピアッツィも言及していたがどうやら個人個人に“適性”があるかどうかで、この骨の彫刻から受ける印象、言ってしまえば精神的な影響は極端な差が出るとの事。


 その“適性”は果たして良性なのか悪性なのかはまだピアッツィも断定出来ていないそうだが、マクレイは正直気にしていなかった。


 精神的な影響はあくまでも先入観と錯覚に過ぎず、表面の彫刻による大気の対流や放熱が関係しているのか、と考えた時期もあったがその件については学者から直々に否定されている。


 また正直に言って、ピアッツィがこれだけの代物をどう調達しているのかは知らないが、そこには確かにマクレイの求めている物があった。


 一応自身でもこの彫刻の類いを生産出来ないか、と類似した特徴の彫刻をマクレイ自身が製作してみた事もあったのだが、模して製作した彫刻には当然ながら、先述した様な現象は何一つ起きない。


 矛盾した、不可思議な言い方にはなるがこの奇妙で不気味な彫刻は、どうやら自分達の様な物が作ろうと思った所で到底作れる物では無いらしい。


 理屈は抜きにしても一旦、そう結論付けたマクレイ。


 その興味は、次なる観点へと移っていた。


 机の上へ丁寧に置かれている、大きなコインの様な骨のタリスマンをマクレイが手に取る。


 円盤型のタリスマンの中心には翼とも掌とも言えない不気味な紋様が、明確な意図を持って深く丁寧に彫刻されていた。


 周囲の鳥類を模した何かが、その異様な紋様を中心に広がりつつ吠える様子が彫刻されているのを眺めながら、マクレイが想いを馳せる。


 繰り返しにはなるが、マクレイは決して芸術方面には明るくない上に元々、学者だった訳でも無い。だがそれでも、この異様な紋様については断言出来る事があった。





 奴等はこの紋様を、何よりも崇めている。


 それも、血が凍る程の畏怖と共に。

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