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ヨミガラスとフカクジラ  作者: ジャバウォック
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 結果から言えば、修道院からの脱出は成功に終わった。





 いざ脱出すると分かるが、落伍修女が死に物狂いで修道院から逃げ出す事は、滅多に無い事らしい。少なくとも、このラクサギア地区においては。


 脱走防止策は幾つか講じられているし、ラクサギア地区において脱走した落伍修女が帝国兵や修道会に捕まりでもしたら、間違いなく生涯後悔し続ける目に合わされるのは間違いないだろう。


 だが、それでも。


 ラシェルの様に“糞尿の澱を啜ってでもこの修道院から逃げ出して見せる”といった覚悟の決まった修道女にとって、メネルフル修道院からの脱走は決して不可能な事では無かった。


 拍子抜けとは口が裂けても言えないし、準備も含めてかなり苦労もしたがそれでもラシェルはこうして、メネルフル修道院から脱走している。


 その事実こそが、大事だった。


 ラクサギア地区に見飽きた朝日が昇る頃、落伍棟どころか修道院全体からラシェルが居ない事に気付き、落伍修女のみならず修道女達が騒ぎ始める。


 だが本格的に騒ぎ始めるまで、少しばかり時間が掛かる事をラシェルは分かっていた。


 奴等は前述の理由により落伍修女が脱走する、という発想が薄い。


 故に、想定外の事が起きた時にどういう経緯でこの街に修道女の脱走を周知させるべきか、それはどの規模なのか、帝国軍にはどう伝えるべきなのか。


 不慣れが故の、手際の悪さがラシェルの逃げる時間を充分に稼いでくれる筈だった。


 当然ではあるが、ラシェルは落伍修女に此度の計画を何一つ伝えていない。


 騒ぎになる前に予め“憂さ晴らしでも無いと、いよいよ頭がおかしくなってしまう”という雰囲気を念入りに漂わせていたお陰で、同僚の落伍修女達は疎ましそうにラシェルを見る事こそあっても、まさかメネルフル修道院から脱走して生涯無法者として追われる人生を選ぼうとしているなど、夢にも思わなかった。


 元から夢には縁が無い、と言われたらそれまでではあるが。





 だからこそ、メネルフル修道院としても今回の事は全くの予想外という他無かった。


 勿論、メネルフル修道院長たるユーフェミア・シャーウッドは修道院及び修道会、そしてラクサギア地区全体に直ぐ様この件を広める様に指示を出したが、誰がどう見ても後手である事は隠しようが無い。


 そしてシャーウッド含め一部の人間しか知り得ない事ではあったが、実は落伍修女としてラシェルは既に“派出”が決まっていた。


 非合法奴隷としての、違法な輸出だ。


 他の修道女よりもかなり若く、見目も悪くない女という物はそれだけで高値が付く。


 そして何より、落伍修女の中でも最近は落ち込むどころか憂さ晴らしに壁を殴る様な女は、余りにも厄介かつ邪魔な存在だった。


 左目の件で些か値引きするにしても、そんな女が遠方にかなりの高値で売れる契約が結べたとなれば、願ったり叶ったりと言う他無い。


 それだけに早ければ来週、遅くとも来月には派出の名目で連れ出して遠方の娼館に売り飛ばす予定だったのに、全くの想定外となってしまった。


 既に他の落伍修女と同じく売約は完了しているが故に、このままでは痛手と言って申し分ない程の違約金を払わなければならない。


 シャーウッドが、騒ぎの広まっている修道院を窓から見下ろしつつ胸中で悪態を吐きそうになり、堪えた。





 いっそ、娼婦の格好でもするべきだったか。


 あからさまに逃げ出してきた修道女です、今は目に付かない様に別の服を着ています、といった格好で街中を歩いていたラシェルは不意にそんな事を考えた。


 だが直ぐにその考えは消える。


 こんな修道会と修道会に祈る連中ばかりが屯している所で、娼婦の格好などそれこそ“娼婦では無い女が、何かを誤魔化しています”と言う様なものだ。


 酒を飲むだけでもでさえ神様がどうの、と理屈を捏ねなければいけない街だ、娼婦などそれこそ珍獣の様に一目を引くだろう。


 トルセドールが支配している領域まで行かないと、その方法は使えそうに無い。


 やはり濁った左目を隠す為にフードを被っている、という当初考えていた設定を使った方が良さそうだ。


 いや、きっと修道院と帝国軍は自分を見つけ出す為に特徴を捜索する連中に伝えている筈だ。


 ならば逆に左目がどうこう、と説明するのは逆効果か。


 そんな事を考えながらラシェルは精一杯何でもない風を装いながら、早足にならない様に意識しつつ街中を歩いた。


 帝国兵や修道女に眼を付けられない事を、願いながら。





 その日の夕方、ロドリグ・ユングランは跪かされた女を椅子に座ったまま眺めていた。


 目の前の女はこの辺りで見掛けない顔の上に、トルセドールの領域に入り数人で煙草を吸っている構成員を見つけては、“自身もメンバーに入れて欲しい”と話し掛けたらしい。


 ラクサギア地区出身じゃない奴は分かる、余所者は失せろ。俺達は故郷の為に戦ってるんだ。


 その様な事を構成員も返したのだが女も頑として譲らず、殺されるまで諦めるつもりは無いと叫ぶものだから、“ならば殺せば済む話だ”と構成員が取り押さえて跪かせ、ディロジウム拳銃を額に突き付けた。


 だが、女はそれでも一切怯まない。


 それどころか、ディロジウム拳銃の銃口すら噛み付かんばかりの据わった眼で見つめ返す始末だ。


 薬や、酒に染まっている様子も無い。


 別の構成員に取り押さえられたまま額に突き付けられたディロジウム拳銃、その撃発機構のゼンマイを指で巻き、引き金に指を掛けても女の眼は怯えなかった。


 そのまま少し指を動かすだけで、この女の全てがこんな所で消え去る。


 それでも、女は噛み付かんばかりにその構成員を睨み付けていた。


 見えている右目だけでなく、濁った左目でさえ睨み付けている女を見据えたその構成員は、静かにディロジウム拳銃を下げる。


 そして取り押さえていた構成員に手を離す様に言い、拳銃をホルスターに収めて口を開いた。


「ミスターユングランの元へ連れていこう。この女は、俺達の判断で片付けるには手に余る」





 そういう経緯で今、静かに紫煙を燻らせるロドリグ・ユングランの前で、ラシェル・フロランス・スペルヴィエルは後ろ手に手枷を嵌められ、跪かされていた。


「銃口を額に突き付けられてまで、余所者がトルセドールに入りたい理由は?」


 傍に銃とサーベルを持った構成員を控えさせながらも、ロドリグがラシェルを見下ろしつつ訊ねる。


 ラシェルは、臆する事無く答えた。


「殺したい連中が居るの、帝国兵よ」


 そんな言葉にロドリグが退屈そうに細長い煙を吐く。


「金次第だな、帝国の連中とくれば高値になるが私の部下にも物怖じしなかった度胸を買って、幾らか」


「私が、殺したいの」


 調子を崩さず言葉を続けるラシェルにロドリグが幾らか顔を上げ、煙草の灰を高級な灰皿に落とした。


 顔を見合わせる様な事こそ無かったものの、傍に控えている部下の顔には新鮮な驚きが垣間見えている。


 ロドリグが近くの構成員に目配せした後、顎で指示すると構成員が頷いてからラシェルの両手首を抑えていた簡素な枷を外し、跪かせていたラシェルを立たせた。


 ラシェルは礼も言わず、手首を伸ばしてからロドリグに向き直る。


 部下の眼が幾らか険しくなったが、ラシェルは気にも止めなかった。


「死を望むのではなく、“殺し”がしたいと?」


「えぇ、帝国兵の名前と顔は分かるわ」


 ロドリグ・ユングランはトルセドールを率いる実力と器がある事からも分かる通り、決して愚鈍でも浅薄でもない。


 強いて言うなら、頭が回る事については部下から評判だった。


 だからこそ最初に浮かんだ考えを、直ぐ様否定する。


 そんな考えを見透かした様にラシェルが言った。


「そうよ、殺せる様に連れてきて欲しいって話じゃないわ。トルセドールの構成員になって、この手で直接戦って殺したいって意味よ」


 頭の切れる女だ。胸中でそんな言葉を溢しつつロドリグが少しばかり考えた後に、口を開く。


「お前を信用する理由は?」


 正直に言えばこの女をどうするか結論は出ていたし予想も付いていたが、それでもロドリグはこの女に少しばかり興味が出ていた。


 この女が、どんな理由を説明するのか。


 落ち着き払っているとも、ふてぶてしいとも言える態度のまま、ラシェルが口を開く。


「私、元々はメネルフル修道院の修道女だったの。今朝、脱走したばっかりのね。何でこんな所まできたか、分かったでしょ」


 ロドリグの傍に控えていた構成員が1歩前に出たのを皮切りに、数人の構成員が腰の剣の柄へ手を掛け、2人の構成員が腰の後ろからディロジウム拳銃を抜いた。


 途端に空気が張り詰める中、ロドリグは予想していた通りの答えに対して確信に近い物を得る。


 ロドリグがホルスターから拳銃を抜いていた構成員の1人に呼び掛けると、構成員の1人は直ぐ様振り返った。


「調べろ」


 忠誠心の高さからか先程までの険しい表情が途端に顔から消え、真顔になった構成員がロドリグの言葉に頷いて足早に部屋を出ていく。


 周りの構成員は、そのやり取りが何一つ聞こえていないかの如く、警戒を緩めなかった。


「修道院を、脱走した理由は?」


「直ぐに分かるわ、名前もね」


「答えられないのか、答えたくないのか、どちらか言ってみろ」


 軽口の様なラシェルの言葉には取り合わず、まるで書面でも読んでいるかの様に淡々とロドリグが言う。


 ラシェルが何か言おうとしたが、口を噤んでから再び口を開いた。


「……私は修道院でも嫌われ者でね、帝国兵達に雨の中でブン殴られて好き勝手されても、修道院と修道会から“お前の信仰が足りないからだ”って叱られたの。………お咎め無しの帝国兵が鼻でもほじってる一方、私は一生クソ溜めで反省する事になったの。それが抜け出した理由と殺したい理由よ」


 発音からして、スラングを話し慣れていない。


 ラシェルの発言を聞きながら、ロドリグはそんな事を考えていた。


 スラングの意味は間違っていないし発言も適切だが、単純に言う機会が無かったのだろう。


 いや、この言い方は“初めてスラングで話せる相手に出会った”が正しいか。


 発音に躊躇が無い事から無理はしていない、かと言って普段から言い慣れている発音でもなく微かな不慣れと訛りに似た物が、スラングに滲んでいる。


 これからはスラング混じりで話しても良い、むしろ話すべきだろう、もう私は修道院に属さない人間なのだから。そんな印象だった。


 元々は修道女だった事も、修道院から脱走してきた事もまず間違いないだろう。


 更に察する所を挙げるなら、この女は修道院に戻るつもりは毛頭無い。


 構成員に銃を突き付けられても一切退かなかった所から考えても、目の前の女は既に自身の命を“重要な道具”程度にしか思っていないのが如実に伝わってきた。


 ロドリグが内心、少しだけ目の前の女を讃える。


「ミスターユングラン、間違いありません。メネルフル修道院及び修道会から、手配書が出ています。この地区の帝国軍からもです」


 そんな中、部下が書類を片手に部屋に戻ってきてそんな言葉を放った。


 ロドリグが顎の動きで、部下に先を促す。


 その仕草を見て、直ぐ様部下が読み上げ始めた。


「………ラシェル・フロランス・スペルヴィエル。ニンバラー地区出身、ブロンド、潰れた左目。5フィート半に娼婦の様な顔立ち、今朝から失踪中だそうです。生け捕りにした者には、高額の報酬が出るとの事で」


 そんな言葉にラシェルが思わず笑う。


「罪状は?」


 ラシェルのそんな言葉を、部下は全く聞こえていない様に無視していたがロドリグが同じ言葉を繰り返すと、少し躊躇した後に口を開いた。


「……………修道会に対する重大な違反及び金銭の窃盗、及び詐欺。それと、その、周囲への見境の無い淫行による、風紀を著しい乱れ、だそうです」


 ロドリグが片眉を上げると同時に、ラシェルから更に呆れた様な笑いが溢れる。


「夢のある話ね」


 よりにもよって、あんな目に合わされた自分が“見境の無い淫行”とは。


 間違いなく連中も分かっていて書いているのだろうが、逆に言えば奴等はそれ程までに苛立っている。


 実際はどうあれ、少なくとも相当相手を悔しがらせた事だけは間違いなさそうだ。


 ラシェルがそんな事を考えているとロドリグが手を振って部下を下がらせ、灰皿で紙巻き煙草の先を揉み消した。


 側近からディロジウム拳銃を受け取り、金属薬包が装填されているかを確かめると再び空気が張り詰める。


 概ね予想通りだったし、加えて言うならこうなる事は分かっていた。


 元修道女、と言うだけでもトルセドールからすれば相当に心証が悪い上に、この女は今朝脱走したばかりだと言うのに何をやらかしたのか、既にメネルフル修道院とラクサギア地区の帝国軍から手配されている。


 罪状の通りに余程の大金でも盗み出したならまだしも、この女は明らかに金を持っていない上にわざわざトルセドールに来て、“帝国兵を殺したい”と言った。


 子供か酔っぱらいでも無い限りこの女がよっぽどの事、それも相当な金か利権が絡んでいる事をしでかして此処に来ている事ぐらい分かる。


 本人が自覚しているにせよ、してないにせよ。


 そんな曰く付きの余所者、しかも修道女を抱え込むのは余りにもトルセドールにとってリスクが大きすぎた。


 もしラシェルがこの地区出身で、修道院と帝国軍から追われておらず、故郷を腐らせる帝国軍の連中を八つ裂きにしてやりたい、このトルセドールに来て加入したいと言っていれば、きっとロドリグは受け入れていただろう。


 それだけに、処分するのは正直残念に思う所もあった。


 前にも構成員として拾った事があるが、生きる為に過去を捨てて捕鮫船の船員になった連中と同じく、この手の人間はよく働く。


 全てをかなぐり捨てて血反吐を吐く覚悟で来た人間というのは、想像以上に役に立つものだ。


 それが血腥い裏稼業ともなれば、尚更の事。


 トルセドールの構成員が変わらず警戒を続ける中、ゆっくりとロドリグがディロジウム拳銃をラシェルの顔に向けた。


 そこで、不意に眉を潜める。


 生け捕りにした者には、高額の報酬が出ると部下は言った。そこに嘘は無いだろう。


 何故死体ではいけないのか。苦労してまで、生け捕りにしたい理由は?


 この女には、修道院が吐かせたい情報があるのか?


 いや、とロドリグが内心で否定した。


 この女は決して馬鹿ではない。それだけの情報を知っていれば、この交渉に間違いなくカードとして見せてくる、または匂わせてくる筈だ。


 こんな、“金貨の裏が出たら死ぬ”といった博打の様な交渉はしてこない。


 ならばどういう事か。


 全てをかなぐり捨てて復讐の為に生きる、目の前の女の眼を見つめた。


 この女は、自身も知らない所で修道院の何かに関わっている。何か、後ろ暗い物に。


 直ぐ様始末しなければならない、のではなく直ぐ様生け捕りにしなければならない、特殊で後ろ暗い修道院の何かに。


 仔細は分からないにしても、この女は生きている事がカードになるなら、奴等が嫌うカードは一枚でも多く持っておくべきだろう。


「修道院はお前が此処に居る事を知っているのか?」


「知らないわ。きっと、私がこの地区から抜け出すと思って地区から出る道を封鎖してるでしょうね」


 向こうが居所を知らないのなら此処で始末されても問題ない。


 最悪、そういう解釈をされても仕方無い状況の中でラシェルは平然と言い放った。


「私がよりにもよってトルセドールに入ろうとしてるなんて、夢にも思っていないんじゃない?」


 そのまま櫛で髪でも梳かしそうな気軽さで悠々と言葉を紡ぐラシェルに、ロドリグが考えを巡らせる。


 先程まではこの目の前の女が、全てを失った故の相当な命知らずだとロドリグは思っていた。


 だが、そうでないとしたら。


 この女はまさか、自分が生きている事が修道院に対して何かのカードになる、もしくは追われている事が修道院に対してのダメージになる、という事を理解した上でやっているのか?


 そして、その事にロドリグが気付いて考えを巡らせる事を含めて、この女は目の前に居るのか?


 もしそうだとしたら文字通り、恐ろしい女だ。


 それが狙いなら、この女がそれを説明しなかった事も説明が付く。


 自分から説明していたらこの理論とカードはきっとロドリグに対して、効力を失っていただろう。


 だからこそ、この女はロドリグの頭がその点に辿り着く事一点に掛けてここまで何も説明せずに、ただトルセドールに入りたい旨だけを伝えて此処に居るのだ。


 ロドリグが静かにディロジウム拳銃の銃口を顔から下げても、ラシェルは眉一つ動かさなかった。


 もしもロドリグが、その理屈に自分で気付かなければラシェルは今頃始末されているだろうし、顛末次第では“誰も飲まないシチュー”になって何処かの配管を流れていたかも知れない。


 何ならヤギやシカの内臓と一緒に焼却して廃棄されていたかも知れないし、逆に街頭の何処かに吊るされていたかも知れなかった。


 だが、ロドリグはその理屈に気付き今もラシェルは目の前に立っている。


 上手く行けば生き残るし外れたら死ぬ。勝負に出たならばもう何をしても変わらない。だから、澄ました顔で立っている。


 それだけの話だった。


「メネルフル修道院について、細かく説明出来るか?無論、内部と流通についてだ」


「ええ、勿論」


 ディロジウム拳銃から金属薬包を取り出し、ロドリグが拳銃を後ろに差し出すと側近の1人が素早くそれを受け取る。


 結論が出た事を察した構成員達が直ぐ様、拳銃とサーベルに手を掛けたままではあるが空気を緩めた。


「部屋を手配させろ、女性用のな。一段落したらこいつは鍛えて戦闘員として使う、エティエンヌを教官に付けろ」


「エティエンヌですか?」


 新しい煙草を手に取りながらロドリグがそう言うと、部下の1人が静かに聞き返す。


 それには取り合わず、ロドリグがディロジウム式のライターで紙巻き煙草に火を付けた。


「エティエンヌに耐えられないなら帝国兵に復讐なんて笑い話にもならん」


 それを聞き、部下はロドリグから静かに離れていく。


 ラシェルが僅かに口角を上げて呟いた。


「あら意外。“俺には絶対服従だ、もし逆らえばヤギのエサにしてやる”って言わないのね」


 構成員の数人が不機嫌な眼を向けたが、ラシェルは一切動じない。


「言わなくても分かってるみたいだからな」


 そう言葉を流すロドリグに、ラシェルが拍子抜けの様に部屋を見回すと不意にロドリグの机に眼を止めた。


 机の上、その端には装飾品に並んで瓶に詰められた人の生首が置かれている。


 丁寧に水分が抜かれたその生首は、状態の良さからか女性の顔である事が容易に判別出来た。


「あれって燻製?凄いわね、人の生首を燻製にしたの?」


 そんな言葉にロドリグがラシェルの視線の先を追う。


 あぁ、あれか。


「塩漬けだ。思った以上に奴の生首を見たい連中が多くてな」


「へぇ、塩漬けね。誰なの?」


「修道女だ」


 そんな会話に、構成員の1人が見えない所で些か眉を潜める。


 意気揚々と話すラシェルに、ロドリグは意外な物を感じていた。


 手練れの構成員ならまだしも入ったばかりの新入りが、これだけ動じないとは珍しい。それも、元修道女が。


「大抵、新入りは驚くものだがお前は随分と落ち着いているな。お前も人を塩漬けにした事があるのか?」


 悠々と机に歩み寄り、果物か何かの様に生首の塩漬けを眺めるラシェルに、構成員の数人は幾らか血の気が引いていた。


 そして、そんなロドリグの言葉を聞いてからは想像したのか、更に血の気が引いていたが当のラシェルは瓶を手に取りかねない気軽さで、平然と答える。


「流石に生首を塩漬けにした事は無いけど、要は空魚とやり方は同じでしょ?でかいアンチョビを、クソ野郎で作るだけ。アンチョビが怖い訳無いでしょ」


 出会ったばかりの女ではあったが、ロドリグは生首にさえ一切物怖じしないラシェルの様子に、微かではあったが好印象を抱いた。


 どんな凄惨な命令にも手が震えない者、それがどれだけ役に立つのかは歴史が証明している。


「なら、次に敵の塩漬けを作る時は手伝え。良いな」


 側近が少しばかり顔をしかめるのにも厭わず、ロドリグがそう呟く。





「確認しなくてもやるわよ、仕事なら」


 振り向きもせず、瓶を見つめながらラシェルは平然と答えた。

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